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楽典、音楽史… どういう風に取り入れてる?

今日は、フォルマシオン・ミュジカルのソルフェージュ以外の部分についてお話します

楽典の入門は1年目から

小学2年生でもできる

楽典の学習というと、子供でもある程度の年齢にならないと無理なのでは? と思う方は多いと思います。最近は幼児に教える楽典の本も出ているとはいえまだ一般的ではないですよね。
フォルマシオン・ミュジカルでは小学校2年生から少しずつ楽典を教えていきます。音程の概念は一年目から出てきますが、そこから一歩踏み込むのは少し後になってから、と難しい要素を噛み砕いて、少しずつ、スモールステップで繰り返し学習することで身につけていきます。
同じことを繰り返し学ぶことで、すぐに身につけられなくてもまた学習するチャンスが与えられます。既にわかっている生徒に対しても復習になりますし、その度に新しいことを少しずつ加えていくので学びがどんどん深まっていきます。

楽典の導入は楽曲から

我々、現代の大人が楽典を勉強した時、まず理論ありきでしたよね? フォルマシオン・ミュジカルでの楽典学習は(他の要素も同じですが)まず音楽、楽曲から。
新しいリズム形を学ぶ時、楽曲を聴かせて学ぶというお話をしましたが、楽典も同じです。メロディーを聴かせてそこに出てくる音程を示し、それぞれの音程(二度、三度など)を説明します。
フレーズの終始についても同様で、まずは聴いて感じることから始めます。この聴くという経験の積み重ねが後にものを言います。聴いて感じさせるということは、まずは注意深く聴く習慣をつけることにもつながります。
聴く勉強にもつながりますが、長調、短調も耳で聴き分けられるように育てていきます。次男は第一課程終了よりも前に、ふと耳にしたメロディーを「あ、これは短調だね」と言いました。

なんでも少しずつ、そして繰り返し何回も学ぶのは大切

少しずつ学ぶ。これは小学生のうちは非常に大切です。いくつもの実例を見て、それらを記憶の奥底にためていって、その経験の積み重ねから理解をしていきます。同じことは何回も出てきますから、初めて出てきたところで完全に理解できなくても大丈夫です。楽典の学習事項は本当に何回も同じことが出てきます。繰り返すのは単なる復習というよりは、その事項が使われている音楽の経験値を増やすという意味合いがあります。音楽の経験値の積み重ねはまずは音楽が先にあったということ、理論は後付けということを実感できる上に、理論を学ぶ意味を理解することにもつながります。
少しずつ学んでいっても、それが積み重なると大きな学びになります。少しずつ、何回も繰り返し学ぶという方法は侮れません。そして、早くからこういった知識を持つことで、楽譜の見え方は変わります。楽譜をただの音符の羅列とは捉えずに、音符を読むのであっても前後のつながりから読み取っていくことや、一定の音型の繰り返しに気づきつつ読んでいかれるようになります。

音楽史も少しずつ

まずは作曲家についての知識をためていく

楽曲に触れることで、その曲を書いた作曲家についての知識を得る良いきっかけになります。まずは作曲家の出身国と時代を学んで行って、知識としてはバラバラでも作曲家と馴染んでいきます。まずは曲と仲良く、作曲家と親しむ、という姿勢です。
人と人の関係だって、全く知らない人よりは何か知っている人の方が親しみを感じやすいですよね。作曲家も同じ。曲を書いた人のことを少しでも知っている方が楽しめると思いませんか?

ある程度溜まったら

知っている作曲家がある程度溜まったら、時代と国で分けて年表形式のリストなどを作って、同じ国、同じ時代の作曲家が誰なのかについて理解を深めていきます。音楽史を構成するのがまずは作曲家ということもあり、この方法は音楽史の入門にはぴったりだと考えています。
こうして音楽史の大きな流れを掴むと同時に、時代による音楽の変化についてもなんとなく身につけていきます。

中学生になると

第二課程になると内容が深くなる

第二課程になると、学習が一気に高度になります。第一課程でもそれなりに複雑なことをこなしていた生徒たちは、第二課程では理論も音楽史の学習もさらに深いレベルでやるようになります。
音楽史に関しては、一つの楽曲をしっかりやる学習が始まることからその作曲者についてもしっかり学びます。全ての作曲家をフォルマシオン・ミュジカルで学ぶことは不可能ですが、こういう経験を積み重ねることで作曲家についてどう学べば良いかを知っていくことにもなります。

数字付き和音の学習

数字付き和音の学習は後の和声の学習につながります。バロック期の作品に見られる通奏低音は、この数字付きの和音を知っていることでできるものです。数字で和音の形を区別するもので、和音を聴いて数字をつけられるということは、その和音の響きを適切に聴きとっていることになります。
知らないからといって困るようなものではありませんが、数字をつけることで和音の響きに対して注意力が出てきます。響きに注意できるということは間違った演奏を正しいものにしていくことができますし、演奏する力にもつながります。

一つの曲をしっかり学習することで学べること

オーケストラ作品のスコアを見るなんて我々大人でも滅多にしませんが、中学生は誰かから指示されない限りしませんよね。こうやって授業で機会があるというのはありがたいことだと大人の目線では感じてます。
作品の形式から楽曲形式についての学びをしたり、楽譜に記載されていることから楽典事項を学んだり、作曲家についても音楽史の中での位置付けとして学ぶこととなります。この学習方法は全ての事項をくまなく学ぶのは難しくなりますが、生きた知識につながります。
これも、音楽に対する経験値を増やす学びです。

学んでおきたいことがたくさんあるからこそ

音楽を学ぶということはただ楽器が弾けるだけではない

楽器の演奏を習うということは、その学習を通じて音楽文化を習うということになります。ただ指が回るというような学習ではなく、音楽を音楽らしく演奏できるようにしていくことがフォルマシオン・ミュジカルの目的です。それは個性を否定するものではなく、それどころか「個性をしっかり出すための手段」を学ぶことでもあります。
いい作文は、書き手の言語力によるものが大きいです。書き手の言語力はただ言葉を知っているだけではなく、その言葉の背景の知識もものを言います。音楽も音楽言語を学ぶことで良い表現、的確な表現ができるようになります。言語における文法にあたる理論も、背景知識にあたる音楽史も、表現をする音楽言語を支えるものです。

後から挽回することはできるけど早くからやるに越したことはない

これらの学習は、大きくなってから挽回することはできます。大きくなってから学ぶ方が効率よく学べるかもしれません。しかし、早いうちにやることに意味があるのです。
音楽の色々な要素を早くから知ることによって、子供は楽器の演奏のみならず音楽と仲良くなることができます。理論を早くから知ることで、音楽表現が的確になり、自分の表現ができるようになります。
そして、もう一つ大切なこと。楽器を演奏は考えながらするものです。考えるということはその曲に集中すること。だけど何も知らないで音の高さの羅列と考えているうちは、その曲について考えるための材料がないですし、集中もできません。
理論を知っていることで、作品に対する尊重が生まれ、音楽に集中することができます。
音楽に集中する習慣が早いうちからつけば、曲が難しくなって集中力を必要とするようになった時にしっかりその曲に集中することができます。

一見無駄に思える学びでも無駄ではない

実際の楽曲を利用する学びは、効率重視の考え方では無駄な印象が出てしまうかもしれません。しかし、学びってその場の効率重視だけでいいのでしょうか?
楽典にしても音楽史にしても、事項だけを取り出して生徒に伝えれば教える時間は節約できます。その代わり実体験に結びつかない、頭で理解するだけの学習事項は理解ができなかったり、理解できたとしても音楽と結び付けられないということになる可能性を秘めています。
子供うちから経験を通して学ぶということは、物語をあらすじだけ知って終わりにすることではなく、物語を自分で読んで、自分の頭で考えて理解するということです。
自分で理解して自分で考える根拠を持っているということは、学習が進んだ時に大きな違いとなります。ここは急がば回れ、です。

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