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知っているということは強い!

わかっていると安心できる

これは音楽に限った話ではありません。
日常的なことでも、知らせれずに宙ぶらりんのまま放置されるのと、悪い知らせでも知らされているのとでは、知らされている方がある意味では安心感があります。悪い知らせの場合はその対応を考える必要があるので「楽」だとは言いませんが、宙ぶらりんの場合は「その後、何か対応をする必要があるのか? あるとしたらどんな対応?」となるので落ち着きません。
西洋発祥のクラシック音楽の場合、終わりの和音が来ると「終わった」という気分になります。それは何回も聴いていて「終わりの和音はこんな感じ」ということを知っているから「終わってホッとした」という気持ちになれるのもあります。
つまり、なんとなく知っているからわかるとも言えます。
今度は別の例。音楽を聴き慣れている人は、器楽のソナタや交響曲が複数の楽章からできていることを知っています。楽章が1つ終わって曲がまだ終わらなくても安心して聴いていられます。それを知らない人は「終わったはずなのになんで終わらないの?」となります。

知っているから気づくこと

楽曲の終わりの和音が通常と違うと「え?」となりますよね。「え?」となるからこその効果を狙って作曲家がわざとそういう和音を選んだわけですが、聴き手は通常ならこういうもの、ということがわかっているからこそ、その意外性に気づくわけです。
長調が明るいイメージ、短調が暗いイメージというのもその音が持っているエネルギーではありますが、「うれしいひなまつり」の歌はそのタイトルに反して短調(正確には日本の陰旋法で五音音階)なので、短調の響き(イメージではなくて)を知ることで、長調と短調を聴き分けることができます。長短調の響きを知っていれば、そこから外れた旋法の音楽にも気づくことができます
舞曲に特有なリズムを感じ取ることで「あ、ワルツだな」とわかり、そこから宮廷の優雅な場面を想像したりもできます。メヌエットに気づいて昔の王様のダンスを思い浮かべつつ音楽を聴くこともできます。
また、色々な和音があると知っているから、和音の微妙な変化に気づいて音色を楽しむことができます。

音の微妙な違いに気づくことができる、すなわち音楽を芸術として深く味わうことになります。

知らないと聴こえない

英語を聞き取れるようになるためには発音できないと、という話があります。発音できない音は聞き取れないということです。音楽も同じ。知らないことは聴こえないのです。
長調と短調の響きを知らなければ、今、聴いている音楽がどちらなのか、それとも旋法でできているのかに気づくことはできません。和音の微妙な変化も「心地良い響き」と感じられたとしても変化を変化として捉えられません。ワルツやメヌエットを聴いて、それが踊られている場面を思い描くことも難しいでしょう。
知らないことは悪いことではなくて、知らなくても音楽を「良い感じ」として聴くのはそれはそれでいいことです。
ただ、美術館で絵画に使われている共通のシンボルを見て「XXはOOを表している」と理解しつつ鑑賞するのと、ただ綺麗な絵として見ているのでは違うように、音楽を芸術として鑑賞するには知っているということは強みになります。

フォルマシオン・ミュジカルは芸術としての音楽を味わう力を育てる

フォルマシオン・ミュジカルは、音楽に使われる言語を教える科目です。教える人によってアプローチがさまざまなので、メソッドというよりは科目という方が私にはしっくりきます。
音楽に使われる言語を教えるということは、楽譜を読むこともしっかりやりますが、ただ音の高さとリズムを読むのではなく、書かれていることを音楽として芸術的に表現できるような読み方をさせます。
楽典や音楽史の知識もすこーしずつ身につけていきます。音楽の後ろにあるものを知ることで、音楽の理解が深まります。

そしてわかっていることを聴き取る練習もします。音楽芸術を芸術として理解し、深く味わうための練習です。ここで「知っていること」が役に立ちます。

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