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「転職するときは自分から動いちゃダメ」な理由

お世話になった上司に、転職が決まった、という気まずい挨拶をしようとした時の話です。正確には上司ではなく、斜め上だった女性の営業ヘッドでした。日本の短大を出てから、叩き上げでグローバル企業の営業トップまで上り詰めた、伝説の営業パーソンです。名前を仮にメグさんとしましょう。

当時まだ若く、尖りに尖っていた私は、直属の上司とはあまり反りがあいませんでした。私の仕事のスタイルには問題が沢山あり、上司はそれを正しくも指摘してくれていたのですが、当時はそれを素直に聞く耳を持ち合わせていなかったのです。

メグさんは、今思えばそうした問題点に心の中では眉をひそめながら、「そのうち気付くでしょう」と大きく構えてくれていたのでしょう。よく仕事の相談をしていましたが、否定されたり、戒められたりしたことは一度もありませんでした。信じてくれていた、ということなのかもしれません。

メールでアポを依頼すると、メグさんは私が転職することは既に知っていたようで、ミーティングを入れる代わりに食事に誘ってくれました。メールの最後にはこうありました。「私のレジュメ(職務経歴書)を見せてあげるね。だからあなたも持ってきてね」。なぜだかこの時、この食事は自分の人生を変えるものになる、という予感がしました。そして、その予感は的中しました。

食事の席で、メグさんは約束どおり自らの職務経歴書を見せてくれました。そこには、短大を卒業してから現在に至るまでの、胸躍るようなステップアップの物語が刻まれていました。興味をそそられ、読み進むのが面白く、この人はすごい、会ってみたい、と感じさせる。言ってみれば「読み物のような」レジュメです。

それに比べると、私のレジュメはただの「応募書類」でした。必死に自分をアピールしているものの、見る方が読み下すには骨が折れ、どこかで「読まなきゃな」という義務感を感じさせます。それもそのはず、私の書いていることはすべて、目下の自分の強引な売り込みなのです。そんな気付きを伝えると、メグさんは大きく3回頷きました。そして、こう続けました。

「転職するときは、絶対に自分からプッシュしちゃだめ。自分から動いちゃだめ。常に向こうに動いてもらい、向こうの呼びかけやお願いに答える、という立場をとること。でないと、お願いを聞いてもらう、不利な立場になっちゃうでしょ。そのためには、自分のレジュメをどんなふうに見せる必要があるのか。どんな経歴をつくっていく必要があるのか。この先まだあと何回か転職すると思うけど、それをしっかり考えてね」。

これはメグさんが初めて私に与えてくれた「教訓」でした。それまで何を相談しても、こうするな、こうしろ、と教訓じみた話しをすることはありませんでした。ただ、この時メグさんは、今後もう私と会うことはないかもしれない、と感じたのでしょう。だから最後に、今後の人生を照らし続けるライトを与えてくれたのです。メグさんの話は素直に聞く。そんな心の距離を、来るべきこの時のためにつくっておいてくれていたのかもしれません。

「転職するときは、絶対に自分から動いちゃだめ」。それ以来、私はその教えをずっと守り続けています。自分から動いちゃだめ、なのであれば、相手が興味を持ってくれて、声をかけてくれ、請われるようなキャリアを築く必要があります。レジュメに書くことができる、解りやすい実績が必要です。その意味で、転職活動は、実は全く転職など意識していない入社初日からもう始まっているのです。

このような心がけで働く人は、採用した企業にとっては煙たい存在、でしょうか。結果にこだわるり、実績を上げることに貪欲で、他社からも常に請われる存在。むしろ、そんな人材なら採用した企業も放っておくはずはありません。昇進させ、給料を上げ、成長の機会を与え、お金をかけて教育するでしょう。

すると、より請われる存在になる、という好循環が生まれます。社内でステップアップすることで市場価値が上がり、レジュメの「物語」にも新しいチャプターを刻むことができるからです。請われる存在になる、と言うとき、そもそも現職からすら請われていない人を、欲しがる企業はあまりないでしょう。であればまず何より、現職から請われる人になる必要があるのです。

「転職するときは、絶対に自分から動いちゃだめ」。このルールはシンプルですが、こうして働く心がけそのものを変えてくれる力を持っています。これは「転職のいろは」であるようで、実はより深い「仕事哲学」とも言えるようなものなのです。腰を据えるつもりはなく、そんなスタンスで働き続けていたら、気づけば役員にまで上り詰めた。そんな話を、その後グローバル企業の重役たちからよく聞かされました。

「自分から動いちゃだめ」という原則は、実際に機が熟して転職する際の、選考の場面でも大きくものを言います。企業や転職エージェントに声をかけられるまで待つ、というのが基本的な行動戦略となります。転職したいという色気を出さず、向こうが自分に興味を持ってくれ、声をかけてくれるように、サイトなどに登録しているレジュメの見せ方を工夫するのです。

そして、選考でも自分を売り込むことはしません。人は誰でも、何かを売り込まれるのが大嫌いなのです。反対に、自ら商品を選ぶ「ショッピング」は大好きです。アウトレットに買い物に行くことを考えてみてください。車で往復2時間以上かけて郊外に向かい、1日かけて広い敷地を歩き回る。そんな「苦行」を、わざわざ仕事の疲れが溜まった週末に行うくらいです。

例えば「電子ケトル」を探しているとします。それを何故かどこかで知ったメーカーの販売員が会社に電話をしてきて、自社の製品を猛烈に売り込んできたらどうでしょうか。控えめにいって悪夢でしょう。たとえいま興味を持って探している「電子ケトル」のこととはいえ、そんな売り込みを歓迎する人はまずいないでしょう。

一方で、事前にリサーチして候補を絞っていた電子ケトルの1つが、量販店の店頭で「人気につき残り在庫1つ」となっていたらどうでしょうか?同じくその商品を狙っていると思われるカップルが、自分の少し後ろで、早く近くで見てみたいとソワソワしています。あわててその商品を手にとり、レジに向かうのではないでしょうか。転職における自分の売り出し方も、こうあるべきなのです。

採用は合理的な企業活動であり、データと理論に基づく科学でもあります。それでも、最終的に判断するのは人です。人が人とが言葉を使ってやりとりし、その人のプロとしての価値を判断する。であれば、心の機微がそこに入り込んでしまうことは絶対に割けられません。電子ケトルは自分では喋ったり笑ったりしませんから、むしろ転職は買い物よりずっと心がものを言う世界です。

人の一生を左右する重要な判断が、誰かの「心」に左右されるのは嫌だ、と思うかもしれません。しかし、むしろ重要な判断になればなるほど、感覚や思想信条によってなされる、というのが世の常です。首相になって、コロナ下での五輪を中止にするか否かの判断を迫られたと想像してみてください。データやロジックは、イエスとノーどちらの判断も完璧に正当化できてしまいます。決断力のあるリーダーほど、ここでセンスや信念に頼った判断をすることをためらいません。

信頼する転職エージェントから、こんな話を聞いた事があります。「今何かいい案件ないですか?と自分から積極的にアプローチしてくる候補者には、絶対に何かネガティブな事情がある。これは経験上かなり高い確率でそうす」と。企業の採用担当者にも、そういう考えを持つ人がいない、という保証はありません。であればなおさら、基本的なスタンスは「待ち」であるべきなのです。

メグさんはその後アメリカに移住してしまいましたので、今のところは実際にあの時会ったのが最後です。アメリカを訪れることがあれば、近況報告にうかがいたいのですが、それもしばらくは叶いそうにありません。なので、この場を借りて近況報告させていただきます。メグさん、あれから10年たちますが、おかげさまであの時目標としていたことをいくつか実現できています。転職するときは絶対に自分から動くな。私の人生を変えてくれた言葉を、少しでもペイフォワードできればとこのnoteを書いてみました。

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