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私のうつ病 #03 【休職開始期】

こんにちは、おこめさんです。2020年10月下旬頃からうつ病を患っており、その経験を書き留めておきたいと思い、投稿しています。今回はその3つめの投稿です。

※#02はこちらです。
https://note.com/pi_wara/n/n96a35ac09353
※諸々の配慮はしているつもりですが、記事を読んで気分を悪くされる方がいらっしゃいましたら申し訳ないです。ですが私の経験は私自身のものですので、感じたことを書かせていただきたいと考え、書いております。予めご了承ください。

目次
・休職までの流れ
・休職した直後の状態
・人生で一番マイペースに過ごした12月

休職までの流れ

仕事をするのが辛すぎると感じた翌日、通院の日だったためクリニックに行った私は、診察中に泣き出しました。普段はしんどくても泣くことがなかったのですが、診察中に自分のことを話したら、ボロボロ涙が出てきて止まりませんでした。自分が使い物にならないこと、強みがなくなっていて辛いこと、周りに迷惑をかけて辛いこと、思っていることをとりあえず話したら涙が勝手に出てきました。
そうした私の状態を見た主治医の先生は、「もともとあなたは仕事ができる状態ではなくて、普通に出勤しているだけでもすごいことなので、あまり自分を責めずに...」と言ってくださりました。そして毎日飲む抗うつ剤が1錠から2錠に変わりました。薬の量が増えたのはちょっとショックでした。

主治医の先生の言葉もあり、やっぱり休職したいと思い、会社の人事・労務のメンバーや上長に相談をしました。するとすぐに労務のメンバーが産業医面談をセットしてくれて、産業医の先生に相談することができました。

産業医の先生との面談では、一連の病状や今思っていること、休職を検討していること等お話をしました。
すると先生は、「今までいろんな人を見てきたけど、おこめさんの様子を見る限り、1ヶ月程休職したら大丈夫だと思うから、一旦休んでみな!大丈夫、ちゃんと良くなるから。」と言ってくださりました。

私はこの時の「ちゃんと良くなる」という言葉にすごく心が救われました。薬を飲む毎日を続けても全然良くなっている感じがしなかったし、ずっと息苦しくて心がどんよりしていて永遠に晴れない曇り空みたいな心境で、晴れることってあるのだろうかと絶望していた状況でしたので、その領域に詳しい第三者からそのように言っていただけたことはとても嬉しかったです。

産業医面談で休職しようと決心がついた私は、そのことを人事と上長に伝えました。
それで、具体的にいつから休むことができそうかの相談をしたいと思っていたところ、「明日から休みましょう」と人事・上長側から提案をくださって、休めるように準備を進めてくださりました。さすがに次の日から休めるとは思っていなかったので、驚いたと共に、すごくすごく感謝でした。私が勤めている会社はスタートアップで当然余裕がある訳ではないのですが、それでもなんとかしようというところで従業員を大切にするスタンスを感じました。(私の上長は経営層なので、経営層がそのような対応をする=会社のスタンスがそのような方向にあるということと解釈しています。)

こうして、産業医面談の次の日から私は休職期間に入りました。時期としては12月の初旬頃からでした。

休職した直後の状態

実際に休職し始めた私ですが、どんな状態だったかというと、びっくりするぐらい動けませんでした。昼前くらいに一応目が覚めるのですが、本当に何も気力が沸かなくて、シャワーも浴びたくないし料理もしたくないし、ご飯もあんまり食べたくない。立ち上がって歩きたくもないので、目が覚めてもベッドから起き上がらず、ずっと横になっていました。午後や夕方も眠っていました。
もともと私は業務時間でなくても仕事のことを考えてしまう人間だったので、業務時間以外の夜や土日も、多分実は全然休まっていなかったんだなと思いました。本気で休もうと思ったらここまで動けないものかと思いました。

動けなかった時、家事は主人が殆どやってくれていました。もともと一定の家事分担はしていたのですが、私がやっていた分も全て彼が引き受けてくれました。精神面でも支えてくれていました。(闘病にあたり、本当に主人の支えは大きかったです。詳細は別途まとめられたらと思っています)

人生で一番マイペースに過ごした12月

休職して1週間ほど経った頃、北海道の実家に帰って休養し始めました。理由としては、大きく2点です。1つめは主人の負担を減らすためで、2つめは健康的な生活を送れる環境に身を置きたかったためです。
このご時世だったので北海道に移動することに抵抗はあったのですが、でも自分の病気をちゃんと治したかったので、実家の母に相談して帰ることにしました。

北海道に帰ってから2日間ほどは、東京ー北海道間の移動の疲れでほとんど布団から動けませんでした。寝付けなかったので睡眠薬を飲んで寝たりもしました。
私は休職してからほとんど家から出ていなかったし、一人で何かすることもなかったので、一人で東京の家から北海道の実家に帰るまでの移動は本当に疲れてしまいました。。。(集中力も注意力もなかったので羽田空港のターミナルを間違えてしまって、それでプチパニックになってどっと疲労が...)

3日目くらいからは、少しまともな生活ができるようになりました。それからは、マイペースに過ごしながら健康的な生活を過ごせるよう心がけました。
健康的な生活というのは、食事・睡眠・運動の3つが良質な状態で生きることと私の中では定義しています。
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・まず食事は、三食食べることと栄養バランスが良い食事を摂ります。これは、心がけというよりも実家に帰ってきた時点で担保されます。これがメインの目的で実家に帰ってきたようなものです。北海道の新鮮で栄養価の高い食材を使って、母が美味しくバランスの取れた献立で食事を用意してくれるので、それを思いっきり享受しました。
・睡眠は、夜寝るのはもちろんのこと、日中はちゃんと起きることを意識しました。たまに本当にしんどい時は横になるけど、そうじゃない時はできるだけ起き上がりました。些細なことだけれどこれがまずできなかったので、できるようになろうと頑張りました。
・運動については、母と、実家で飼っている犬と一緒に近所に散歩に出かけました。なぜ散歩だったかというと理由は3つほどです。1つめは、散歩は有酸素運動にあたるので、スタミナがついたり代謝がよくなったりして、体力がつくかなと思いました。2つめは、日中だと日光を浴びることができるので、ビタミンD確保に良いらしいから(https://diamond.jp/articles/-/3207?page=2)です。3つめは、私が運動苦手なため、高度な運動はできないからです。ただ、北海道の冬はやはり寒いので、あまりにも寒すぎる日は家でストレッチと筋トレをしました。
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こんな感じで、3つそれぞれを良質な状態にしようと意識して行動することで、相乗的にそれぞれがより良質になっていく(ex. ご飯ちゃんと食べる→エネルギーがつく→運動できる→適度に疲れる→夜ぐっすり眠れる)ので、以前よりもかなりマシな生活を送れるようになったと思います。

※うつ病になる直前の私の生活は、
・食事は一日一食or二食。食べる時間帯も不定期で、夕方にその日の初めの食事をとることも。食べ物はコンビニで適当に買い、夜ご飯は仕事後可能な限り頑張って自分で作って、夜22時くらいに出来上がって食べる。栄養は考えられていない
・睡眠は、1日8時間くらい。けど朝起きても全然疲れが取れていなかった(どうやら自律神経がまともに動いてなくて、寝ても寝ても体は休まっていない状態だったらしいです)
・運動はほぼやらずで通勤時に歩く程度。だがリモート勤務時はそれすらもなし。ごく稀にストレッチと筋トレをするけど続かない。

また、実家で過ごしている間にコツコツとやっていた趣味のようなものが2つあります。

1つめはピアノです。実家にグランドピアノがあり、私自身も昔習っていて一定弾くことができるので、ブランクがあっても弾けそうな曲を実家滞在中に一曲弾けるようになることを目標にコツコツやることにしました。
なぜやろうと思ったかと言うと、単純に心が動く楽しいものであるということと、「コツコツ努力して何かを成し遂げる/できるようになる」という経験をして、自分の力や自信を取り戻したいと思ったからです。
実際にやってみると、まず思ったより脳が汗をかく感覚や体が汗をかく感覚があって心地よかったです。曲が少しずつ弾けるようになっていく過程も楽しかったですし、ある程度弾けるようになってから色をつけたりして表現を楽しむこともできました。かなりブランクはあったものの一応形にはなったので、ゆったりと楽しむことができました。達成感もあり、少しだけ自信を持つこともできるようになりました。

2つめは麻雀です。全くと言っていいほどルールを知らなかったのですが、覚えて実際に打てるようになることを目標にコツコツやることにしました。
なぜやろうと思ったかと言うと、主人が無類の麻雀好きで、一緒に会話できたら楽しいだろうなと以前から思っていたことと、せっかくゆっくりできるならこういったまとまった勉強も良いなと思っていたことと、偶然買ったNintendo Switchのソフトに麻雀があり、実戦で学ぶ環境も整っていたためです。
後から分かったのですが実家に麻雀牌のセットがあり、年末は主人と父と3人で麻雀することが叶いました。私は年末までにある程度できるように特訓をして、大晦日と元日はほとんど3人で麻雀をして過ごしました。母や弟も時々加わり、家族で楽しく過ごすことができました。


題の通り、本当にマイペースに自分の気の向くままにやりたいことをやりつつ、健康的な生活を送る12月となりました。
すると、年末頃に自分の中のどんより雲がかなり薄くなった感覚がしてきました。肩の力が抜けてリラックスできていて、呼吸がゆったりできるようになり以前のような息苦しさがかなり軽減されました。気持ちも明るくなってきて、明確に変化を感じました。
このような回復の兆しが見えてきてから、どういった生活と心の状態であったのか、次以降で書いていきたいと思います。(2021年1月27日現在、まだ復職はできておりません。)
お読みいただきありがとうございました🙇‍♀️

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