自分の幸せの見つけ方
僕はINTJ-Aという、論理と独立心を重視する性格タイプだ。
未来志向で、長期的な目標に対して計画的に行動し、自己成長を追求する。
社交は控えめにしつつも、深い洞察を求めて日々の生活を効率的にデザインしている。
INTJ-Aは、建築家型と呼ばれる。それぞれの頭文字は下記。
内向型 (Introverted)、直観型 (Intuitive)、思考型 (Thinking)、判断型 (Judging)、自己主張型(Assertive)。
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・幸福を探す旅
AI時代の幸福論というものを考えている。
ずっと幸福とは何かみたいなことを考えつつ、文献をあたっているとあることに気がついた。
既存の幸福論の多くが語っていることによると、僕はどうも幸せとは遠いところにいるらしい。
でも、と思う。
どうにも僕は、今まで生きてきた中で一番幸福と言えるような状況なのだ。
自分のやりたい事もあるし、それに時間を割くために色々と工夫している。
自分で立てた計画をきちんとこなしており、自分自身としても誇らしい気分だ。
人間なので、たまにダラダラしてしまう時もあるが、まぁそこは仕方がない。
少なくとも僕はやりたいコトとやっているコトが一致している。
これを幸せと呼ばなくてなんと呼ぶのだろう。
調べたり、ChatAIと対話しつつ、自分なりに幸福論を考えていくことになった。
・幸福論の前提
大抵の幸福論は、他者を前提としている。
他者との関わりがなければ、それは不幸であるという言説のものが多い。
しかし、僕は他者との関わりはなるべく少なくしたいと思っている。
なぜなら、自分ひとりだったら色々と理想通りに生きられるのに、他者が絡むとそうではないからだ。
だから、別に他者からの承認もいらないし、他者との交流もそこまで求めていない。
むしろ、僕は自分自身が自分を認められるかの方が重要だと考えている。
というのも、他者と比べて自分の方が基準が厳しいので、他者からの承認で止めてしまっては良いモノやコトができない。
他者から承認されると、「ああ、このレベルで良いんだ」とやる気がなくなってしまう。
僕としては、もっとやりたいことややれることがあるのに、と思ってしまうのだ。
だから、他者からの承認はなるべく無視して、あくまで自分が良いと思うかを考えている。
別段、僕が優秀ということでもなく、基本的に単なる世間話みたいなものだろう。
世間話の適当な相槌的な承認に対して、真に受けてはいけないという程度の話だ。
こういった考え方をするので、むしろ他者からは離れていたい。
自分にはやりたいことがあり、極力それに専念したいのに他者が絡むとやたらと時間がかかる。
なので、なるべく他者を遠ざけて、自分のやりたいことに集中できる環境を作っている。
そうすると、自分の時間が好きなことだらけになって幸せなのだ。
僕にとっての幸せは、そういった環境で形作られている。
そもそも休日に朝5:00に起きる人間が幸福じゃないはずがない。
やりたいことがない時は昼頃まで寝ていたが、今は朝5時に起きてもやりたいことが多すぎて終わらないなんて嘆いている。
嬉しい悲鳴だ。
・一人ひとり
現代は、テクノロジーの力によって、個別化が一気に進んでいる。
例えば、何かを学びたいと思っても昔は教科書の種類が少なかった。
けれど、今はとんでもない量のテキストが出回っている。
昔は、執筆なんてプロの作家がやっていたが、ネットによって、
ブログ、僕が書いているnoteみたいなものも流行り始めた。
鉛筆で書くよりキーボードを叩く方が圧倒的に早いので、分量も増えている。
おまけに、現代にはChat AIまである。
ちょっと触ってみれば分かるけれど、問いかける言葉さえあればChat AIはとんでもない速度でテキストを作り続ける。
例えば、僕は毎日日記をつけている。
月-金で約3.5万文字、自分の日々についての記録がある。
けれど、同じタイミングでChat GPTに問いかけた出力は、約7万文字だ。
今週はあまりChat GPTに話しかけられなかったなと思っていたのだが、それでも僕が書いた文章の2倍も出力している。
既に出回っている文章の中にもChat AIが出力したものもあるだろう。
テキストは今後、どんどん増える。
つまり、テキストの出力は指数関数的に増えているのだ。
となると、生産性が低い際にはより汎用的なことしか考えられなかったが、今の時代はより個別具体的なことまで考えることができるようになった。
考えるツールが増えているのだから。
おまけに、Chat AIは24時間休みなく働くことができる。
単位時間辺りの生産性も非常に高い。
昔は出来なかったことが出来るはずだ。
昔は今ほどの大量のデータはなく、少ないデータ量から共通項を探っていくしかなかった。
けれど、前述の通り、現状はデータが沢山あり、より個別具体的なことを考えるツールもある。
そのため、今まで言語化できていなかった点や、今まですくい上げられていなかった点について追求することが出来ると思う。
人間の一生は短いが、短い中でより早くデータを探れるようになったのだから。
もちろん、自分にとっては無駄なデータも多い。
ネットにあるほとんどのデータが自分にとっては無駄だろう。
僕のこの文章自体もほとんどの人にとっては無駄に違いない。
となってくると、自分が気になることは主体的に取捨選択し、データを集める必要がある。
そして、唯一固有の自分というフィルターを通して、そのデータを解釈し、自分に適用できるかを調べる必要がある。
今の時代、科学論文ですら70%程度は再現性がないというデータすらある。
データは沢山ある。けれど、間違いも多い。
となってくると、自分で試して自分で効果があると思ったものを取捨選択していくしかないのだ。
これは別に現代に限ったことではないだろう。
過去もそうだったはずで、未来もその傾向が広がるはずだ。
だから、幸福なんて抽象的なものは、自分にあったものを自分で検証しないといけない。
これが正解なんていう万人に言えるような幸福論なんて存在しないのだ。
もちろん、それは何に対しても言えることだけれど。
とはいえ、何もとっかかりがない所から始めても時間が足りない。
既に先人が色々考えてくれているので、使えるところは使っていこう。
自分にとって興味がある範囲を調べて言って、自分にとって良さそうなものを選ぶことが大切だ。
・僕の幸福
前述の通り、僕は幸福である。
といって、僕は僕の人生しか知らないので、それがどの程度かなんて判断できない。
少なくとも、僕の生きてきた中では、1,2位を争うくらい幸福な状態である。
おまけに、それが結構長く続いている。2,3ヶ月くらいだろうか。
とはいえ、そもそも僕は僕しか知らないし、おまけに知り得ない。
他者のことを自分以上に把握することなんてできない。
だから、結局のところ他者を比較することになんてまったく意味がない。
比較対象があるとしたら、僕自身だろう。
そういう意味で、僕は昨日あるいはさっきの自分と比較して、ちょっとでも前に進んでいれば幸福だ。
僕にとっての幸福感とは「進捗感」である。
ちょっとでも良いので前に進んでいる感じがあると、僕は幸福を感じる。
別にこれは僕のオリジナルの考え方じゃなくて、モチベーション向上方法の一つだ。
モチベがあるからやるのではなく、やるからモチベが出てくる。
そして、その対象として僕は「自分がやりたいこと」を洗い出して、それに注力することにした。
やりたくないことのリストを作って、それをなるべく遠ざけている。
また、集中力がない状態でやっても進捗感が得られないので、休む時間をあらかじめ設定して、きちんと休む。
睡眠時間も削らない。
メリハリをつけることで、楽しみがさらに楽しめるようになる。
ポモドーロ・テクニックという方法で、集中と休憩を繰り返している。
これをすることで、締切効果という集中力向上の効能を得られる。
短時間でやりたいことを切り上げる必要があるので、「もっとやりたかったのに」と後ろ髪を惹かれる。
だから、また集中タイムが来ると、楽しんで作業に没頭できる。
具体的にやっていることは、読書と執筆だ。
また、最近はそれだけでなくChat GPTとの対話の時間をなるべく作るようにしている。
読書はinput、執筆はoutput(書いて整理したものを自分で読むのでinputも含む)。
Chat GPTはinputとoutputの両方ができる。おまけに、かなり高い濃度で。
本を読んでも既に書かれたものしか読めないが、Chat AIは、解答に対しての質問にも答えてくれる。
ちょっとここの部分がわからないな、とか。
この解釈であってるんだろうか、とか。
そういった、個別化がされている。
僕にとっては、自分の気になることを知る知識欲が一番重要なので、これは本当に助かる。
大抵の本は、何冊か読むと似たようなことしか書いてなくなる。
何冊も類似の本を読むうちに、「自分が知らない知識がどこかに書いてないか」と本全体の3%程度に期待するようになる。
砂漠から膨大な砂粒を探すようなことになるのだ。
おまけに、作者に聞けば一発で答えてくれるのかもしれないが、本は既に書かれたものしか知りようがない。
けれど、Chat AIであれば、それが読みたい文章かどうかはともかく、回答が得られる。
回答に対する質問にも答えてくれる。
ちょっとテクニカルに使えば、例えば「アインシュタインだったらどう答えると思う?」みたいに偉人を模倣して答えさせることもできる。
まぁもちろん、本人が本当にそういうのかどうかは分かりようがないけど。
とはいえ、単に読む/書くを超えて、知識欲を得る手段としては、現代においては最強・最速だと思う。
そんなこんなで僕は自分の好きなことを追求できるし、その方法がテクノロジーによってさらに追求しやすくなった。
自分のやりたいことは、すべて一人で出来る状況だ。
多くの人からみたら、部屋に引きこもってうじうじやっている僕のことを幸福だとみないのかもしれないが、僕自身は本当に幸福だ。
もちろん、僕みたいな生活は多くの人にとっての理想ではないとは思う。
大切なのは、他者の評価ではなく、自分の素直な想いで生きることだ。
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