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カメラという趣味.1

 最近、SNSでカメラや被写体、趣味や仕事といった題材の論争、独り言をちらほら見かけます。
SNSも含めて、人はうわさ話や議論が好きですよね。そんなものに水や油を注ぐ気はないのですけど、自分の感想の備忘録です。

先日、被写体をされてる方が、カメラマンとのグループLINEをSNSで公開されていたようです。
当然のことながら不満あってのことで、公開されたようですが、約束していた撮影がドタキャンされたこと、またやりとりでの価値観の違いの結果のようです。

SNS上ではお決まりの炎上、多くの友人や部外者、界隈の人たちが自分たちがカメラマンを非難、公開ボイスチャットで話し合ってたようです。
本人も招待され、公開質問会のようになっていたとか。

まるで証人喚問のようですね。

公開質問会の主催は界隈関係者ということで、話題を取り上げ、本人に招待を送ったら自ら参加されたということみたいです。

どういう展開、内容なのかは紹介しませんが、さながら学級会、終わりの会の様相でした。

と、前置きが長くなりましたが、趣味の世界でのやり取りが、甚だ話が大きくなり、対応手段を知らない人たちの悪ふざけな気がします。

相手を如何に傷つけようか、論破できるか、自分にこそ正義があって相手が間違ってると、周囲から賛成の声を貰おうとしているような。

プロパガンダ。

SNSが悪い、ネットが悪いなんてこれっぽっちも思っていませんが、無機質な言葉だけが行き交うコミュニケーションでは、こういう事が日常的に起きるんではないかと思います。

顔を見て(見られて)、声を聞いて(聞かれて)、態度を見て(見られて)、相手が(自分が)どう感じるかな?
なんて思えば、ここまでの行動に移したのかと思います。

知らない人と軽く繋がれて、軽く利用できるSNSに過度な期待や信頼をおいているのか?
はたまた都合良く使えなかったから、気軽な腹いせをしたのか?
どちらにせいよ、互いに今後関わらないつもりで、情報を出さず絡まず、話さず、絡まずとは、あまりに希薄な繋がりではないかと思います。

ともあれそんなSNSでの出来事で、一応の決着はついたのか、残った偏見はカメラマンと被写体の立場の意見だったように思います。

人間性、個々人の資質、期待する関係性の違いこそがメインであって、「カメラマンは」とか「被写体は」とか、十把一絡げに扱われてしまうのは他の人にも迷惑が掛かると言うことを理解して欲しいものです。

地雷カメラマン。

そんな言葉が散見されました。
それを見た人はどう思うのかな?
カメラを趣味にしている人を一括に分類できてしまう、そんな呼称や扱いはなんだか悲しいですね。

とは言え、その手の界隈から距離のある自分にとっては影響もないので、関わる必要もないのだけど、カメラマンと括られたときの気分の悪さは、どうしても拭えなかったりする。

今回のオチなどないかもしれないけど、こんな争いは見えないところでやればいいんじゃないかと思います。

ひとまず昨夜見た事からではありますが、また趣味や仕事に関しても書いていこうと思います。

photo_snow.

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