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【PFFアワード2024】セレクション・メンバーおすすめ3作品《♯14久保田ゆり》

I AM NOT INVISIBLE
祖母の故郷、フィリピンを訪れた監督は、名もない貧困地域に生きる人々にカメラを向ける。電気、ガス、水道といったインフラも整っていない汚泥にまみれたスラムの中、たくましくも明るい笑顔を見せる人々。彼らの飾らない言葉には、温かさが感じられる。日本からやってきた好奇心旺盛な若い監督に、親しみを感じてインタビューに応じているのが伝わる。

『I AM NOT INVISIBLE』

生まれた時からこのスラムで貧困を生き抜いてきた年配の女性、苦労人の露天商のおかみさん、陽気なゲイの若い男性、泥まみれの狭い道で遊ぶ子どもたち。カメラは、多様な人たちの生き生きとした表情を捉える。シャイで遠慮がちながら監督は、インタビュエーたちに誠実に向き合い、彼らが自然体で語る姿をとらえ、人柄や人生観を引き出してみせることに成功している。
しかし、何と言ってもこの作品が面白いのは、後半の祖母と監督との対話だ。「あなたが彼らの問題を背負う必要はない、彼らが貧困から抜け出せないのは怠惰だからだよ。私は頑張ってここまで来たの。」という祖母の言葉に、言葉たらずながらなんとか反駁しようと試みる監督。そして図らずも、その問答によって、より本質的な問いを突き付けられることになる。自分は何者か、なぜあのスラムの人々のドキュメンタリーを作らなければならないのか。それは、あらゆる創作者にとって根源的な問いであろう。祖母の言葉に、納得はできないものの、かといって力強く反論することもできず、もどかしい思いをかみしめる川島佑喜監督だが、間違いなくこの作品をきっかけに、さらに飛躍をしていくであろう。


血のような真っ赤なペンキ。素手で戸口に大きく殴りつけるように「鎖」の文字が書かれる。書き終えた後、女性(監督)はその場を去ろうとするが、鎖の文字から何本もの糸が彼女の方に伸びてきて、腕や足にがんじがらめにまとわりついていく。このオープニングタイトルが秀逸だ。

『鎖』

田舎の古い家の前で、花嫁衣装なのか、真っ赤な頭巾で顔を隠し、同じく真っ赤なドレスを身にまとった女性。老若男女がその周りに花を並べたり、赤いドレスの女性の体に風船をつけたり、次にそれを針で割っていったりする。どうやら、監督の家族や親戚のおじさん、おばさん、子どもたちに総動員で協力してもらって撮影をしたらしい。面白いことに、監督を縛り付けている「鎖」に加担している人々でありながら、彼らは監督が鎖を断ち切る闘いに、そうとは知らずに協力をしている。とても象徴的なシーンではないだろうか。
 強い反発心をもちながら、どこか柔らかさを合わせ持つ監督の独特のユーモアが見るものに親近感を与える。身体表現のパフォーマンスとアニメーション、あらゆる表現手段を駆使して自己表現を模索し、創作を続けていく杜詩琪監督の軽やかさと柔らかさ、そして奥底に秘めた抵抗の力に注目したい。

これらが全てFantasyだったあの頃。
エンドクレジットを見ると、この映画は主演の塚田愛美と林真子監督が企画した作品のようだ。例年映画祭の応募作品の中には、映画作り映画が数多くあるが、撮影スタッフとは違う立ち位置で作品と関わる役者と原作者の視点で物語が描かれているのが、この作品のオリジナルな点だと言えるだろう。

『これらが全てFantasyだったあの頃。』

俳優を目指す塚田えみは、オーディションを受けてはその結果に一喜一憂する。受かれば未来が開かたように勇気づけられ、落されれば存在を否定されたような苦しみを味わう。役者と制作スタッフ、どちらも不安定なアーティストの人生を生きていることに変わりはないが、両者の間にちょっとした隔たりがあることもさりげなく描かれる。いつまで挑戦をつづけられるのか、夢と不安のはざまで揺れる俳優のストーリーと交差して、一人の男が苦悩にもがきながら一人自室で執筆しつづける姿が描かれる。それも原稿用紙に鉛筆で。こうして映画は創作された者の世界と創作する者の世界を行き来しながら展開していく。
 同じ空間がふとした事で自分の部屋から撮影現場になったり、時間がリープしたり、一人だった空間にもう一人現れたり、随所でトリックが観る者を裏切る異化効果にハッとさせられるのも面白い。

セレクション・メンバー:久保田ゆり(PFFスタッフ)

「第46回ぴあフィルムフェスティバル2024」
日程:9月7日(土)~21日(土)
会場:国立映画アーカイブ ※月曜休館

「ぴあフィルムフェスティバル in 京都2024」
日程:11月9日(土)~17日(日)
会場:京都文化博物館 ※月曜休館

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