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玉鹿石《ぎょっかせき》〜太宰治と山崎富栄の歩いた道を、再びあなたと、歩く〜

奏《そう》が、先に外に出た。
続いて、三鷹市の太宰治観光ガイドのおじさん。

「いやー。雨、大丈夫そうですね。
じゃあ、私についてきてください」

わたしは、奏とおじさんに続いて、一歩外へ。
小雨は降っていたけど、
傘をさすほどでは無かった。

三鷹駅からすぐの、太宰治文芸サロン。
わたしが行きたいと行ったら、
「ふうん」
と、興味なさそうに外を見ていた奏。

でも、なんだかんだ、ついてきてくれた。
今日は、朝から曇り空。

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「ここがね。山崎富栄さんの、部屋の窓です」
サロンを出てすぐ右側。
わたしは、思わず後ずさった。
生々しくて。
まさか、
こんなにきちんと残ってるとは知らなかった。
ガイドさんが、山崎富栄さんの部屋の内部写真と
ポートレートを見せてくれた。
「綺麗な人・・」
思わず声が出た。
「へぇ」
奏も、少し興味があるように覗き込んでいる。


「でね。
この部屋の、道路を挟んで向側の
この、小料理屋『千種』さんが、
太宰の仕事部屋でね」

歩いて数歩。
この距離に、あの美しい山崎富栄さんと、
あの天才がいたんだ。

「二人のご遺体が発見された後、
ここに運ばれて、
検死場所にもなったんですよ。
今、お嬢さんが立っているところが、
霊柩車が止まっていたところですね」

わたしは、また後ずさる。

その時、ざーっと、激しく雨が降ってきた。
「ん」
と、奏が傘に入れてくれた。

小学校以来かな。
こんなに近くにいられるの。
わたしは、
太宰さんと山崎富栄さんのことを考えながら
平行して、奏のことを想った。

苦しい、苦しい恋をしている奏。

それを、ずっと見ているわたし。
奏は、
わたしのことなんて、気づいてないけれど。

奏は、自分の恋を隠さない、
隠さない。
まっすぐな、奏だから。
怖いくらいに。

わたしは、太宰と山崎富栄さんを、
奏の苦しい恋に重ねた。

「じゃあ、このまま、
二人が入水した場所まで歩きましょうか」
ガイドさんが、先頭に立つ。

わたしは、色んな意味で、どきどきしながら、
奏と歩いた。

奏がすっと一緒に入れてくれた
なんの変哲もない、
ビニール傘が、
(男の子らしくって、いいな)
と、すとん、と思った。


「けっこう、歩くのな」
ふいに、ぶっきらぼうに奏が言った。

「そうだね。
これから、二人で違う世界に行くのに
何を話したんだろうね」
「何を話したんだろうな」

少し、口をゆがめて奏が笑う。
自嘲するみたいに。
わたしは、そんな奏の横顔に、また苦しくなる。

「この石が、玉鹿石です。
太宰の故郷の青森では、磨くと
こんな風に、
バンビみたいな美しい模様になるところから、
玉鹿石。と、言うんですよね」

その、道路を挟んで向かい側。
もう、今は豪雨。

「お嬢さんの、足元、そこに、
二人の履物がそろえてありました。
その隣には、一升瓶。
青酸カリを飲むときに使ったようです。
二人は、お互いの腰に紐を結びつけると、
毒薬を飲んで、
まさに、ここから飛び込みました。
昔は、1秒間に1トンくらいの水が流れていて、
落ちたら上がれない
ドウドウ滝、人食い川、と、呼ばれていました」

わたしは、思わず、奏のシャツを掴んだ。
落ちるわけないのに。

奏は、淡々とした調子で
「その頃って、
青酸カリって普通に手に入ったんですか?」
と聞く。
おじさんは笑った。
「いえいえ。
やはり、
それなりのルートを使ったんでしょうね。
その上で、この激流に飛び込むんですから、
相当な覚悟でしょう」

おじさんは、それからも、
ご遺体の写真や
娘の遺体を眺める、
山崎富栄さんの父上の写真などを見せてくれた。

「太宰たちが、発見された時も、
雨だったんですよ。
ほら、野次馬が
傘をさしているでしょう?」

今日の豪雨と、
写真の二人が重なる。
太宰や山崎富栄さんの苦しみは分からないけれど
奏の苦しさが伝わってくる。

青酸カリの入手法を聞く、奏。
何の表情も読めない綺麗な横顔で、
川面を眺める奏。

わたしを、選んでくれなくていいから、
どうか、そっちの世界から、戻っておいでよ。
わたしじゃ、なくて、いいから。

雨足が、また、強くなった。
「帰ろう」
わたしの声は、雨音に消えていく。


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