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青空を求めて善光寺参り
2021年7月16日、関東では平年より少し早く梅雨が明けた。
梅雨の間は家を出るのが億劫で、クーラーの効いた部屋の中で生活をしている。しかし忘れてはいけない、梅雨が明けたら夏が来るのだ。ようやく雨から解放されたと思って、勇んで外出すると夏の暑さがお出迎えをしてくれる。懇切丁寧に湿気まで連れてくるものだから、「夏ってこんなに暑かったっけ?」と1年ぶりの再会に対して毎年疑問符を投げかけてしまう。
それでも外出しようと思うのにはわけがある。
落ち込んだ時には外に出て、自然に癒されて回復する習慣が身に着いていた。「いつからだろう?」と考えてみたところ、ちょうど2年前の出来事が頭をよぎる。
実は2年前、仕事が辛くなって会社に行けなくなったことがあった。当時(2019年6月24日)の日記を見返してみるとこう書いてある。
「しんどい、しんどい、しんどい。誰も助けてくれない、何も進まない。」
なんかやばそうなのが伝わってくるね。笑
ちょうどこの時期は個人的に辛かったタイミングで、尊敬していた先輩や同期が同じチームから離れることになったり、自分の仕事が溜まりに溜まってさばききれなかったり、本当にどうやったって仕事が上手くいかなかった。
そうして辛い日々を過ごしていると、知らず知らずのうちにストレスが限界まで達したのかもしれない。とある日、いつも通り目覚めたはずだったのに、どうしても会社に行く気が起きなかった。
そして、入社以来初めて、理由なく会社を休んだ。
休暇を取ることが決まった後も身体が思うように動かず、ベッドから起き上がることが出来ない。そうして午前中はベッドに横になって過ごしていたが、急にとあることわざが頭に浮かんだ。
「牛にひかれて善光寺参り」
今考えてもなぜそのことわざが頭に浮かんだのかは分からない。ただ、その時は「とにかく何かをやらないと、この最悪の状況を脱せられないんじゃないか」という怖さがあって、藁にもすがる思いで「善光寺に行こう」と決めた。
新幹線のグリーン車に生まれて初めて乗るという贅沢をして、座り心地のよい椅子のうえで日記を書いて自分の頭を整理しながら長野へ向かう。新幹線の窓の外には関東平野が広がるが、一面を分厚い雲が覆っていて、そんな天気を見ていると心にも重りをぶら下げているような気がしてくる。軽井沢駅で靄がかっているあたりまではおぼろげながら記憶があったけれど、気が付くと眠りに落ちていた。
そして、ふと目覚めると車窓からは日の光が差し込んでいた。窓の外を見ると数カ月ほどご無沙汰していたお日様が顔を出している。キラキラした日の光を受けて木々が緑色に輝いている。
長野駅に着くと長野電鉄に乗り換えて善光寺下駅まで向かう。地下の駅から地上に上がると夏の暑さが襲い掛かってくる。帰宅途中であろう中高生とすれ違いながら10分ほど坂を上っていると善光寺に着いた。
そして、夏らしい青空が一面に広がっていることに気づいた。
青空の写真を撮っていると、気分も晴れていく。
どうやら気分の底は脱せたみたい。
当時は仕事で上手くいかないことが続いて落ち込んでいたけれど、「自分はこんなに美しい写真が撮れる」というその事実が嬉しかった。
このときかな、「自分は夏が好きなんだ」ということに初めて気づいたのは。自分が過去に撮った写真を見返してみても、この時を境に圧倒的に青空の写真が増えていた。
自分にとって青空を撮ることは、自己の肯定につながる。
落ち込んだ時はカメラを持って外に出て、写真を撮ってまわる。そうしているうちに元気が出てくる。それもこれも善行寺参りがきっかけだと思う。
さて、今年も夏が楽しみだなあ。
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