アツシが教えてくれたこと。

こんにちは。亜弓です。
前回の記事で予告したとおり、今回はわたしの人生を良くも悪くも大きく変えてしまったきっかけの人について書いていこうと思います。
ちなみにアツシという名前は便宜上つけただけで、本名からかけ離れすぎているのでもはや誰なのかわたし自身もよくわかりません。笑
どうぞお時間の許すかぎりお付き合いいただけると嬉しいです。

アツシとの出会い

アツシと初めて出会ったのは24歳の春。
大学院を修了し、某女子大学で助手として働いていた社会人1年目のわたしは、ひたすら忙しくて、完全に自宅と職場の往復をするような毎日だった。
その年の秋に臨床心理士の試験を控えていた上に、国家公務員である家裁調査官を目指していたわたしは試験が目前に迫っていて、職場の膨大な業務と、あまりにも範囲が広すぎる勉強で余裕のない毎日を過ごしていた。

そんな中、高校時代の友人が久々にわたしを外に連れ出してくれることになり、その日の飲み会で初めてアツシと顔を合わせることになった。
正直、その場ではアツシとの会話はほぼないまま終わり、そこまで強い印象が残ったわけでもなかった。
ただ、グラスが空いている人にすかさず次のドリンクを何にするか聞いたり、空いたお皿を端に寄せたりしていたのはなんとなく覚えていて、気遣いのできる人なんだなという印象だけは残っていたと思う。

翌日、アツシからご丁寧にお礼の連絡がきて、本当にマメな人なんだなあと思いながらも、まさか後日2人で会おうというお誘いがあるなんて思いもしなかった。
アツシはぱっと見モテそうな外見で、どうやら大手企業に勤めているエリート(30代前半)らしい。
その程度の事前情報がなまじ頭にあったおかげで、わざわざわたしに声をかける理由はまったく見当たらなかった。

だから、もしかしたらこの人は結婚詐欺師かなんかで、わたしからお金でもまきあげるつもりなのかなぁなんて被害妄想を発動させて、何を言われても話半分に聞いていたような気がする。

それはさておき、国家公務員の試験目前だったこともあって、そのお誘いは一度お断りした。というより、もう少し先の日程でお願いしたいって言ったんだっけな。

無気力な日々

実はこの頃、わたしはもういろんなことが重なりに重なって心身ともにぼろっぼろだった。
次から次へと上司に仕事をふられ、ほとんど職場に住んでいるような状態だったにもかかわらず、残業代は見込み手当てが月に5000円だけ。
前任者に「絶対、時給換算だけはするなよ」とあれだけ言われていたのに、何を血迷ったのかうっかり計算してしまったわたしは、自分の正社員としての仕事が高校生のコンビニのバイトよりも明らかに低い時給だったことに絶望した。

助手という仕事は昇進があるわけでもなく、大学組織内のカーストでは末端に位置する存在。
基本給も低い上に、昇給もなければ初年度はボーナスもなし。
そして勤務できるのは最長5年という縛りがあり、もちろん再雇用もない。

わたしは出身大学のお世話になっていた教授に声をかけられて就職したのだが、前任者からも激務薄給と聞いていたので長くそこにいるつもりはさらさらなかった。
むしろ、その教授はわたしが家裁調査官になることを応援してくれていたので、「1年だけでいいから」とゴリ押しされて渋々承諾したという経緯だった。

そんな中、わたしは家裁調査官の1次試験にあっさりと落ちた。
来年にはこの苦しい毎日から抜け出しているんだと信じて頑張ってきたのに。
毎日残業だらけでほとんど勉強する時間もとれなかったのである意味当然の結果だったとはいえ、それも言い訳な気がして。

唯一、一緒に試験を受けていた同期は一次試験に合格していて、それがよけいに辛かったのを今でも鮮明に覚えている。
完全に将来の希望を失ったわたしは、何も考えることができなくなっていた。

大学附属の心理教育相談所に配属されていた社員はわたし1人だけで、あとは女性のパートさんが2名と、非常勤のカウンセラーの先生方がそれぞれ曜日交代で出勤している状態だったので、17時以降の事務所内はいつもわたしだけになる。
わたしの定時は17時半だったけれど、業務は山積みでそんな時間に帰れるはずもなく、毎日1人になると泣きながら仕事をしていた。

苦しくて苦しくて絶望しかなくて、ただただ毎日生きているだけで必死だった。
もうすべて終わりにしたいと考えてしまうくらい追い詰められていたわたしは、もう仕事を辞めて実家に帰るか、いっそのこと生きることも諦めてしまうか、そんなことを毎日ぼんやり考えながら過ごしていた。

わたしが勤めていた心理教育相談所の棚には、いろいろな種類の心理検査がたくさん置かれている。
ある日わたしは、うつの程度を測定するとある心理検査を棚から取り出し、自分で実施することにした。
結果は重度のうつが疑われるくらいの点数。

その数字を見て、わたしはますます自分の心理職としてのアイデンティティが揺らいで悲しくなった。
自分の大切な人の力になりたくて臨床心理学を専攻したはずなのに、こんな弱い自分じゃ誰も助けられない。
無力感が日に日に増していって、生きていることすらばからしくなった。

アツシとの再会

再会というほど日にちは経っていないけれど、そんなボロボロの精神状態のときにアツシから再び連絡がきた。
いつの間にか、わたしがもともと提示していた日程あたりになっていたこともあり、わたしから連絡した方がいいのかなぁなんてほんの少し考え始めていた矢先のことで。
あまりにも完璧なタイミングだったからすごくすごくびっくりした。

結局わたしたちは短いやりとりをして、翌週の仕事終わりに会うことになった。
毎日残業をしていたわたしは、その日定時であがるために必死に仕事を終わらせた。
たぶん、仕事以外の人と会いたかったのもあるし、ここから救い出してくれる何かに縋りつきたかったんじゃないかなと思う。

カフェに入り、アツシと話している時間は予想以上に楽しくて、アツシはわたしの知らない新しい世界をたくさん知っている人だった。
話しているうちにアツシも院卒だということを知り、その時点でわたしは勝手に親近感を覚えた。
今まで誰もわかってくれなかった気持ちをわかってくれる人が現れたような、そんなワクワク感と高揚感。

すごく忙しい人だからあっという間に解散の時間になってしまったけれど、次に会う日程も決まってわたしは完全に浮かれていた。

別にその後どうこうなるわけでもなく、普段から頻繁に連絡を取り合う仲でもない。
それでも、その日からわたしにとっては、アツシの存在がこの世界に生きつづける理由になった。

職場でよく話しかけてくれる清掃員のおじちゃんが、「最近なんだかたのしそうだね、顔色がよくなった」と言っていたので、きっと今まではさぞかし死んだような顔をしていたんだろうなと思う。

新たなコミュニティへ

アツシの周りはいつも、性別も年齢も関係なくたくさんの人たちで溢れていた。
どこに行っても彼はみんなから慕われる存在だった。
いろいろなところに連れ出してくれて、わたしのことを覚えてくれる人も少しずつ増えていって、大好きなお兄さんお姉さんがたくさんできた。

アツシとも会う回数が増えて、多い時には週4くらいの頻度だったんじゃないかな。
会うたびにわたしはアツシのことがどんどん大好きになっていた。

その頃にはもう結婚詐欺師の疑いは晴れていたけれど、アツシはいつだって掴みどころがなくて、何を考えているのか全然わからなくて、それでいてものすごく刺激的だった。
アツシに会えば会うほど、彼がどれだけ人気者なのかを思い知らされて、わたしはその隣を歩くことが次第に辛くなっていた。

ーーわたしはいったい彼にとって何なんだろう。
そんなことを思いながらもずっと聞くことができなかった。

そんなある日、突然まったく別の人から真相を知らされた。
アツシには、わたしが出会ったのとほぼ同時期に、どうやら彼女ができていたらしい。

ーーいやいやふざけんな。ちょっと待て。さすがにそれは教えてよ。
そう心の中で思っていても、結局誰にもわたしの本心は言えなかった。
もうアツシに会わないという選択肢ももちろんあったけれど、その頃にはとっくに恋愛感情なんて超えていたし(そう思い込んでいたし)、わたしが何も言わなければこのままずっと一緒にいられる。

だから、わたしはアツシの側に居続けることを選んだ。
だって、もうアツシと出会う前のような、暗くて冷たい毎日には絶対に戻りたくなかったから。

アツシと過ごした4年間

それからの日々はもう激動だった。
正直その頃の記憶は曖昧で、今となっては忘れてしまっていることも多いかもしれない。
ただ、自分の気持ちを押し殺しながらアツシと一緒に過ごす時間はやっぱり苦しくて。
わたしたちは相変わらず一緒にいたけれど、だんだんケンカも増えていった。
というよりは、わたしが一方的に噛み付いているように見えていたみたいだけど。

きっとアツシには、わたしにしか見せていない部分もあったと思う。
周りから聞くアツシのイメージと、わたしに対するアツシの態度が真逆だったこともたくさんあった。

あまりにも毎回バチバチしているもんだから、共通の友達はよく心配してくれていたけれど、それが続くうちに、もはや周りからしたらそれが日常茶飯事だと捉えられるようになっていて。
根本的に合わないのか、それとも俗に言う”ケンカするほど仲が良い”というやつなのか、わたしも周りもわからない状態が続いていた。

そんなに嫌なら一緒にいなければいい。
だけど、わたしがアツシに対して期待してしまう部分がすごく多くて。
だから、この人はいつか変わってくれるんじゃないかって。
勝手に期待して、勝手に裏切られたような気持ちになって傷ついて。
自分の頭と心と身体がちぐはぐな感じがずっと続いていた。

アツシにもよく言われたなぁ。
「俺に求めすぎないで」って。
だけど、やっぱり好きな人には期待しちゃうんだよ。
だってアツシはもっともっと幸せになれる人だって信じてたから。

先輩に相談しても「人は変わらないから自分が大人になるしかないよ」と言われ、頭では嫌というほどわかっていたけれど、いつもいつも心が追いつかなくて。
普段からアツシ本人にも噛み付いていたわたしだったけれど、それでも飲み込んでいる言葉も多くて、普段溜め込んだ気持ちがお酒を飲むと爆発していた。

今でもよく覚えているのは、大晦日に仲の良い人たちで集まってパーティーをしていた時に、わたしが泣きながら彼の胸ぐらを掴んだこと。
自分でも驚いたけれど、もう止めることなんてできなくて、泣きじゃくりながら普段言えずに飲み込んでいた気持ちをアツシにガンガンぶつけた。
周りで見ていた友達はめちゃくちゃ引いていたし、本当は早く帰ろうとしていたアツシもすごく困った顔をしていた。
そりゃそうだよね。

失って初めて気づくこと

結局、アツシと常に一緒にいた頃は存在が近すぎて、お互い甘えもあったし、大切さにはなかなか気づけなかった。
とはいえ、これだけ一緒にいたからこそ、少しずつ彼のことがわかるようになってきたのも事実で。

彼はとても時間に厳しい人だったし、いわゆる”人として大切なこと”を守らない相手に対しては、苛立ちの感情をまったく隠せない人だった。
わたし自身、もともと10分前行動をするようなタイプだったけれど、彼の影響でさらに時間をきちんと守ることが習慣になったような気がする。

会話をする時も、わたしは時系列でだらだら話すことが多くて、女性的だと揶揄されるような、オチのない感情的な話し方をするのも普通だったけれど、アツシはそういう会話を全然理解できないということがわかり、次第に結論から先に伝えることも意識的にできるようになっていた。

アツシは朝も強くて、どんなに寝るのが遅くなっても必ず6時には起きて仕事をしているような人で、健康に気をつかって日頃から筋トレもきちんと継続していた。

どうやらわたしは、アツシと一緒にいたことで、社会人としてのスキルや人として大事なことをちゃんと守れる力を自然と身につけていたらしい。

一緒に仕事をしていた時期もあり、金銭的なやりとりをしていくうちにお金の管理にも慣れていった。
むしろ細かい管理や作業は、わたしの方が得意だということにも気づいてしまった。

改めて考えてみると、この4年間でわたしが得たものはあまりにも大きい。
ただ、そう思えるようになったのはやっぱりアツシと距離を置いてからだった。

アツシとの別れ

わたしが28歳になり、その年がもうすぐ終わる頃、わたしはアツシに別れを告げた。
ーーもう一緒にはいられない。もう会わない。

結婚しているわけでもなければ、付き合っているわけでもない。
ただ、わたしたちはきっと他の誰よりも一緒に過ごしてきた。
ここに書ききれないくらいの思い出がたくさんありすぎて、いつだって走馬灯みたいにアツシと過ごしてきた日々の様子が次々と思い浮かぶ。

好きだったテレビ番組の感想を言い合って、くだらないやりとりをいっぱいして、お酒もお肉も真夜中のラーメンもたくさん食べて。
わたしが潰れたときは見捨てずにずっと側にいてくれたし、わたしが泣いていれば夜中に数時間ひたすら話を聞いてくれた。

よく晴れた日には自転車で出かけて、
和菓子を買って公園で食べて、
ラーメン屋で食レポ動画を撮って、
バッティングセンターでストレス発散をして。
高架下でケンカをして泣きながら帰ってきたこともあるけれど、結局次に会ったときはいつも通りで。

こんな思い出がありすぎたせいか、わたしが別れを告げたとき、アツシには思いっきり泣かれてしまった。
アツシのことを嫌いになったわけではなかったから、わたしもすごくすごく苦しくて。
でもこのまま一緒にいてもお互いのためにならないことは明らかだった。
何度も揺らぎかけたけれど、わたしはもう覚悟を決めていた。
今さら考えを曲げる気はなかった。

そこから何度か話し合いをしてみたものの、もちろん分かり合えるはずもなく、結局最後までお互い結論が出せないままお別れの日を迎えてしまった。
大晦日の夜、今までのお礼を短く書いて送ったのがアツシとの最後のやりとりになった。

アツシが教えてくれたこと

あれだけ派手に別れを告げた割には、何だかんだ今でも普通に連絡を取っている。
結局アツシとの連絡を断ち、会わなかったのは年明けの丸1ヶ月間。
あの時の喪失感は未だに忘れられない。
心の中にぽっかり穴があいたみたいで、この表現ってこういう時に使うものだったんだなって毎日泣きながらも頭の中はどこか冷静で。

でも、この経験は絶対わたしに必要だったと思う。
本気で向き合った人との別れを経験することで、目の前の相手や、今この瞬間を今まで以上に大切にできるようになる。

1ヶ月後、仕事上の繋がりがあったわたしたちは久々に顔を合わせ、そしてお互い最近あった出来事を語り合った。
まるで出会った頃に戻ったみたいで、わたしはすごく嬉しくなった。

昔と明らかに違うのは、お互い素直になれているということ。
意地を張って、傷つけあって、悲しくなって泣くようなことはもう一切なくて。
お互いの好きなものも嫌いなものも把握しているし、どうすれば相手が喜ぶのか、何をしたら相手が嫌がるのかを熟知しているわたしたちだからこそ、すごく平和であたたかい時間を過ごせているような気がする。

この関係は友達なのか、親友なのか、はたまた戦友なのかいまいちよくわからないし、わざわざ定義づける必要もないと思うけれど、やっぱり今でも大切な存在ということには変わりないなと思う。
あの頃はできなかった恋愛の話もできるようになったのが嬉しくて。

もう何ひとつ隠さず話せてしまう存在がこんなに近くにいるって貴重だしありがたいことだよなあって。
年齢はそこまで離れていないけれど、お兄ちゃんというよりはなんだかおじいちゃんみたいな存在。

きっとこれからも、わたしにとってはこの先ずっと、愛すべき人だ。
彼の言葉を借りるなら、きっとこの出会いは宿命だったんだと思う。
もしあの日、アツシに出会えていなかったら、今わたしはいったいどこで何をしているのか正直わからない。
きっと最近出会った大好きな人たちに出会うことはなくて、それ以前に今のわたしもいなくて、新しいことに挑戦することに怯えて、何をするにも言い訳だらけの人生だったんだろうね。

ーー『俺たちは一生一緒にいる宿命なんだよ』
わたしは、こんなプロポーズまがいの言葉を何の迷いもなく、しっかりと目を見ながら言ってしまうアツシのことを嫌いになんてなれなかった。
この人を支えられるのは、もしかしたらわたししかいないんじゃないか、なんて思ってしまったこともある。
たぶんそんなことないんだけれど。

だからわたしは、懲りずに今も彼の側にいる。

何度もケンカをして、腹が立ちすぎて、こんな奴大嫌いだと本気で思ったことも少なくない。
むしろそんな時の方が多かったような気もする。

アツシがわたしに教えてくれたのは、「大好き」と「大嫌い」は紙一重だってこと。

そして、人間嫌いで何もかも信じられなくなったわたしみたいな人でも、もう一度誰かを信じてみたいと思えるようになるんだということ。

エピローグ

ーー結婚おめでとう。
そう言ってこの物語を終わらせたかったのに、もうしばらく時間がかかりそうだね。

でも、きっとあなたのことだから、覚悟はできているんじゃないかな。
結婚の話を振るたびに、苦笑いしながら弱音を吐くあなたを見ているのは何ともいえない気分で。
わたしの気持ちを知りながら、ずっと離れさせてくれないのもちょっぴり残酷で。

だけど、もう男とか女とかそんなのはとっくに超えていて、下手したら家族以上に心を許せる存在で、わたしにとっては唯一無二だけれど、きっとあなたにはそういう人たちが周りにたくさんいるんだろうね。
今までいっぱい意地を張ってきたけれど、わたしはあなたの右腕になろうと思う。
だから、早く登りつめてよ。

ずっとプライドを持ってやってきた仕事を諦めてまで、必死に茨の道を突き進んでいる姿はやっぱりどこか辛そうで。
それでも気丈に振る舞おうとするあなたは、とても強い人だと思った。

あなたが持ちきれない荷物はわたしが引き受ける。
ほんの少しでも、一瞬だけでも、ほっと息をつけるような居場所になる。
そのためにも、わたしはもっともっと強くならないといけないね。

どうか、この先もあなたが安心して戦い続けられるように。

あとがき

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。
おそらく、人生の中で最も真剣に書いた自分の文章だと思います。

人と人との関係ってとても複雑で、きっと瞬間的に移ろいでいくものなので、文章でそれを伝えられる方々は本当にすごいんだなあって今回改めて実感しました。

だけど、やっぱりわたしは小さい頃から物語や活字が大好きで、
『好きこそ物の上手なれ』
いつか、自分が日頃感じていることや伝えたいと思うことを何らかの形で届けられるような人になりたいなと願うばかりです。

悲しいことばかり起こる毎日だけれど、
どうかそんな日々の中に少しでも良いことがありますように。

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