自分の苗字が少し好きになった話

自分の苗字が好きな人は何れくらゐゝるのでせうか。

物心が附いた時分から好むと好まざるとに拘らず從いて廻り、他家への嫁入り壻入り、或いは養子入りでもしない限り生涯に亙って變はることのない家系、靈籍の刻印。「自分は何故この苗字なのか」「この苗字の起源は何處に在るのか」とは、自然と涌いてくる疑問です。現代に於いては個人主義が幅を利かせて「家」に對する意識が稀薄になり、親から子、子から孫へと傳承することも少なくなってしまひました。今や明治以前に先祖が何者だったのか、先祖は何のやうな生活をしてゐたのか、答へられる人の方が少ないかも知れません。每年、盆や彼岸などの墓參が繰り返されてはゐますが、さして興味や關心がない人も多いでせう。私もその一人でした。が、或る程度の年齡に達し、個人と云ふ「點」だけでなく家系と云ふ「線」に思ひが至るやうになると、俄然、氣になってくるものです。先祖供養の意義を認識するやうになったことも影響してゐるでせう。

先祖や苗字の起源を調べるには、思ひ附くだけで簡單に以下、幾つかの方法があると思ひます。

1)兩親、祖父母、曾祖父母、親戚等に訊く
2)戸籍を遡って調べる
3)墓地を世話してゐる寺院等に過去の臺帳を調べてもらふ
4)姓名に關する辭典等の書籍類を調べる
5)圖書館で地誌等の地域の歷史を調べる
6)ネットで檢索する
7)專門の業者に調査を依賴する

私が若い頃に親から聞いてゐたのは、大東亞戰爭後のGHQに依る農地改革の所爲で、曾祖父が農地を多く手放さゞるを得なかった話です。高校時代には日本史の敎師が賴みもしないのに學級の一人びとりの苗字を見て先祖の身分を診斷し、私の家系に就いては農民の家だと言はれたこともありました。なので、豪農とか庄屋とか云った家系だったのではないかと長らく思ってきましたが、結論を言ふと「半分中り、半分外れ」と云った感じです。敎師の言ふことなど好い加減なものですね。

それからかなり時閒が經ってしまひましたが、1)、4)及び6)の手輕な方法を用ゐ、改めて調べてみました。手輕とは云っても、最近はネット上に多種多樣なコンテンツが揭載されるやうになってゐて、以前であれば調べるのが困難だったことも比較的容易に調べられるやうになってゐます。苗字であれば『日本姓氏語源辞典』が詳しい。但し、この辭典で私の苗字を檢索したところ、後で判ったことですが、細かいところで微妙に不正確な點や誤解を招く點が書いてあったので、内容を鵜呑みにするのは禁物だと感じました。參考にはなりますが。

ネット檢索は、幾つかの檢索エンジンを使ひ倒し、判明した事柄があればそれも追加して改めて檢索し、しつこくしつこく調べます。すると、薄皮を剝ぐやうに少しづゝ過去が明らかになっていきました。意外だったのは『駅メモ!』の揭示板に、私の家系に關する情報が書かれてゐたことです。碩學は何處にでもゐるものですね。

調査結果。通常よくあるのは、住してゐる土地や領してゐる土地の名を苗字にする例です。しかし私の苗字は、さうではありませんでした。初代に當たる人物は、とある一連の「事件」に大きく飜弄され人生がすっかり變はってしまひ、嘗て住してゐたが今は遠く離れざるを得なくなった土地の名を苗字にしてゐたのです。乾いた感性からすると「◯◯(土地)から來た人閒だから◯◯(苗字)を名乘ったゞけ」と云ふ見方も出來ますが、私には、とてもとてもさうは思へませんでした。これまで生まれ育った懷かしい故鄕、しかしもう歸ることが叶はなくなった故地… さう考へると自分の苗字に對する見方が急に變はっていきました。先祖の無念に思ひを致さゞるを得ません。

先祖には申し譯ないのですが、若い頃の私は自分の苗字を長らく「ぱっとしない」「少し野暮ったい」「もっと恰好が良ければ」などゝ云った見方をしてゐました。姓名判斷で觀ると凶ではないにしろ大吉と云ふ譯でもない畫數。「でも、これで良いのだ、いや、これが良いのだ」と思ふやうになったのです。自分の苗字を全肯定しました。歷史上、他所を探してもこんな由來の苗字は滅多にありません。若しかしたら唯一かも。

苗字の起源を調べるだけでなく、初代に當たる人物の下の名前に就いても考察を巡らせました。一見すると普通にありさうな名前なのですが、よくよく考へてみると尋常ならざる名前であることに氣が附いたのです。ぼやかした解り難い、下手な譬喩で恐縮なのですが、一言で表現すると「先祖が零落して手放した柿右衞門の茶碗を、尊敬する師匠から形見として改めて受け取り、師匠の死を契機に、それを寺院に奉納した上で、自らの名前も柿右衞門に改めて自らの魂に刻み込んだ」やうな名前なのです。これだけ讀むと「ワケワカンネー」と思はれるでせうが、きちんと書くと身バレするので、こゝではこれ以上に書けません…

その他、眞っ赤な他人と云ふか、對立さへしてゐた家系の子孫が私の先祖を自分の先祖だと思ひ込み苗字すら變へてゐた話、家系の佛敎の宗派が何故◯◯宗なのかの理由、本家と分家で讀み方を分けてゐたらしいこと、なども判りました。色々に調べると面白いものです。

初代に當たる人物の人生は中々にドラマチックなので、結構に難しいかも知れませんが、そのうち『Wikipedia』に記事でも投稿できたらな、などゝ妄想します。

(令和五年三月廿一日 彼岸ノ中日ニ識ス)

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