6.搾取と社会有機体

社会有機体説とは社会と生物の類似性を指摘するものである。

それは、分化と分業、解剖生理と生産関係の中に良く表れている。

分化においては、着目する細胞が発生のある段階でどこに位置していたかによって、享受する環境が異なるために、結果として、同一のDNAを有するにもかかわらず、その遺伝子の発現に制限がかかる訳であるが、実際、数学的に見ても社会と生物には類似性がある。

それらは散逸構造と呼ばれる。かつて一世を風靡したカタストロフィー理論もまた散逸構造の特殊な場合である。

散逸構造とは、流れの中で、仕事を熱に換えながら形成される構造である。

社会においてはヒト・モノ・カネ・情報が流れている。ヒト・モノ・カネも突き詰めて言えば情報である。むしろ、その区別よりも重要なことがある。

それは、情報と一口に言っても、それ自体の情報とそれの評価の情報とがあるということである。例えるならば、真値と測定値のような関係である。

評価が良いものでも、悪いものでも、それはそれの用途、言い換えるなら可能性を制限するのである。例えるならば、観測によって波束が生じるようなものである。

つまり、社会とは、それ自体の情報がそれの評価の情報に変換されながら形成される構造である。

そこで、ここでは、
「評価によって可能性を制限すること」
を搾取と呼ぶことにする。

典型的な例としては、労働力の価値を低く評価されたことによって長時間労働を強いられる場合や、評価は高くてもそのためにそれが全てであるかのように錯覚してしまい、長時間、労働に勤しむようになることなどがある。

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