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努力の仕方を忘れた

この春から転職活動をしていて久々に壁にぶち当たってしまった。

内容は控えますが、福利厚生などかなり理想的な条件が揃っていて即応募して書類選考も通過して面接までスムーズにこぎつけたのに、面接でいろいろと打ちのめされました。
世の中そこまで甘くないという現実を突きつけられることに。(面接対策を怠った自分が100%悪いけれど…)

自己PRでかなりつまずいてしまったこととPC環境に慣れていないことに難色を示されて(経験不問って求人票に書かれていたはずなのに)、心の中では「嗚呼、終わった」とテンションだだ下がりになってしまい、その後の質問も上手く飲み込めずちんぷんかんぷんな回答を連発していたと思う。
いい歳してあれは情けなかった。
落ちると確信しながらの約2週間の結果連絡待ち状態が正直ツラかったです。

悲しいことは悲しいけれど、それと同時に不採用連絡を受け取ったことでどこか解放されたような不思議なこの気持ちはちょっと複雑でもある。

夢もなければこれといってやりたい仕事があるわけでもない。
昔から人よりマイナスからスタートしている人生だからこそ、仕事=人生修行という考えがあった。
あえて苦手な職種で働いてきたけれど、前職では重荷が重なってしまい心がポッキリ折れて軽度のうつを発症した為それをキッカケに退職した。
退職はスムーズにいくわけではなく人手不足な環境から上司と新人から責められるという屈辱も味わった。
体調とメンタルの関係で迷惑かけてしまったのは申しわけなかったけど、自分の身の丈に合わない仕事は正常な判断力が失われて危険。
身の丈に合わせていくのも仕事で努力次第かもしれないが自分には無理だった。

努力って何だろうとも思う。
それなりに頑張っているつもりでも認めてもらえないことが多いです。
誰かが10くらいで済む努力を自分の場合は50頑張らないとダメなのかもしれない。
プラス40をどう頑張るかがなかなかできなくて毎回落ちこぼれるんだと思う。
それなら自分でも10でできることを…と考えるとそれは甘えなのかなと葛藤している。