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妊娠初期は愛の海にいる

3月のわたしの誕生日、母親から生まれた時の寂しく悲しい記憶を思い出し、わたしを傷つけたすべてを「許す」と決めた。

すると子宮から大きな音がバンッと鳴って「4人目」というメッセージが浮上し・・あっというまに妊娠。いま、7週目にはいった。

この受胎の物語は、現在の世界の大変化とともに、恐れや不安、ストレスを抱えるパターンから、あたらしい方向性を見出しどんな環境のなかでも幸せに生きていく助けになると直感し、noteブログをはじめることにしました。受胎の記事はこちら。そして受胎からの続きの物語をこれから書きます。

生理予定日を過ぎて、妊娠陽性反応を確認して数日。

スーパーに買い物にいくと、下腹部に違和感を覚えた。とても大きな力が、いまにも会陰を破り飛び出してきそうな感覚を覚えて焦った。そのままトイレにいったが、何事もなかった。安堵しながらお腹の存在に意識を向けた。

「一度でも、母なる愛の海に 宿った。それこそが 祝福なんだ」ということばが浮かんだ。そのことばの感覚に浸っていると・・「流産」ということばが頭に浮かんでくる。

もしかすると、今回、わたしは流産を経験するのだろうか?と頭が考え出す・・・・・・その考えを私の中で感じながら・・

「いや、、、違う。」と感じた瞬間、

突如、欠乏感がわたしの身体を支配する。

心底悲しく、寂しく、失った悲しみで涙がでてくる。。。。。

あぁ・・・これは、、、

一度でも宿ったいのちへ、母たちが、罪悪感を抱えてる、、、

一度でも宿ったいのち、、、誰にも祝福されることなくこの世を去った魂がいる・・・そのことを後悔し続けている母たちがいる、、、

いま、わたしは、地球に生きる母たちの、悲しみ苦しみを味わっている。

同時にお腹の魂が伝えたがっているメッセージがはっきりみえる。

「一度でも宿ったいのちを、祝福しよう!!あかちゃんをお腹に宿しその存在とともにお互いを感じあえていることが、祝福なんだよ!」

妊娠初期にざまざまな理由で、胎児がおかあさんのお腹から去ってあの世に戻る。そうすると、多くのお母さんは罪悪感に溺れてしまう。その思いをずっと抱えて生きているのかもしれない。と感じ、ハッとした。

人は、自分が体験したことがないことには、はっきりいって無頓着だ。

わたしは、流産の経験がない。

そして、わたしが感じた欠乏感、悲しみ、罪悪感、それは、もうまぎれもなく私の中にあり、わたしだけのものではない。

わたしといういのちがたくさんのいのちと繋がりあって存在していることの証だと思った。

だからこそ、声を大にして言いたくなった。

流産やさまざまな理由であかちゃんとさよならした体験しているあなたがどれほど悲しく寂しいかということを、一番よくわかっているのはあなた自身。

欠乏感さびしさを思いっきりただただ味わってあげようね、あなた自身のために。

なぜならそのきもちを感じているのはだれでもないあなただから。

罪悪感を感じるということも、理解できる。

このような状況にあれば、罪悪感は向こうからいとも簡単にやってくると理解できる。

でも、罪悪感を抱え続けるということについては、違う!

違う道がある。

それを選べるということ。そのような方向性があるということを知ってほしい。体験してほしい。

そうでないと、あなたが抱えた後悔や罪悪感はあなただけでなく周りの大切な人へも影響していくことになる。

どんな状況、環境にあれ、あなたがあなたの幸せのために動き出すことが大切。なぜなら、あなたが幸せを感じることができる。それだけでも素晴らしいことだとおもいませんか?

でもきっと、「他人のために」という思いが強い日本人にとっては、、さらに、この方向性を知ることがきっと助けになる。

あなたが幸せになれば、あなたの繋がり合う人も幸せになる。

それを、信じる価値があると感じるなら、あなたの幸せのために動きだそう。

妊娠の報告はいつする?

12年前、はじめて妊娠した。産婦人科へ行き、エコーでみた胎芽の姿に驚いた。そのまま、パートナーと母には電話をして報告をしたことを思い出す。

心拍がわかるのは2週間あとだから、また2週間後に来てねと病院では言われた。妊娠したことについては、安定期に入るまでは周りには言わない方がいいと・・・どからともなく、そんな情報がはいってきて。

安定期をいまかいまかと、待ち望んでいたことを思い出す。

今回、もしかしたら流産するのかもしれない と考えが浮かんだ後、身体を欠乏感が覆い、悲しさや寂しさを味わって感じた時、、、はっきりわかったのは、

「今、確かに生きているお腹のいのちを 祝福したい!!!!」

という感覚だった。

お腹の魂のエネルギーがそれをわたしに思い出させてくれた。

「もしかしたら流産するかもしれない」という不安とともに、、このまま何事もなく時間が経つことにエネルギーを費やしてきたたくさんの母たちの姿を感じた。それは過去の自分とも重なる。

「不安」を抱えすぎると、同時に失っているものがある。

今だから感じることができる、たくさんの恵に、気づくことができない。

今、まさに、いのちの神秘ともいえる「あたらしいいのち」が体の中で育まれている。その感覚をあじわうことが、できない。

「不安」との付き合い方は 長いことわたしの人生のテーマだった。なるほど、そうね、不安だと素晴らしい側面に気づけないねそれはよく分かる、、でも、、どうしたらいいのよ!!!笑 ていう声もあります。わかります。

安定期を待たず、病院での診断も待たず、

「あたらしくいのちが宿ったという奇跡を祝福を」親しい友人に限らず、再会したり出会うあなたへ 生理予定日直後から伝えはじめた。

そんなことをしはじめても、、どこかで、、、もし、うまくいかなかったらって考えが頭をよぎった。

あらためて、わたしのハートに問うことにした。

ハートは、わたしと、お腹のいのちのためにできる最高のことをしたいといった。

「あたらしくいのちが宿ったという奇跡を祝福を」伝えることは、ハートからのものだった。

「宿ってくれた魂がいまここにいる瞬間に、たくさんの祝福を受け取ってほしい」ってことにつながっていた。そしてそれは、私自身が「祝福を受け取ること」と同じだったんだと気づいた。

そして、報告すると、みんな喜んでくれる。みんなの喜びがお腹の子に伝わり、わたしたちをますます喜びいっぱいにしてくれている。

幸せの輪はこうして広がっていく。

幸せの輪を受け取りながら、お腹の子が、健やかに育ちますようにと 祈る。

母は祈る。祈り続ける。そして、今、ここに育まれているいのちの奇跡へ感謝する。

何があっても、後悔することのない、優しく平和な方向性だと確信した。

子育ては、いのちが受胎するときからはじまっている

あたらしいいのちは「わたしたちは祝福の存在なんだ」と云う。

それを体現し表現しながら周りに影響するために地球に生まれてくると。

幸運なことに、それが真実かどうかをいま一番感じているのは、母である私だ。

わたしの誕生日の日に、自分が母から生まれた時の悲しい記憶(ネガティブなプログラミング)を癒すことになったのも、偶然ではないと思っている。

わたしは、あの時、確かに生まれ変わった。そう感じる。

なぜそう感じることができるのかといえば、恥ずかしげもなく、「自分自身の豊かさを楽しめている」。

少し前までは、「自分自身の豊かさや価値という点において、劣等感を抱えていた」

一瞬で世界はかわる。

このような 癒しが起こる、ある種の方向性がある。「意識の方向性だ。」

インドにある、ワンネスユニバーシティー、というところで学びを深めてきた。そこで、学んだことの中に、「子育て」に関することがある。

それを学んだ時、わかったことの一つを紹介すると、自分が母になったときに起こった葛藤のことだった。

母になった途端に、こどものころ母にされて嫌だったことを、同じ様に子供にしてしまうということが、起こっていた。それがなぜ起こるのかを知り、癒すことにつながった。

無意識に蓄積されたこころの傷や記憶、そしてそれにより信じ込んだ信念があり、正義を振りかざしているかのようだ。

あるタイミングで腹を決め、自分自身に向き合った。先の人生の流れに、優しくあたかな流れをうみだすことができることを知った。それからわたしの意識の旅は続いている。

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