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なぜ作るのか?


自分が音楽や絵などの創作を始めるきっかけを辿ってみたらそこには母のお菓子作りがあった。というお話です。


最近、友人に勧められてこちらの 創造性の大学というところへよく足を運んでます(今はオンラインで。赤坂の校舎は裸足らしいです!?)。

UNIVERSITY of CREATIVITY
https://uoc.world/


それで、しばらく離れていた創作活動に火がつきました。

この大学のzoomウェビナーとかアーカイブを見ていると何やらふつふつぐつぐつガタガタと沸いてくるのです。

※もちろん、創造性というのは音楽を作ったり絵を描いたりという創作の中だけにあるのではないですし、この大学でももっと大きな視座から捉えています。
ですので私も音楽やビジュアルや文章はあくまで道具や手段として本当の創作に取り組み始めた次第です。


ですので、あとは作るだけなのですが、今回はこのタイミングで気がついた事をお話します。


このところ、うちの奥さんがよくお菓子作りをするようになりました。

以前からたまーに作っていたのですが、急にお菓子作りの頻度が上がってハッスルしています。

ここ何年か奥さんの好きな旅行ができなくなって(子育てや最近の情勢も)、ちゃんと息抜きできてるかなぁと、少し心配になってたところだったので良かったです。

なぜ、彼女がお菓子作りにハマり出したかというと、その発言から推測するに、子ども達にお菓子を作ってあげるとめっちくちゃ反応が良いから、ということのようです。

我が子のみならず近所の子ども達が家に来た時(※)にも、まさに餓鬼のごとく、ウマイウマイウマイもっとくれもっとくれ、と。

※マスク着用の上で。家柄によって入室禁止の子がいる時は玄関の前にたむろしてる…

そこに残ってるのはなんだ?それもくれ。全部くれ。…と。

こうなるとやっぱり作る方も楽しいようで、それまではあたしは創造性とは無縁だと、図工とか美術なんて(勿論それだけが創造的な活動ではないのですが)最悪だったと、言い放ってた彼女も、砂糖の分量や器の形など小さなところからいろいろ工夫をして創造性を発揮しています。


で、そこから考えるに、お菓子作りは

●幼い頃、保護者に作ってもらって嬉しかった記憶がある。
 ※彼女もそうだったみたい。
●甘い
 →甘くさえあればお菓子に失敗はない
 →なぜなら甘ければ子供は基本的にうまがるし
 (暴論ですが…)
 →なので、余裕、簡単、アレンジに幅がでる
●自分も楽しい他人も嬉しい美味しい

という要素があって、

シンプルであり、手と口と心の多様な喜びであり、さらにそれらがフラクタルな構造をもって自分と他者と過去と現在をごちゃ混ぜにして結びつけているのではないかと。

自分の作る喜びが子らの喜びへ。子らの喜びが自分の喜びに。さらに自分もまた子どもだった頃の思い出へ、逆に子どもが自分の立場になる可能性へと広がります。

これがクリエイティビティでない理由はないんじゃないでしょうか。


ひるがえって、この出来事から自分が子どもの頃、よく母がケーキやクッキーやプリンを作ってくれていたのを思い出しました。

そして見よう見まねでお菓子を作ってみたことも。

そうすると、うまいうまいと周りの人が喜ぶ。


考えてみれば、それが”作る”喜びを知る始めての体験だったのではないかと。


与えられて美味い。
与えて嬉しい。

お菓子は”事実” うまい。甘いので…。

他のことは自分は楽しくやってたとしても、他人から評価されたりすると、本当は上手に描けてないのに…、上手に弾けてないのに…、みたいなところに気付く子はいます。


それから、お菓子作りにハマることはなかったけど、

音楽室のピアノで流行りの曲を弾くとみんな喜ぶし、

教室の机に流行りの漫画のキャラを彫ると(ダメね…)みんなにモテはやされる。

そうやって何かを「作ること」に夢中になっていったのだと思います。


お菓子作りのように色々と作っていきます。


ありがとう。



















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