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【人生哲学】人生を豊かにする三本柱 「気づき」「経験」「意見」

 「気づき」
私は普段おそらくこの世界のほとんどの人と同じように、平凡で何気ない生活を送っています。これって簡単そうで難しい。なんせ世の中にはいろんな人がいるからですね。
日本のように比較的平和で争いもなく毎日を過ごせる国もあれば、どこかの国では貧困で毎日食べていくのも難しい、また、紛争が絶えなく命からがら生活を送っているのが日常の国だってあるものです。
ありがたいことに毎日特に弊害もなく生きている人が多い国にうまれた私たちは、当たり前のことが当たり前になってしまい、「気づき」というものに関して鈍感な人が多いのではないでしょうか。また、そこまで「気づき」の大切さを理解していない人もいると思います。
例えば、皆さんは普段、家から最寄り駅までの道のりでどれだけ首や顔を動かして歩いていくでしょうか。今はスマホの時代ですからねー。携帯見ながら歩く人もいるだろうし、何も気にせずまっすぐだけをみて歩く人も多いでしょう。
それは、いたって当たり前のことです。そりゃ、毎日通る道を毎日散策して興味深く歩いている人なんてそうそういませんよね(笑)というかむしろ変です。
ところがどっこい、例えば皆さんが旅行に行ったとしましょう。それは海外でも国内でもどっちでもよいですが、その時のことを想像してみてください。持ってるスマホなんか興味もなくなり、ちょっとでも多くこの目に見たことのない景色を焼き付けたい。と思いませんか!!そのために、大きいところから小さいところまで事細かに見ますよね。それでいろんなことを発見したり、気づいたりしますよね。
このたとえ話でわたしが伝えたいことは、「慣れる」ってことはいいことですが、「気づき」ということをなくしてしまうものなのです。
勿論、「慣れる」ということは生きていくうえでものすごく大切です。この後「経験」のお話をしますが、「慣れ」については、そこで大切さをお伝えします。
「慣れる」反面「気づき」がおろそかになってしまう。
そういった人が多いと私は思います。
再びたとえ話になりますが、九九を習った小学生に一週間、九九の百ます計算を五分の制限時間でやらせるとします。その次の週に、「今日も百ます計算をやるよー」といって、足し算の百ます計算の用紙を渡してやらせたとします。さてどれだけの子が、一番左上のマスの中が「×」から「+」に代わっていることに気づき、正しく解答できるでしょうか。まあ一週間なら、1クラス40人とかんがえて、30人くらいですかね。ですがこれを一ヶ月、半年、一年と九九の百ます計算をさせる期間が長ければ長いほど、突然だされた、足し算の百ます計算を記号が変わっているのにも関わらず、いつもと同じように、掛け算をして間違える子供たちが増えていくでしょう。
「慣れ」とはこういうことです。
人の「気づき」気づきを鈍くする。もしくは人が「気づき」に鈍くなる。
これを「慣れの落とし穴」とでも言っておきましょう(笑)
「慣れの落とし穴」にはまることなく、日々の何気ない気づきを大切に生きてほしい。
「セレンディピティ」という言葉をご存じですか?
「セレンディピティ」とは近世の時代イギリスで政治家兼小説家であるウォルポールが作った造語です。意味は素敵な偶然に出会ったり、予想外のものを発見すること。また何かを探しているときに、探していたものとは別の価値があるものを見つけることを言います。
科学の分野で言うと、ニュートンが木から落ちるリンゴをみて、万有引力の法則を見つける手がかりとした(これについては諸説ありますが。)ことや、フレミングが培養実験の際に誤って、雑菌であるアオカビを混入させたことが、のちに世界中の人々を感染症から救うことになる抗生物質(ペニシリン)を発見するきっかけとしたことなどが有名です。

歴史に名を残す上に例に出した偉人たちは天才でありながら、「気づき」をおろそかにしなかった。
だれが、木から落ちるリンゴを見て世紀の大発見、大研究をするでしょう。
今となっては、当たり前すぎて何も思わない人が99パーセントでしょう。
彼らはもちろん頭もよいし、人の何倍も努力をしたはず。
しかし、当たり前のことを決しておろそかにせず、当たり前のことにこそなにかあるのじゃないかと疑問を持っていることに気づいた。
フレミングに関しては、自身の間違えの中にさせ、そこから生じるものに「気づいた」のです。
だから、けっして「気づき」をおろそかにすることなく大切にしてほしい。
当たり前で、平凡な日常にこそ、なにか重要なものが隠されているかもしれません。

 「経験」
「何にせよ最上の証明とは経験である」この言葉は16~7世紀を生きたイギリスの哲学者フランシス・ベーコンが残した名言であります。

ちょっと言い回しがくどいので、簡単に言い直すと、「実際それを経験することが最も確実で信頼性のある証明となる」ということです。

また「かわいい子には旅をさせよ」これも有名な言葉ですね。
似たような言葉ですね。

さらに「経験」についてソクラテスはこう言った。
「『育児と教育』を理解していない人間は多く、経験よりも重要なものがあると勘違いした浅薄な人間が、外付け的に、外部要因(お金、地位、権力、学歴、見た目、知識)を『浅薄に』取り付け、自らを装飾することは、よく見る光景である。一言それは、『メッキ』である。『金に見える』だけで『純金』ではない。」
つまり何が言いたいかというと、「経験」というものはどんなものにも勝るということです。
そう言い切ってしまうと、いやいや、何事も経験とか戯言でしょうとか、そんなことはないもっと大切なことはある、という人ももちろんいるでしょうが、私は「経験」というものは人生において最重要視しています。
それはなぜか。
私は以下の三つの理由を根拠とします。
 
①自分の身体、五感を使うものだから。
②①の理由からそれが何よりも信憑性のあるものであるから。
③経験することによって知れること、気づくこと、そして意見を発信することができるから。
これを具体的に当てはめると、何か興味があることに対して思いをはせるのだけではなく、実際に自分自身でやってみるということです。自分自身で行動におこして経験すると、他人から聞いた話や、ネットなどで調べた情報よりも、信頼性があることだけでなく、その体験を自分の中で主観的に分析しておとしいれることができ、さらにはその経験をもとに、発信したり、気づいたり、意見をすることができるということです。

「経験」の素晴らしいところは、人を本当に豊かにするものであるというところです。
どれだけ知識が豊富な人間でも、知識が豊富で、さらにその知識が経験に基づいたものである人間には絶対にかないません。
それは先ほどお話しした情報の信頼性によるものです。
さらに経験には「成功」と「失敗」が付きものです。
興味をもって経験したことが上手くいく場合もあれば、うまくいかず失敗してしまうときだってあります。
しかし、どちらにせよそれは自身の人生を豊かにし、身のある人間に成長するための「経験値」なのです。
ですから私自身はそれが、少しくらい危険であったりしたとしても、自分の興味のあることだったら色々なことに経験してみるべきであると思います。

「意見」
続いて「意見」することの重要性について。
日本人の特徴として、周りの目や世間体を気にしてあまり自分の意見や感想などを他人に対して発信しない系統があります。
まあ、勿論理不尽な先輩や上司に不満があったとしても立場上好き勝手に意見を言いた放題言ってしまうのは、かえって人間関係をぎくしゃくさせてしまうものです。
ですが、最低限「意見」を持つことは必要です。
それはなぜか。

まず、「意見」というものは、自分で思ったことや、考えた結果として生まれてくるものですから、頭をよく使います。
勿論、ここで持つ「意見」の種類が「賛成」でも「批判」のどちらでも構わないです。

次に「意見」を他人に向けて発することで、アウトプットをしていることになります。
「頭を使って、次にアウトプットする」
このプロセスはよく受験勉強の時なんかに、言われる勉強法ですよね。
それとほとんど同じといってよいでしょう。
「意見」を持つためには人を説得させるためのそれなりの根拠や理由が必要になります。
ですから、よく知識を蓄えたうえで、根拠づけをしたうえで「意見」を発する。
この過程はとても重要であり、人生を豊かにするものであると思います。
勿論、その意見に対して賛成する人も反対する人もいるでしょう。
ですが肝心なのはそこではなく、「意見」を持ち、それを発信すること。
ここに尽きるでしょう。

このような形で、私は「気づき」「経験」「意見」に関連した記事や情報を作成していきたいと思います。
勿論その理由は、この三つが自分自身の中で人生を豊かにし、素晴らしいものにするという確信を持っているからです。

是非皆さんも、参考にしてみてはいかがでしょうか!

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