少年少女三つ巴ミステリ地獄変②
永遠の嘘をついてくれ。どうも、神山です。
「涼宮ハルヒの直観」「文学少女対数学少女」「蒼海館の殺人」の話をする記事の第二回(直観編の後編)です。
※今回の記事は「涼宮ハルヒの直観」に収録されている中編「鶴屋さんの挑戦」のミステリ的なネタバレを含みます。
前回の記事はこちら。
未読の方のためにさっとまとめると、「鶴屋さんの挑戦」は新本格ミステリムーヴメントの最中、法月綸太郎が柄谷行人のゲーデルの不完全性定理の解釈に触発されて提起した「後期クイーン問題」と〈読者への挑戦〉をめぐる古泉一樹による語りと、キャラの裏側に作者・谷川流の意思の介在を強く意識させる構成になっていることを明らかにしました。そのうえで、後半では前回取り扱わなかったメインパート(鶴屋さんからのメールによる出題と、SOS団+Tによる推理合戦パート)について論じます。
スタート!!
・鶴屋さんからの挑戦、谷川流からの挑戦
流れとしては、キョン・古泉・長門・Tが本格ミステリについて語っており、この語りが終わった後にハルヒが部室にやってくる。そこにSOS団宛のメールが送られてくる。
「あれ? 鶴屋さんからだわ。なんでわざわざこのアドレスに送ってくるのかしら」 [中略]
鶴屋さんが送ってきたのは、よりにもよってSOS団への挑戦状だったのだ。
「[中略]そんなこんなしていたところなんだけど、実はちょっとだけ面白い事件に遭遇したんだった。うん、そういうことだった。まあ、あたしのトラベルエピソードもまじえて、その時のことを書いて送ってみようって試みってわけさ。まずはメールに貼っ付けた乱筆乱文を読んでくれまっせい。最後のほうに問題を出すから、皆の衆には解答をお願いするよ。じゃじゃ」
といって、鶴屋さんからのメールをハルヒが読み上げてSOS団+Tが謎解きに臨むのである。
普段の中編では、ここでハルヒが何かの事件を起こすのだが、今回は(部室に存在していない)鶴屋さんからのメールがはじまり告げる。しかもその「事件」はすでに終わったことであるようだ。しかし、メールには特に問題も提示されず、何が変なのかもよくわからない。ここで彼らは「文章のなかの物語」ではなく「文章それ自体」に違和感=謎があることを見抜くのである。すなわち、作者(=鶴屋さん)から読者(=SOS団への)叙述トリックである。
ハルヒは自信満々に、「ついつい鶴屋さん風に読んじゃったけど、そこから鶴屋さんの罠は始まっていたわけよ」
得意げに胸を反らした団長閣下は重々しく断言した。「この文章で書かれている『あたし』は鶴屋さんじゃないわ」
「その証拠に、名前が出てこないでしょ。あたし、とか、彼女とか、人称名詞でだけ描写されているもの。叙述トリックの初歩ね」
初歩だか奥義だか知らんが、では『あたし』が鶴屋さんでなければ、誰だって言うんだ?
[中略]
「だからよ。わざと取り違えするように書いているわけ。でないと、トリックにならないでしょ?」
だとしてもだ。お前の説によると『彼女』=鶴屋さんだという図式だが、これまたどっからどう見ても『彼女』とやらが鶴屋さんとは思えない。
と、ハルヒは一人称錯誤の叙述トリックを訴えるが、キョンはそれを退ける。一方、古泉は別の叙述トリックの可能性を提示する。
古泉は前髪を指先で弾きながら、「実際のところ、この文章に何らかの叙述トリックが仕掛けられているのは間違いないところでしょう。ですが、一人称の語り手が鶴屋さんではない、というのは、いささか行き過ぎな気がします」
[中略]
「涼宮さんが直感したように、叙述トリックの仕掛けがあるというのは正しかったんです。ただそれは人物の入れ替えではなかった。錯誤の対象とされたのは時制でした。現在の鶴屋さんによる最近の出来事ではなく、もっと昔、おそらく小学生あたりのエピソードを、あたかも最近、ちょうど今、出先の旅行地で起こったかのように書いて送ってきたわけです」
そして推理が出揃ったところで、鶴屋さんから返信が来る。
いい機会だとばかりに思い出話を書いてみた。そしてキミたちに送ってみた。せっかく書いても見せる相手がいないのは、ちいとばかし寂しさの周波数が高まったというわけで、簡単に言って誰かに聞いて欲しかったんだね。[中略]今度は去年の秋頃の旅情エピソードを送ってみるよ。
鶴屋さんからの解答提示の結果、正解は古泉のものだった。ここまでが本作のチュートリアルである。
『鶴屋さんの挑戦』は、これまでのようにハルヒや長門、そのほか様々な超常存在や権力(生徒会とか学校イベント)がアプローチしてくるという話ではなく、すでに起こっていることについてのメールから、謎を発見し、真実(事実)を明らかにするという構造の物語である。
涼宮ハルヒシリーズを読んでいる人ならば、ここまでの展開を不思議に思うかもしれない。なぜ、ハルヒの謎解きが当たっていないのか、と。この世界において、ハルヒは神であり、彼女が無意識に望んだことが現実になってしまうというルールで動いているのではなかったのか。ハルヒが叙述トリックに引っ掛かり、彼女がそう思い込んでしまった途端、鶴屋さんの書いたメールそれ自体が書き換わり、ハルヒの推理(一人称錯誤)が答えだったよ、というメールが鶴屋さんから届くはずではないか、と。
この議論については終盤本編でも取り扱われることから、いま深入りはしないが、単に谷川流が手を抜いて日常ミステリにSOS団を当て嵌めただけということではないとだけ言っておこう。
このメール見破りゲームのチュートリアルを受けて古泉がこの状況の解説を行う。
「だんだん解ってきました。一見、何の不思議もなさそうな話の中に、実は隠されている謎があるので、それを指摘せよという系、趣向なのでしょう」
[中略]
「おそらくは。どういう意図があるのかは解りませんが、鶴屋さんはその事件の顛末を後回しにして、『彼女』なる友人との思い出話を僕たちに送ってきている。その文中には何らかの仕掛けが施されている。それはいったいどのような仕掛けか、次のメールが到着するまでに考えよ。と、言ったところでしょう」
言い直そう。ここまでが本作のチュートリアルである。谷川流から読者への。前回の記事(本格ミステリ語りパート)でも、古泉が既刊以上に長回しで引用を多用しながら話していたが、今回もまた、古泉がよく喋る。そして、この解説は勿論キョンやハルヒなど部室にいるメンバーに向けられているものの、明らかに我々読者へのヒントであり、挑発だろう。
SOS団は鶴屋さんから「この物語は何?」という挑戦を受けている。そして、我々は同様の挑戦を(古泉一樹が今は代弁しているようだが)谷川流から受けている。これまでは我々は物語に介入することはできなかった。キスをしたり、宿題に誘ったり、エンターキーを押したりするのはキョンだった。しかし、この物語は我々も並列しながら解くことができる。このメールに書かれている謎を解くことが、内部のキャラクターの選択とは独立しているからである。
そしてメール文2に挑む。そこでも、一読しただけではなんの変哲もない鶴屋さん思い出エピソードが書かれているが、すでにチュートリアルを経ているSOS団+Tは謎の捜索をする。
「キョン、あたしの朗読を聞いてて、どのセリフを誰が喋っているのか、どうやって判別してた?」
そりゃあ、お前がご丁寧に天然ボイスチェンジャーをやってくれていたからな。鶴屋さんの語りは呆れるほどそっくりだし、姿と声を想像するしかない名無し彼女と付き人さんとやらも、口調を使い分けていたからこんがらがることもなかったね。「それよそれ」
ハルヒは溜息に姉妹がいたらその末娘のような吐息を漏らし、
「してやられたって言ったのは、まさにそれが理由なのよ。なんとなく音読しちゃったのがマズかったわね。ひょっとして誘導された? いえ、そんなわけもないから、偶然でしょうけど、あたしが自分でミスディレクションを作ってしまったことには歯がみするしかないわ」
ここでもハルヒは登場人物誤認系の叙述トリックであることを提示する。しかし、この錯誤と発見のプロセスは特殊である。確かにキョンたちはハルヒの声を聴いているのかもしれない。しかし、我々には平野綾や松岡由貴の声が聞こえているわけではない。脳内再生をしているかもしれないが、我々に音は聞こえないし、たとえば一切ハルヒシリーズのアニメなどに触れたことがない人が読めば、まったくそういった声は聞こえないだろう。我々はあくまで文章の書き口から違和感を発見せねばならない。
この先、SOS団+Tはプリントアウトされたメール文を読みながら議論を進めることになる。そのなかで、文章表現についてキョンが疑問を呈する。以下はそのやりとりである。
「エピソード1と2に共通する文章の特徴が何かくらいは解るわよね?」 鶴屋さんのセリフがカギ括弧付きで書かれていないってことだろうな。
エピソード1の文面を見たわけではないが、ハルヒの独演会を聞く限り、そういう書き方をしていると察せられる。
「その通りよ。それでね、鶴屋さんのセリフを地の文に落とし込んだエピソード1の文体自体が、次のエピソード2に仕掛けられたトリックの目眩ましとして作用していたってわけ。あたしも初読でまんまと引っかかっちゃったわ」
[中略]
「キョンの疑問その三ね。物語の途中で鶴屋さんのセリフが唐突にカギ括弧付きで書かれるようになった理由について、か。でもね、キョン。これってわざわざ理由を問いたださないといけないほどの問題?」
それこそ恣意的すぎるだろ。セリフがあるなら最初からそういう風に書いたらいいし、なしで通すのなら最後までまっとうすべきだ。
「それはあんたの感想でしょ」
まあ、そうだが。
ここで、これまでハルヒシリーズではお約束として行われていた「語り手:キョン」の振る舞いへ自己言及がなされる。キョンは発言と内声をごちゃまぜに、カギ括弧を付けたり付けなかったりして話しているにもかかわらず、それについて恣意的すぎるだろ、と言う。
「極論かもしれませんが、そもそもの話、ミステリに限らず小説にルールなど存在しないと僕は考えています。個人的には読者への挑戦が間に挟まっているような犯人当てが好みではありますが、自分の趣味をグローバルスタンダードだと言い張るほど偏狭ではないつもりですよ。第一、ルールを意識しながらの読書が楽しいとは到底思えないですしね」
一方、古泉は本格ミステリとは何か、《読者への挑戦》とは何かという話ではめちゃくちゃガチガチのことを言っていたものの、もっと小説は自由であることを発言する。長門の本格ミステリの定義「アンフェアでない」より広範な小説の定義(というには自由過ぎるか?)の提示は、やはり古泉一樹の意見というよりは、作者である谷川流の(少なくとも本作への)執筆スタンスの開示に見える。
「記憶をなくしてもう一回最初から読んでみたいわ。今度は黙読で」
と、最後には黙読で読んでいればより早く気付けたことをハルヒに示唆される我々(僕は完全敗北でした)。
そして鶴屋さんから続きのメールが届く。ここまでのメール文1・2は前座に過ぎず、メール文3が本題だったことが明かされる。
「[中略]あたしのトラベル思い出話を二つほど書いて送ったのは読んでもらった通りだね。前の二つは前説か前座だと思ってくれるがよろし。
じゃ、あたしたちの旅情道中こぼれ話第三話をどうぞっ。ちゃお!」
そしてメール文3に挑むと、途中で次の文章が入る。
やっとこさ問題を提供するときが来たよ。
あたしからの出題はただ一つさ。
犯人の名前を言い当ててくだされ。
以上だよ。
ここでついにタイトル回収。鶴屋さんからSOS団+Tへの《読者への挑戦状》である。
「フーダニットとしては、多少風変わりですね」
古泉は最後のページに視線と指先を這わせつつ、「犯人を指摘せよ、ではなく、犯人の名前を当てろ、というわけですか。なるほど」
「謎解きをするにあたってメタフィクション的アプローチからの逆算は、本来、邪道なのですが……」
と、メタフィクション的アプローチからの逆算、つまり本文に載っていない情報を活用しながら、メール文3についての謎解きを進めていく。
そして、その謎解きの最中、古泉が
「これがミステリ小説ならば、ここらで『読者への挑戦』が挿入されるタイミングですが……」
と言う。これは、(おそらく谷川流から)我々へ向けられた《読者への挑戦状》である。ここまでが問題編なのである。おそらく、ミステリ談義を含めた「ここまで」が。
「鶴屋さんがエピソード3に仕掛けた罠は、日本語を話していると見せかけて実は英語だった、という場所の錯誤から使用言語を誤認させる叙述トリックです。[中略]いわばエピソード1と2が、エピソード3の最大のヒントになっていたのですよ」
メール文3の謎は1・2についても含めたうえで検討され、解かれることになる。これにて、鶴屋さんからのSOS団への挑戦は解決された(第一の解決)。
しかし、さらにキョンはこの部室の状況やメールの進行に対し疑問を覚え、メールの外側の、今置かれている部室内の状況についての謎解きを始める。
今日という日に限って、古泉たちとミステリ談義に花を咲かせ、そうこうしているうちに鶴屋さんからメールが来た。しかも、ミステリ研のTがそこにいることが解っていたかのような犯人名当てクイズ問題と来やがった。
[中略]
「三つのエピソードに秘められた問い、『彼女』とは誰か。その人物たりうる条件を全人類に拡大させ、数十億人の中から選ばせるほど、鶴屋さんは不親切でも底意地が悪くもありません。でなければエピソード内に手掛かりをちりばめたり、別途で五つもヒントをくれたりはしないでしょう。必ず、僕たちが指摘できる、すなわち既知の誰かなのです」
として、Tが部室に存在することなど、イレギュラーな要素から、今部室で発生していることの謎を解く。(第二の解決)
しかし、これでも謎解きは終わらない。ハルヒにバトンタッチし、更に外側、部室の外部についての情報を踏まえて、謎解きは進行する。
「度重なる偶然と不自然な文章の横行は、こう考えたらすんなりいくの」
ハルヒはとびっきりの笑顔で、
「鶴屋さんが送ってきたエピソードは全部、作り話だったんだ、って」
「あたしたちはあくまで鶴屋さんが主犯で、Tは協力者だと思ってたけど、逆だったのよ。Tは主催者の一味だったわけ。主犯はミステリ研で、鶴屋さんが共犯者なの。共犯者にしては前面に出てるけどね」
これまで部室の外に存在していたミステリ研への言及が重なり、鶴屋さんからの挑戦だったものは、実は鶴屋さんからですらなかった、という真相まで至った。推理談義や部室外の出来事などが含まれた状況や構造についての解説。つまりここまでの範囲の解答が、谷川流から我々へ突き付けられた《読者への挑戦》で要求された謎解きの解答であろう。(第三の解決)
これは、明らかに序盤の本格ミステリ語りや《読者への挑戦》語りをうけてのものである。前回の文章を引用しよう。
後期クイーン問題によって拡散してしまう世界と容疑者候補について、登場人物一覧や「ここまでの物語」までで世界に線を引き、名無しの第三者ではなく、物語上公然の人物が犯人であるというルールの箱庭に閉じ込めることが、《読者への挑戦》の存在理由と古泉は語る。これは先述した「クローズドサークルは推理の範囲が拡散しない状況を作り出す」と同様の理由。つまり、古泉はここで「舞台設定によって世界をある有限の範囲で区切るのがクローズドサークル」であり「作者の介入(挑戦状)によって世界をある有限の範囲で区切るのが《読者への挑戦》」と並行させて語っている。
整理しよう。鶴屋さんからの〈読者への挑戦〉の範疇はあくまで「犯人の名前は何?」であり、それはメール文3を主軸に、メール文1,2をヒントに解答を導出せよ、という問題だった。これが最も狭いメール文中という「推理の範囲」から導出された、第一の解決である。この範囲をメール文ではなく部室内まで拡大したものが第二の解決、部室から更に拡大し学内で線を引いたものが第三の解決だ。
第一の解決の際の出題者=主犯は鶴屋さん個人である。
第二の解決の際の出題者=主犯は鶴屋さん個人、共犯者Tである。
第三の解決の際の出題者=主犯はミス研(+T)、共犯者は鶴屋さんである。
単なるミステリ短編であれば、第三の解決で終わってしまって構わないだろう。いや、もっと手前、第一の解決や第二の解決で終わってしまっても、ご都合主義の違和感は残るかもしれないが、鶴屋さんからの挑戦状は解決しているのだから、幕引きとして十分ではないだろうか。
しかし、この第三の解決を提示しても、まだ物語は終わらないのだ。まだ、谷川流が提示した有限の範囲よりも狭い範囲の解決しか、出ていない。
・そして?
古泉とキョンは、さらにこの状況についての会話を廊下で進める。前回の記事で引用した、チェーホフの銃の話もこのパートで語られたことである。
「あなたはワトスン役として最適でした。絶妙なタイミングで絶妙な疑問を呈してくれていましたね」
今日のキーワードはタイミングということでよさそうだな。「あなたが発した疑問は実に当意即妙なものでした」
自分の感情に素直に従ったまでだ。
「本当は、すべて解っていたのではありませんか?」
キョンが実は狂言回し的な存在なのではないのかと、古泉に問われる。全てのキャラクターは言ってしまえば谷川流の思うように動かされてしまうという状況でキョンに対してこのように突き付けることは、この物語の存在を不安にさせてしまう。えてしてパズル要素の強いミステリーはそのキャラクターたちの行動の合理性や滑稽さから、人間が描けていないと言われてしまうのに。
「むしろ僕は緊急解答役として期待されていた節があります。ダイイングメッセージに関してのみ、適切なヒントがありさえすれば、少なくとも僕と長門さんだけはXXXXX氏の名前に到達する可能性が高かったんですよ」(伏字については筆者による)
と、古泉も自分が何らかの役割をSOS団の外側(この場合はミス研や鶴屋さん)から与えられていたということを自覚している旨を供述する。自らがキャラクターであることを知りながら行動すること、そもそも古泉=機関は涼宮ハルヒ=神が世界を作っている派ではありますが、今回はいつにもまして(作者の代弁者のように)喋ったこともあり、説得力が段違いです。
続けて古泉は今回のハルヒによる物語の影響、先程あと回しにした「なぜ、ハルヒの謎解きが当たっていないのか、と。この世界において、ハルヒは神であり、彼女が無意識に望んだことが現実になってしまうというルールで動いているのではなかったのか」について言及します。
「エピソード1を読み終わった後、涼宮さんが思いつきの推理を口にしたでしょう? 僕は、その思いつきが真相であるか、後のエピソード2や3のトリックとして使われるのではないかと危惧していたのですよ」
「いや、言い当てるどころではなく、涼宮さんが思いついた当てずっぽうの直感が、そのまま真実へと変化していたでしょう。鶴屋さんたちが、あらかじめ用意していた解答編が、その瞬間に書き換わり、あたかも最初から唯一の真相であったかのように提示されていたと思われます」
推理ゲームの結果がハルヒによって歪められたものかどうか、俺たちには、つうか、この世の誰にも確かめようがない。
「その通りです。後期クイーン問題は、探偵役があくまで物語構造の中にいるから成り立ちます。彼等は物語構造の外側を認識することができないのです。当たり前ですね。探偵役は作者でも読者でもないので、物語内で描写された物事以外は知り得ないのは当然でしょう」
[中略]
「しかし、涼宮さんにはそれができてしまう。彼女は我々が存在する、この現実に干渉し影響を及ぼすことができるのです。」
ここでハルヒの存在、無意識による世界変換と後期クイーン問題が接続されます。《読者への挑戦》の話の際に、古泉は作中世界と現実世界の境目を曖昧にする方法として、作者名=キャラクター(探偵や助手)名を使うことで、シームレスに物語本文から離れた《読者への挑戦》を挟みこむことができると語っていました。しかし、たとえどこまでキャラクター名や時代、舞台などを重ねていってシームレスにしていたとしても、虚構は虚構、現実は現実です。こと涼宮ハルヒを除いて。
彼女には、願望を実現する能力がある
勿論、これもあくまで「涼宮ハルヒシリーズ」のお約束であって、我々の生きているこの世界から観測すれば虚構にすぎない。のだろうか。
更に古泉はハルヒによる虚構と現実の両方への介入について言及する。これは「世界が3年前に、"涼宮ハルヒ"の誕生によって生まれた」とする古泉の仮説を補強するものでもある。
「仮に涼宮さんが犯人当て推理小説の探偵役だとしましょう。そして彼女は、物語構造の内部にいながら物語を恣意的に書き換えてしまう能力がある。するとどうなるか。ストーリーの展開は作者でも読者でもなく、一人の登場人物の無意識と直感により、変容してしまうのです」
[中略]
「なぜなら、涼宮さんの改編能力は物語外部の世界にも影響を与えるだろうからです。仮にその本を読んで一度目と二度目で犯人が違っていたとしましょう。しかし、その読者は違っていたことに気づかない。二度目の真相が現実化すれば、一度目に違った真相を読んだ、という記憶も改編されるんです。同じ本を再読し、そして同じ内容だったと思うことしかできないでしょう」
ここまでの論のなかで、何度も「谷川流が古泉そのほかキャラクターを通して読者に語り掛けているのでは」という仮説を立てていた。そして、この古泉とキョンの掛け合いもまた、谷川流と我々との間で為されてしまっているのではないだろうか。もしかすると、我々が読んでいる目の前の本は、"涼宮ハルヒ"の無意識によって開くたびに内容や展開が書き換わっているが、誰もそのことに気づかず、感想や考察をしているのではないか・・・。
・不確定的マトリョーシカ
涼宮ハルヒの直観は、とてつもない入れ子構造になっている。内側から見ていこう。
・最も内側にあるのは、鶴屋さんから送られてきたメール内の物語である。これは鶴屋さんが登場人物となり、体験した話を下敷きとしたフィクションである。
・その一つ外側にあるのは、この物語内においては、SOS団+Tという部室空間である。
・その一つ外側にあるのは、この物語内においては、SOS団、ミス研、鶴屋さん、谷口他が存在する北高である。
・その一つ外側にあるのは、谷川流が記述した『鶴屋さんの挑戦』という中篇(この物語)である。
・その一つ外側にあるのは、当該中篇を含む三つの物語が格納された『涼宮ハルヒの直観』という本である。
・その一つ外側にあるのは、我々がこの本を開いている「この現実」である。
それぞれの物語や世界は、より外側の世界から観測されることで、謎が発生したり、解かれたりする。最も内側の物語はそれだけでは謎ではない。しかし、鶴屋さんによる叙述と、SOS団による推理によって、それは問題文となった。更に物語の後半、鶴屋さんから投げられた謎だけでなく、その外側の世界にも目配せをした謎解きが展開されていった。
本書を離れた外側の世界に読者がいるということについて著者・谷川流が意識的であることは前半でも述べたが、さらに最終場面で古泉に涼宮ハルヒの無意識は物語を書き換えることが可能だ、と語らせることによって、さらに一つ外側を作ってしまった。
・その一つ外側にあるのは、涼宮ハルヒの無意識によって我々読者すらも操られているかもしれない、という想像力によって支えられた世界(観)である。
これについて、我々は自分の意思で生きているだろうか、より高次な存在によって操られる人形ではないだろうか。と一足飛びに不安を語るのはSF的な手つきかもしれない。ここでは不安をもう少しミステリーに寄せることにしよう。
我々は、解がより高次な存在によって逃がされてしまう"ような"、真実の決定不可能な世界で何を選びとればよいのか。
『涼宮ハルヒの直観』一冊では、この不安に対しての答えを得ることができない(……もしかすると、『あてずっぽナンバーズ』『七不思議オーバータイム』を組み合わせることで、答えを得ることができるのかもしれない?)。
ならば、この世界でできる方法から、つまり本棚の前(あるいは書店)で異なる本を開くことから、答えを探してみることにしよう。
『文学少女対数学少女/陸秋槎』編に続く。
ver.0.8/ 2021.4.20公開