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性別違和 ≠ 性自認

繰り返しになりますが、性別違和感とは4歳頃からの付き合いになります。これは否定しても否定できない事実として私の中に存在しています。

しかしながら、性自認は私にとって大きな意味を持つものではありません。男に生まれたのだから生物学的に男だ、と言う事実は受け止められることができるのです。だからといって、男になりたいとは微塵も思いません。

私の望みは男の特徴や雰囲気を自分から消すことです。若い頃は童顔だったこともあり、男の自分になんとかギリギリ我慢できていました。ですが、ここ数年の間で我慢の限界を突破してしまい、日に日に色濃く顔に浮き出てくる男の特徴に耐えられなくなりました。

このような気持ちの変化を経て、一つの疑問に気がつきました。「性別違和があるからといって、性自認は必ずしも生まれた時とは反対の性でなくても良いのではないか?」それに気がついたと同時に、私はMtFトランスジェンダーではなくて、明確に自分の性別を定義しないノンバイナリのほうがしっくり来ることにも気がつきました。

自分がノンバイナリであることを「発見」してからは、肩の荷が降りる思いでした。様々な違和感やプレッシャーから解放された気分でした。無理して生まれの性を演じなくてもいいし、反対側の性を演じなくてもいい。自分ではない何者かを演じることから解放され、自由を得たのです。

私は今まで以上に自分が好きになりました。これからはもっともっと、幸せに自分らしく生きてゆけるような気がしています。

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