25.マルクスと歩む経済の物語 〜過去の社会主義とゆとり教育〜

平たく言えば、価値が労働時間で決まるという労働価値説に立脚することで、労働者に支払われる賃金が掛けた時間に見合わない、つまり搾取の構造が存在することが明らかになった。そして、だからこそ(賃金を見合った額に引き上げるというよりは)労働時間を短縮すべきだという結論に至った。

しかし、これはマルクスが理想とする自由の王国を実現するための必要条件であって、十分条件ではなかった。それだけでは暇を持て余すだけの人間が生じてしまうためであった。そしてその結果として衰退してしまった過去の社会主義体制(を名乗っていたもの)は、資本主義体制の格好の攻撃対象となってしまった。

教育の場で、あるいは実践的な労働を通して基礎的な技術(基底)を必要なだけ習得させることも加えておかなければならなかったのである。(ヒルベルト空間を与えること)

エーリッヒ・フロムは「〜からの自由」と「〜への自由」という言葉を用いている。前者は束縛を断つことであり、後者は任意性を獲得することである。任意の、つまるところ全てのベクトルは基底の線型結合として表すことができ、基底の選び方に制限はないのである。

ゆとり教育においても、本来の主旨である基礎的な考え方の技術を教えることのできる人材が不足していたために全く同じ形で衰退することを余儀なくされてしまった。

マルクスはまた労働を尊重していた。そしてそのことは多くの人間から労働時間短縮という方向性に矛盾するのではないかと誤解されていた。

労働によって人は貧困と欠乏からの自由を手にし、その延長線上に創意工夫によって実現される短時間労働があるのである。つまり、短時間労働は労働の部分集合なのであり、なんら矛盾はしていないのである。

更に言うならば、貧困と欠乏からの自由のための作業を労働と呼び、自由の王国への入国の自由を実現するための作業を仕事と呼べば、アレントは批判しながらにしてその対象と同じ結論に達していたことになる。

しかし、である。マルクスにとっての公理とも言うべき労働価値説であるが、誤解していた人々の言うように問題もある。

労働しさえすれば良い、あるいは労働にかこつければ何をやっても良いと考える人間が生じてくるのである。

労働価値説の起源はマルクスが対立する資本主義にある。さすがに本家ではこの問題点を取り除く工夫がされていた。

労働しさえすれば良いという考えを自然な形で規制するためにこそ需要という概念と競争という概念は必要だったのである。

需要のない物を供給するための労働なんて無いし、時間稼ぎのダラダラ仕事なんて許されなかった。

しかし、言うまでもなくこれら2つも問題を抱えていた。

腐り切った人間は免れて恥じることなく、需要などというものは作り出せば良いと考えるようになった。サプライサイドエコノミクスしかり、ケインズ理論を悪用した、官が存在価値を示すためだけの大型公共事業などである。

また、競争は単純な内容のものを同じ空間で行う場合には確かに効果はあるだろうが、知的財産権によって分断された空間の下では、無理なコストカットやそれに伴う犠牲者しか生み出さなかったと言っても過言ではない。

なぜこうもろくでもない結論ばかりが導かれるのかと言えば、前提が偽だからに他ならない。数学的には前提が偽ならば結論の真偽によらず論理は真であるため、ろくでもないことしか考えない皆んなが確信犯なのである。

前提とは何だったか。労働価値説である。価値は労働時間では決まらない。

価値あるものを需要することはあっても、需要したものに必ずしも価値を見出せる訳ではないし、価値あるものが労働によってしか手に入らなかったとしても、労働しさえすれば価値あるものが生じる訳ではない。

おそらく価値はそれを考える系の構造安定性によって決まる。更に言えば、価格もおそらくは生産者と製品の状態の安定性によって決まり、需要はせいぜい生産の意思決定がなされるときの初期条件でしかない。ジーマンが唱えていたカタストロフィ理論の応用を、もっと一般的な散逸構造の理論として検討してみる必要がある。

つまるところ私は既存のどの学派にも懐疑的である。

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