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一緒に不安になりましょう

トンネルの始まり

この年末年始はとにかく最悪だった。
2023年の間家族含めずっと何かしらの体調不良に悩まされ、一度風邪を引けば咳が永遠に止まらないし、大腸ポリープも取ったし、新型コロナウイルスにもかかったし、自宅の給湯器から漏水して階下のお宅にまで被害を及ぼしてしまったし、1円ハゲは出来るし、社内のパワハラ問題に巻き込まれるし本当に本当にしんどいことがたくさんあった。
その大トリを飾ったのがインフルエンザ発症だった。
自分の記憶にある限りではおそらく初めて40度 を叩き出し、その体温計の数字を見ただけでKnockOutである。

本当であればその日は地方へ1泊の出張に行く予定だった。
そしてその出先で推し(星野源さん)の超久しぶりのCDリリースの店舗展開も見てこようとウッキウッキだった。
しかし先述の通りの発熱で、気のせいかも知れないから検温せずにとりあえず新幹線に乗ってしまおうかと一瞬だけ思ったけどどう考えても身体が熱いので測ってみたら40度だった。
ここへきて自己記録更新しなくても…(泣)

解熱剤を飲んでいるにもかかわらず丸一日体温が39°を下回らず本当に本当に苦しくて大人なのに泣いた。何とか残っていた体力を絞り出して診てもらった発熱外来の先生にこれはしんどいねと言われただけでも泣いた。
多分この時点でこれまで耐えてきた気力みたいなものが完全にゼロになったんだと思う。

幸い抗ウイルス薬も効いたのか受診した翌日には37度後半まで下がってくれたけれど、それと引き換えにメンタルは徐々に落ちていき、例年よりもかなり早く強制的に仕事納めしたしどこにも出掛けられないから家で死ぬほどDVDや配信を見てやろうと思っていたけど積極的には見られなかった。
唯一頑張らなくてもすっと身体に入ってきたのはラジオだった。
だからリリースしたばかりの源さんの楽曲(光の跡:名曲of名曲)もずっとラジオでかかるものばかり聞いていた。

大晦日~元日

そして大晦日の夜。
一人隔離部屋で見る紅白歌合戦はちょっと、いやかなり寂しかった。
(と言いながらも、源さんの出番は一人できゃーきゃー言って騒いでいた。パフォーマンス本当に素敵でした♡)
私はなるべくお正月はきちんと迎えたいと思うタイプだが、家人はそうでもないようで、これまでも私一人が空回りだったのかなと思うと全てがむなしくなりどうでもよくなった。
全然明けましておめでとうの気分でもなかった。

でも年が明けたら外出自粛期間も明けるし何が何でも初詣に行こうと固く決心していた。
きちんと一年の初めに御参りして今年はとにかく健康に過ごせますようにとお願いしようと思った。
そして実際その通りにした。
年をまたいで持ち越した課題をクリアしたような気分だった。
やっと少しだけほっとした気分で境内で振る舞われた甘酒を頂いていた時に誰かの緊急地震速報がなった。
能登半島地震だ。
すぐさまスマホで確認しかなり大きな地震だと知る。周りの人達もざわざわしていた。

私はその時真っ先に「私が自分勝手に自分の健康だけを神様にお願いしたらバチが当たったんだ」と何故だか思ってしまった。
もちろん独りよがりでバカげた考えだと頭では分かっている。
でも病み上がりで心も弱っていたからとにかくネガティブの方へ意識が向かってしまった。

メッセージ

もう怖くてネットニュースやSNSも見れないと思い家に帰ろうとした時に源さんのInstagramのストーリーズの通知が来た。

源さんからお知らせはいついかなる時であろうと指が勝手に開くを押すようになっているので当然その時も何も考えずに見た。

そしたら津波警報を知らせるニュースの画像と共に、ニュースを知らない人がいたら警報が出ているから逃げて下さいと避難を促す内容だった。

地震発生からそして警報発令から間を置かずすぐに(自分のフォロワーにはなるが)不特定多数の人に向けて、逃げて、あなたの命が危険ですとメッセージを発信出来ることが凄いと率直に思った。

何が出来るか、何をすべきか瞬時に判断しちゃんと情報のソースも明示して発信する。
なかなか出来ることではない。

私も源さんの発信のおかげで津波の情報を知ることができ、夫にそっとその旨伝え家でテレビは見ないことにした。まだ幼い娘には刺激が強すぎるからだ。

ラジオ

元々おめでたい気分でなかったところへの天災のニュース。またすっかり落ち込んでしまった。
被災された方へ想いを寄せる一方で東日本大震災で経験した得体の知れない不安感を思い出し心のざわざわが収まらなかった。
あれほど心の拠り所にしていたラジオも震災のニュースが怖くて聞けなかった。

1月2日の星野源ANNはどうなるだろう。
収録放送だけどもしかしたら中止になるかも知れないと思っていた。
ところが当日こんなお知らせが来た。

急遽生放送。
お正月休みのはずなのにお休み返上で生の声を届けてくださることに本当に感激した。
源さんとチームの皆さんに感謝すると同時に今一番聴きたい声が聴けることに心から喜んだ。

そして1月2日25時(日が明けて1月3日午前1時)
初めに震災関係のニュースがアナウンサーの方から読まれたあとに、「こんばんは、星野源です。皆さんいかがお過ごしでしょうか……さぁどんなラジオにしましょう」で始まった。

勝手な私の憶測だが、冒頭のこの少し言葉を詰まらせながらの一言で、源さんも迷ってるんだ、きっと私(たちと)同じようにざわざわしていて、どうしたらいいのか答えの出ない問いを抱えたまま今マイクの前に、言うなれば丸腰で座ってるんだと感じて一気に私の緊張が解けた。
そしてその後タイトルにある通り「一緒に不安になりましょう」と言ってくれた。

この一言にどれだけ救われたことか。
家族や近い関係だからこそ不安だ辛いと言えない事もある。その声に出せない気持ちを肯定してもらえたようで本当に嬉しかった。

ラジオもくだらなかったです。
最後の3つ目の乳首には夜中だけど爆笑した。

ズッ友

源さんはずっとリスナーは友達じゃねぇと言い続けているけれどこの日の放送はやっぱり私たち友だちじゃない?と勘違いしてしまいそうだった。
だってあの場にいた(TF聴取で時間軸が違ったとしても)パーソナリティ、スタッフ、リスナー全員が同じ目線の高さで互いの声に耳を傾けあっていたのだから。

放送後のこの写真には多分第三の目で見たら大勢のリスナーも写っているのかも知れない(ホラーではないです笑)

これを書いているのはOAからかなり日が経っているけれど今でも思い出して泣いてしまう。
あの同じ時間を共有したことは一生忘れない。

ストーリーズでの避難の呼びかけも、ラジオの生放送も星野源という人が今その時に出来る最大限な事を実際に行動にうつしたことが本当に凄くて本当に尊敬する。

常日頃周りを見て他人に愛を持ってないとこうした有事に即座に行動に移せないと思う。

まだ出口は見えない

今もまだ辛いニュースに心が痛い。
体調も悪い。
インフルエンザ→副鼻腔炎→花粉症(𝗻𝗲𝘄)とどうやら永遠に鼻水も咳も止まらないっぽい。
ほんの少しの負荷でカジュアルに発熱する微熱おばさんにもなった。
朦朧とする中応募した源さんのイベントも落選した。往生際が悪く何回も確認したがどうやら本当にお席はご用意されてないようなので、私の中でそのイベントは別の世界線での出来事だと思う事にした。
こんな感じで相変わらず現時点ではメンタルも低空飛行なのでSNSもネットニュースもなるべく距離を置くようにしてる。

でもラジオで源さんが不安をそのまま不安として受け入れると言ってたように、このどんよりした心も否定せずそのまま受け止めようと思う。
それだけでも気が楽だ。

今は光の跡が毎晩の私のおやすみソングになっている。
本当の意味での精神安定剤。


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