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多様性と、これからの働き方の関係性について

本当によく聞くようになった「多様性」って言葉。
その解釈も多々あり、解釈自体が「多様性」の体を持っていると感じることもある。

どうしてこれほどまでに「多様性」が言われるようになったのか。

そもそも多様性(diversity:ダイバーシティ)は、「互いに非常に異なる多くの人や物の集まり」と定義されている。

※オックスフォード英語辞典より


社会的な文脈で多様性という言葉に触れるときには、LGBTQ+や移民、障害を持つ人といったマイノリティの人たちに関することが話題になっていることが比較的多いと感じる。

しかし、学術的な勉強をしていない僕が感じることは、もっと本質的な部分で「多様性」を捉える/見る/考える、といったことが必要だと感じる。


それぞれの世界があっていい

「大人の事情により」とか「忖度」なんて言葉で表現される『大人の世界』がある。そして、それと同じで、
 ・子供の事情/世界
 ・じいちゃんの事情/世界
 ・ばあちゃんの事情/世界
 ・赤ちゃんの事情/世界
な世界も実際ある。大人の世界だけで世の中を押しはかることはしない方がいい。あれができるから良い子、これができたから良い子、なんてのは大人の勝手な押し付けであり、大人の事情に当てはめた思い上がりな思考だと思っている。同じ方向を見ていたとしても、感じていることは全く別世界だということが多々ある。


同じものはない、多様性の本質

「まるを描いて、デザインして」
と子供にお願いすると、描かれる「まる」は様々。

個人個人の視点や感性は様々。そしてこの

“個人個人の視点や感性が様々”

ということが、多様性の本質なのではと感じている。


初体験者になれる

日本(人)の思考法の中に「右習え」な考え方がある。
「前例」とも言い換えることができること。
自分が経験したことがない、自分が見聞きしていない、そういったことは受け入れない・受け入れられないと、思ったり考えたりすること。でもここで別の見方で考えたり、捉えたりすることもできる。

“前例はない。だとすると自分が初体験者!ラッキー!!”

こんなふうに考えたり思案したりすると、体験したことは新発見となり、自分にしか歩めない道が拓けるようになる。自分が成長できることを実感できるはずだ。


それ以下でも、それ以上でも

先日、グローバルに展開しているイケイケのベンチャー企業と打ち合わせがあった。僕は個人事業主。そのため、次の質問を素直にしてみた。
「どうして個人の私に依頼してくれたんですか?」
そうするとこんな言葉が帰ってきた。

“個人か法人かは問題ではない。たまたまそういった立場や状況なだけで、お互いプロの専門家。それ以上でもそれ以下でもないよね?!”

これこそ「多様性の本質」を捉えていると感じた。多様性が話題になる今の世の中で、未だに個人事業主やフリーランスを一つの駒のように思い、横柄な姿勢の経営者がいる中で、先の企業の社長の思考は僕と相性が良いな、と感じた。それと同時に、大いに役に立とうと感じた。


縦横無尽に、柔軟に

働き方で「縦の関係がいい」とか「横の繋がりがいい」とか意見があるが、僕はぶっちゃけどっちでもいい、というか『どっちも必要』だと考えている。ビジネス/仕事は、縦だけでは広がないし、横だけでも成長は出来ない。縦にも横にも思考を巡らせたり、視野を広げたりして、

“自分が知らない世界を体験することで、
ビジネスも人生も広がりや深みが増していく”

そう感じている。縦横無尽に思考を巡らし、柔軟にモノゴトを見ることで、ビジネスも日々の生活も楽しくなっていくと感じる。


まとめ

なんとなくまとまったようでまとまっていない、と自分でも思う。
でもそれも多様性の一種の表現力だと思う。そう自分に言い聞かせている。コロナだったり、彼の国の侵攻だったり、大変な世の中になってしまっているが、今一度、自分の視点でしっかりとモノゴトを見て、聞いて、調べて、そして自分の言葉で自分を表現していきたいと思う。

ただ一つ、穏やかな世界になることを切に願っている。
一度、一日のうちたった一度でいいからみんなが笑顔になれる瞬間がある。そんな世界になるといいな、と願う。

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