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東京マサラ部室一週年イベント!/カレーは祈り/アーンドラ料理レシピ:カレー哲学の視点(21/10/3〜10/9)

マサラ部室一周年イベント、来週10/16もあります

東京にインドを作るために始めた東京マサラ部室の活動も10/10で一周年となりました。まだまだ道半ばですが、バナナリーフミールスを会場の全員が勢揃いで食べている様子は完全にインドでした。サンバルサーバーの素振りの成果も存分に発揮されて、おかげさまで左腕が筋肉痛です。疲れ果てて飯を食べる判断力がないまま適当に入った代々木の豚汁定食がおいしかったことだけ覚えています。

9月はずっとアーンドラ料理を作っていたため、成果発表の場を与えていただいたことに感謝です。
メニュー構成はこちら。忙しすぎて何にも写真取れなかったので試作時のものですが。

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Majiga Pulusu...バターミルクで作った謎汁
Puli Rasam...トマトと豆を入れずタマリンドとスパイスだけで仕上げたすっきりラッサム
Cabagge Vepudu...キャベツのスパイス炒め
Vankaya Kura...なすのピーナッツカレー
Mudda Pappu....粘度高めのダール
Pulihora...香り高いタマリンドライス
Lemon Avakkaya...レモンアチャール
Ghee...澄ましバター
Pink salt...岩塩

今回のイベントについて、じょいっこさんもnoteで紹介してくれました。うれぴ〜!

来週10/16はハイデラバーディビリヤニを炊くヨ。予約受付中です。


カレーは祈り

生活が乱れているとき、忙しくしているときに頭も心もとっちらかる。

たびたび限界突破すると、脳が働かずバブみにあふれてしまい赤ちゃん言葉しか喋れなくなってしまう。そんなとき、自分は決まって練馬のケララバワンに向う。もはや決断リソースは残っておらず、食事場所の選択すらできない状態だからだ。

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他の一切を排除し食べものと向き合うことは一種の瞑想だ。なるべくならスプーンを使わず手食で食べ物に触れる。指先にバスマティライスの粒が当たる感覚、熱すぎて触れないものを体内に入れられる温度まで冷ますようにかき混ぜるときの動き、鼻に近づけたときに抜けるスパイスの香り。ひとつひとつ、身体の表面で感覚することを流さずに受け止めてゆっくりと食べていく。

そのとき、未来も過去もない。世界にあるのは「いま、ここ」の自分とカレーだけになる。

これだけのことだが、一切を排除してゆっくりと食事に集中することは一種の祈りになりうる。カレーは自分を見失わないための錨であり、戻る場所となる。そういう意味で僕にとってカレーは祈りだ。

カレーを作ることも一種の瞑想のようなもので、目の前の鍋の変化に集中し手続きを踏んでいくうちに固まった心がほぐされていく。少々単調な、玉ねぎを刻むリズムにも落ち着きを取り戻す効果があるかも知れない。

祈りときくと形式的で宗教的なものを連想するが、もともとはそういう、いつでも「いま、ここ」に戻ってこれる日々のルーチンが生活に組み込まれた結果なのかもしれない。

祈りは一瞬で終わるものではいけなくて、決まった手続きを踏みつつも心を無にして取り組めるような何かであればなんでもよいのだろう。


シェフレピ

シェフレピでカジャセットを作ったときのレポ。


アーンドラ料理のレシピ

イベントで出したアーンドラ料理のレシピを少しずつ公開していきます。

まずはトマトとダールを使わないスッキリとしたラッサムのレシピ。ラッサムパウダーを直前に焙煎して挽くのがポイント。



7月スリランカ月間まとめ

7月に一ヶ月間取り組んだスリランカ料理に関するまとめ記事をやっと書きました。

一ヶ月取り組んで考えたこと
①スリランカ料理と南インド料理は似ているようで全く違う。
②日本で独自の発展をしているスリランカ料理が多数ある。
③参考になる日本語文献が全然ない
④ココナッツミルクはカラダによい
⑤スリランカのお菓子がおいしい
⑥バナナリーフ包とランプライスは違う。


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