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東京マサラ部室大久保移転構想(妄想):カレー哲学の視点(1/2〜1/8)

お正月気分もすっかり抜け、今年もカレーやっていこうなという新鮮な気持ちでいっぱいです。2019年末、コロナ直前の3週間程度のインド・バングラデシュ旅行の最中に考えていた、カレーの作り手が集まれる場所を都内某所に作りたいという目標はひとまず達成し、2021年はひたすらやりたいことを追求してやってきた一年でした。

今年初の外カレーはアンジュナ。ラッサムがソリッドでかっこよかったです。

巨大なカレー曼荼羅とともに迎えた2022年ですが、今年もカレー活動として
やりたいことがいくつかあります。妄想は必ず現実化する、というか実現させてしまう性分なので最近考えていることを言語化してみます。

2022年やること3つ

東京マサラ部室大久保移転プロジェクト

現在豊島区の住宅街にある東京マサラ部室ですが今年の秋で2年となり、スパイス入手やアクセスの観点から別の場所に移転したいと考えています。

今の場所も都心へのアクセスはそれほど悪くないしそれなりに理想的な空間は作れているとは思うのですが、すぐにスパイスが手に入りもっと外部との交流がしやすい場所にあったらいいなと思うことが増えました。

場所としては大久保じゃなくてもいいのですがスパイスや食材が入手しやすい大久保近辺にいけたら最高だなと思います。新大久保にはいまはネパール人やバングラデシュ人が多くてインド要素は少ないのですが、謎のインド的空間を作りたい。もう、カレーの村みたいな遊び場になったら面白いんじゃないかと思います。

シェアハウスという形には別にこだわらなくてもいいし、ウェットな関係性は別にいらないと思うのですが、インド料理の作り手が集まることで1人だけではできないような研究活動を行う「ラボ」、創作やものづくりを行える「アトリエ」、広くて本格的な道具がシェアできる「キッチン」を兼ね備えた遊び場。
サードプレイスという言葉はもはや陳腐化していますが、現実を離れてインドを追求できるような安い居場所を作ってこの世界を生きやすくしたいです。もちろんタンドール窯とサウナはマストでほしいけど。

家族という概念も多様化し、必ずしも血縁のある人だけを家族とするわけではない現代。様々な縁を通して人間関係が広がる中で、カレーの縁や趣味の縁でつながった他人と暮らす東京マサラ部室のような関係もこれから加速度的に増えていくのだと思います。

さらにちょっと先の未来の話をすれば、ポストコロナが訪れたら自分は長いことカレーの旅にでるつもりです。そんなとき同じような人たちは多分たくさんいて、それぞれのタイミングで旅に出て、何かを持ち帰ってきたり、帰ってこなかったりするはず。旅人たちが出入りできて、いつでも安心して帰ってこれるような場所があったら素敵だなあと思います。

一緒にやりたい人がいたらぜひ一緒にやりましょう。お声がけください。


食の哲学探究

「カレー哲学」などという大仰な名前で活動している割に自分が真剣にカレーを哲学できていないことを、事あるごとに痛感し続けています。論が浮いていてインプット量も足りず、これではカレー哲学者ではなくカレー衒学者だと言われても仕方がありません。
もちろん自分のポンコツ頭には限界がありますがカレーへの引っ掛かりを作る網の目がまだまだ粗い。自分のバックグラウンドは西洋哲学なのですが、2022年はカレーと人間の営みということにもっと真剣に向き合い、本を読み、考えて、掘って、書いていきたいです。

所望して入った哲学の研究室にも関わらず知識マウントをしあう学生が多かったのもあり、なにか哲学というものに対して斜に構えたまま大学を卒業してしまったフシがあります。哲学というのは誰のためでもない自分のための問題を考えることであって、どこまでいっても自分ごとなのに。

当時の研究室では「哲学は知の総合格闘技」だというようなことが言われていました。体育会系というものが根本からバカ嫌いな自分はそこにまず反発を覚えたものですが、対象は何であってもなにかに泥臭く情熱を持って本気でがっぷり取り組めるのって素敵なことだなあと思います。

カレーというものをつぶさに、丹念に見てみることで、そこをとっかかりに人間という存在、世界の不思議さが見えてくる。曖昧でアメーバのようで消えそうな透明な概念、カレー。身近なのにとっても遠くてZ軸方向に無限の広がりを持つようにも思えるカレー。
人間はカレーを作り、カレーによって人間は人間になった。人間は料理をしますが、カレーほど不思議な料理はなかなかないと思います。料理の中でのカレーの特殊性だったり、膨大な歴史をぶらさげながらもダイナミックに時代を作り出していくカレーについて、言葉を弓矢のように放ちながら泥臭く考え続けて行きたいです。

折を見て大学にも戻ってカレーを軸に哲学研究をしたい。


あらゆる形態・媒体を通したカレーの表現活動

カレーの物語を作ること、カレー作りのクオリティを上げていくことに力を入れていきます。

動画制作も文章も写真もカレー作りも、あらゆる創作活動の根本的な部分は全く同じだと考えます。それは一つ一つがカプセル化した独自のロジックをもつ言語です。
なるべくいい材料を集めて、もしくは粗悪な材料でもなんとか工夫して骨格を形作り、自分なりの分析や総合を行って咀嚼しスパイスを効かせる。言語化できない部分も多いとは思いますが、それはカレー作りのプロセスそのもの。
解像度の高さや思考の深さ、かけた時間や情熱などはモロに創作物に反映されます。限界はあるしセルフブラックを称賛するわけではないですが、身を削って血反吐吐いて作り上げたものはやっぱり魂こもっているなって思うし、素人目に見ても伝わるものです。情熱をもって何かを作り続けることは今後もやめられないし、クオリティを高めることを途中で諦めずにまだまだやっていきたい。



こんなところでしょうか。
東京マサラ部室としては今後も月ごとのテーマを決めつつ多角的にインド料理とカレーを掘っていきます。
もっと色々な場所へ出かけていってカレーを作りまくったりしたいのと、アウトプットの質と量を上げていって早く人間になりたい。

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