見出し画像

単に「慣れてない」ことを「向いてない」と勘違いしない

誰にでも苦手なことがあります。私の場合はプレゼンテーションでした。数日前から落ち着かなくなり、当日は朝から他のことが手に付きません。当日いざ繰り出す時などは、戦場にでも飛び出すような心持ちです。いや、大げさな。プレゼンなんて失敗しても死にはしないんだから。それは解るのですが、解ったとて何の慰めにもなりません。頭ではなく身体が拒否反応をしているのですから。

そんなある時、上司がプレゼンのなかで興味深い動画を見せてくれました。プロジェクトのキックオフか何かだったと思います。以前本社にも講演に来てくれたという、イギリス人男性のドキュメンタリーです。マイルス・ヒルトン・バーバーという名のその男性は、アフリカのジンバブエで生まれ、20代前半に網膜の病気であるという診断を受けます。遺伝性で治る見込みはなく、やがて30歳で完全に視力を失ってしまいます。

それから20年を、マイルスさんは障害を抱えた会社員として過ごした後、50歳で突然「冒険家」に転身します。きっかけは、51歳になった同じく全盲の兄が、ヨットで南アフリカからオーストラリアまでの単独渡航に成功したことでした。人生を悲劇にするのは、状況ではなくそれに向き合う態度なんだ。そう気づいたマイルスさんは、以後キリマンジャロに登頂したり、南極をソリで横断したり、ロンドンからシドニーへのフライトを成功させたりと数々の前人未到をなしとげます。

「それは不可能じゃない。誰もやったことがないだけだ」。上司のプレゼンは、動画の中のそんなセリフで締めくくられました。困難なプロジェクトに挑むメンバーを鼓舞する演出でしょう。実際にそれは上手くいったのですが、私は鼓舞されたというより、考えさせられました。なにせ困難な挑戦はおろか、たかがプレゼンごときで尻込みしている私です。マイルスさんの挑戦に比べれば、プレゼンなんてなんでもない。それは解ります。でもやっぱり、身体が拒否しているのです。

マイルスさんには、この感覚はなかったのだろうか。そう想像を巡らせるうちに、マイルスさんの日常はむしろそんなことの連続だったのではないか、と思いいたりました。例えば仕事でするプレゼンにしても、反応が確認できない、資料が見れないなど、健常者にはないハードルがいくつもあります。特に苦手じゃなかったとしても、苦手になってしまって不思議はありません。

そう考えると、視力を失った直後のマイルスさんの日常は、「苦手なこと」「緊張すること」だらけだったのではないでしょうか。そのように日常のほとんど全てが苦手なことになる、という状態を想像してみると、苦手なことには実は2つの種類があるのだ、と気付きます。1つは「向いていないこと」やそれゆえに「できないこと」。もう1つは「慣れていないこと」です。

20代で視覚を失ったマイルスさんにとって、当初この世の全ては「慣れていないこと」だったはずです。外出すること。食事をすること。軽い運動をすること。事務作業をすること。そうしたすべてが慣れていないこと、になってしまった。それらは決して「向いてないこと」「できないこと」ばかりではありません。以前は普通にやっていたことや、中には得意だったこともあるわけですから。

慣れていないこと、に向き合うのは緊張します。出来れば避けていたいでしょう。しかし、向き合ってそれを「普通にできること」にしていかないと、自分の世界は広がりません。この、自分の世界が広がっていかない、という感覚は、健常者だと実感しづらいかもしれません。しかし、実際に世界は狭いままで広がっていないのです。

視覚を失った当初、マイルスさんの世界は、実際にとても狭いものだったに違いありません。緊張を押して「慣れていないこと」に向き合い、それを「普通にできること」にしていかないと、世界はとても狭いままなのです。散歩にでるのも、買い物をするのも、仕事をするのも。まだ慣れていないことに挑戦するのは、とてつもなく緊張することだったでしょう。しかし、それが「普通にできること」になったとき、世界はその都度少しづつ広がっていったはずです。

「向いてないこと」と「慣れてないこと」。この2つは、それぞれ「苦手なこと」であるうちは、同じような顔つきをしています。「幼虫」である頃は見た目に大差はありません。しかし、前者が人生を毒する危険な蛾に成長してしまうことがあるのに対し、後者は人生を彩ってくれる美しい蝶に変身することがあります。

マイルスさんは、視力を失ってから20年の間に、この「慣れないこと」を少しづつ潰して、「普通にできること」に変えてきたのではないでしょうか。向いていない。それゆえにできない。そんなことはほとんどないんだ。そう理解していたはずです。すべて、視力を失う前は普通にできること、だったのですから。

そして、慣れないことを克服し、それを普通にできること、場合によっては得意なことにすることで、幸せの可動域を広げ、QOL(人生の質)を高められると実感したのではないでしょうか。兄弟揃っての前代未聞の冒険への挑戦は、その延長線にあるのかもしれません。前人未到の冒険だって「向いてないこと」「できないこと」ではなく、単に「慣れてないこと」なのかもしれないのだと。

そう考えた私は、「慣れてないこと」に積極的に取り組むようになりました。「向いてないこと」や「嫌なこと」ではありません。それらを区別することは、「苦手なことの幼虫は2種類いる」と気づけば、それほど難しくはありません。例えば、自分を傷つける人と無理に付き合う必要はありません。それは慣れの問題ではないからです。

手始めはプレゼンでした。仕事では小さなものでもむしろ自ら買ってでるようになり、業界のカンファレンスなどにも進んで応募するよう心がけました。そうこうするうちに、私はプレゼンにすっかり慣れました。今では数百人を前にした講演などでも、数日前から緊張するどころか、楽しみにでるようになりました。

そうして慣れてしまうと、人前で話すことはむしろ自分には向いていることなのだと気付きました。それは多くの人が自分に求めてくれることなのでした。このようにして、私の幸せの可動域は2つの意味で広がったのです。プレゼンが悩みの種ではなくなること。そして、むしろそれが得意技であるとわかること。

単に「慣れてない」ことを「向いてない」と勘違いしない。この単純な気づきは、今まで身につけたどんな知識より、QOL(人生の質)を高めてくれました。マイルスさんの刺激的な人生と較べると、随分さえない体験談で恐縮ですが、少しでも同じように「苦手なこと」を抱えるみなさんの参考になれば幸いです。

<新刊発売中!>

このnoteでも触れた考え方のような、キャリアアップに役立つ情報を沢山詰め込んだ書籍です。noteが気に入ったらぜひ手にとってみてください!

マーケターのように生きろ: 「あなたが必要だ」と言われ続ける人の思考と行動

書影

<参考資料>
Miles Hilton-Barber


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?