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幸せとは差分である

最近、こんな時代に生まれて良かったと思う事が多い。
もちろん、今の時代でも不幸な人はいるだろう。
良かったと思うのは、僕の状況や環境に依っている。

とはいえ、恵まれている自分を皮下しても仕方がないし、そうすることで不幸な人が助かる訳でもない。
恵まれているものをそのまま受け取って、日々の生活を大切にするのが個人としてできることなんじゃないだろうか。
自分が普通だと思っていることの一つひとつに意味を見出すことで、普通の日常が特別になるのだ。

例えば、ここ数日で急に寒くなった。
そうなってくると、太陽が待ち遠しくなる。
散歩をしていても、日向と日陰では心地よさがまるで異なってくる。
人間というのは、差分でしか快楽を感じることができない。

寒いから暖かさにふれると幸せを感じる。その逆もしかり。
お腹が減っているからモノを食べると美味しく感じる。
けれど、現代はモノやコトが溢れたせいでそういった幸せのネジが壊れている。
食べることすら厳しかった時代とは異なり、24時間いつでもやっているコンビニがある。
深夜にモノを食べたいと思った時にすぐに欲求を満たせる。
お腹が減っていなくても、過剰な欲求に負けて夜中に暴飲暴食してしまう。

僕が小さい頃は、セブンイレブンは7時開店、11時閉店だった覚えがある。
だから、セブンイレブンというブランド名なのだ。
といっても、子供の頃にそんな遅い時間まで外に出ていなかったのであまり関係なかったが。
とはいえ、親は当然その生活リズムで動くから間接的に影響は受けていた。
20時や21時に寝るのなんて当たり前で、朝6時や7時に起きるのも当たり前だった。
今の時分の子どもたちがどうなのかは知らないが、夜中にコンビニに行くと親と一緒にいる子供をたまに見かける。

話がズレたが、今の時代は欲求を満たす方法がそこら中にある。
僕が小さい頃と今を比べても格段にその方法が増えた。
コンビニの話もしかり、スマホどころか旧携帯電話であるフィーチャーフォンもなかった。
だから、赤信号やエレベーターで止められた際に手持ち無沙汰だったのを覚えている。
まぁ、当時の僕は文庫本をポケットに入れて持ち歩いて、待ち時間は本を読んでいたが。

考えてみれば、物頃ついた時にはパソコンすら、インターネットすら無かった。
存在はしていたのかもしれないが、家庭には普及していなかった。
学生の頃に我が家に導入されたが、珍しいと言われたし、オタクだのなんだのと言われていた。
今や、パソコンあるいはスマホでネットをしない人の方が珍しい。

余暇の過ごし方だって、まるで異なっていたように思う。
小さい頃は、ディズニー映画のビデオを何回も何回も狂ったように見ていたのを覚えている。
テレビ番組を録画して見ていたり、本当は上書きしてはいけない大事な作品を上書きしてしまったり。
DVDはまだ残っているが、MDやカセットテープなんかは、もう過去の遺物だ。
恐らく、今の若い人に言っても通じない話なんだろうと思うと時代の速さをヒシヒシと感じる。

ギリギリ不便さが残る時代に生まれて、その後、様々な変遷を見てきた。
ネットは怖いものだという意識が僕にはまだ残っている。
息を吸うようにSNSを扱う世代とは、明確に異なっている。
個人情報には敏感で、といって、必要な個人情報は自分の意志で提示する。
mixiであしあとに疲れた僕は、インスタやX(Twitter)には魅力を感じない。
もちろん、Facebookのようなおじさんがドヤ顔するツールも苦手だ。

便利になった事は良いことのはずだったのに、過剰に便利になり過ぎた。
僕としては、最終的にはマトリクスのようにまったく動かずに脳内イメージだけで過ごせるのがユートピアだと思ってはいる。
(なお、映画の趣旨的にはディストピア的な扱いをされているが。ただ、普通に考えてマトリクスから解放されて、ドス暗いリアルで本当に生きたいと思うのか?)

要は、現代は中途半端な時代だとも思うのだ。
半端にリアルとデジタルがたゆたっている。
自動化されている箇所とリアルのまま放置されている箇所の差が激しい。
そういう意味でも、過去僕が見てきた変遷と同様に、まだまだ変わっていくのかもしれない。

脇道にそれまくっているが、結局の所、便利さの影に隠れているありがたさみたいなものを見つめ直したほうが良いと思うのだ。
わざわざ前時代的に戻る必要なんてない。
セブンイレブンは24時間営業を止めないとも思うので、逆光は求められてもいない。
わざわざ不便さに戻るほどの破綻は起こっていないので、少なくともしばらくはこの状態が続く。

それはそれとして、本来は一つひとつが奇跡のようなバランスや流れによって成り立っているということだ。
それを盲目的に良いものだとするのではなく、ただ、個人として有り難いと思うのは生きる上で必要だと思う。
ほとんどの欲求が即座に満たされるような異常な時代には、自分の価値観こそが重要だ。

いりもしないモノを求めないこと。
未来ばかり見ずに現在持っているものを再確認すること。
周りの同調圧力から離れて、自分の感情に素直になること。
そういった素朴な事が重要なんだと、切に思うのだ。

昔はスマホがなかったから、考える時間が沢山あったのかもしれない。
昔には戻れないから、タイムラインの更新やサービスのレコメンドにあらがって、立ち止まる時間が必要なのだと思う。
そうすることで、冬の日に太陽に感謝するような幸せを発見できるだろう。

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