お喋りには辟易するが黙りも問題だ——忘れられないパーティーの話
「黙り」は〈悪〉かというお話。
場合により黙りが悪質や悪徳であることも当然あるだろう。緊急の事態で、当該の人物が黙りを決めることで人命が危機に晒されている、それでもなお黙りをつづける……等々。ここではそのような特殊な文脈でのことではなく、またフーコーが論じた「告解」や「白状」のように高尚な話でもなく、ごく一般に性格や気質、また信念としての黙りについて書いてみたい。
わたし個人はお喋りを好かずあるいはお喋りに嫌悪感すら催すことがある。よくもまあ他人の私的事情をペラペラと…