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体調不良と読書

 167回目です。φです。

 いよいよ、台風がやってきます…どうか、誰も犠牲になりませんように。それしか言えないけれど。前回の反省を十分に生かし、不自由な思いをする人が少しでも減ることを私は祈ります。


はじめに、お祈り

 私は九州にいますが、それでも暴風に注意、とニュースでやっていました。全くもって圏内ではなさそうな九州ですら、そのアナウンス。直撃の場所はどうなるのか…。

 ここで「出社してください」という会社があれば、まぁどういう体制で人というかけがえのない資産を扱っているかが分かるというか…。

 台風や地震、その他の震災で私が一番心配なのは医療関係者の方々。彼らは人を助けるために、自分たちの危険を知りながらも働かなければならない。

 医療関係者も、自衛隊も、警察も。人を助ける方々が、どうか無事であることを。

 日本は地震大国。それにも関わらず、対応のひどさは有名です。残念なことにね。

 台風も、もしかしたら同じような結末を迎える可能性だってゼロじゃない。むしろ、高いかもしれない。

 それだけは避けられるように、を祈るばかりです。

 ではみなさま、自分の命を一番に考えてください!


スタート!

 さて、長くなりましたが今日のnoteは読書が与えてくれること、について書いていこうかなぁ。私という読書好きが今日は2冊読みたかった本をついに読むことができて、ものすごく喜んでいるので(笑)

 読書に関して、私はいくつかnoteをあげました。けれども、今日改めて読書っていいなぁ…と思ったので、書いちゃいます!

 私はなぜ今日2冊も読んでいるのか、というと、お仕事探し中兼体調不良らしいからです。多分体調不良なんじゃないかな~。

 私の難病、先天性無痛無汗症は症状のひとつに「微熱」とあって、原因も不明だけど昔から頻繁に微熱を出していました。

 昔はそんな難病だとは知らなかったので、「知恵熱だー!」と言っていましたね…今でも時折知恵熱だとは思っているけれど(笑)

 微熱でも何かと支障が出るので、家で養生。本人(私)は症状がよく分かっていないので、ひたすら「暇!」なんだけどね。暇なんですよ…インフルエンザで40℃の熱が出ても、最初は気づかずに外で遊んでいたくらいなので…。

 「元気だけど病気中」というのは非常に暇。やることはないし、どことなく体は動きが悪いし。嫌だなぁ。そういう気持ちになる。

 その気持ちの発散できるものが、私にとって読書でした。普通に時間があるときも読んでいるけれど、病気=読書。ってくらいには読んでいましたね~。

 病気のときってどうしてもメンタルによろしくない。よく寂しくなる、とか言いますよね?きっと「病気だー!最高だー!」とは思わないはず。多分。

 私は寂しさはないけど、ひたすら暇。元から不眠なのでベッドにいてもお目目パッチリ☆って感じ。暇。何すればいいのか分からないくらいには暇。

 なので、ずーっと読書をしていました。ベッドの横に本のタワーを建設して。

 読書をしているうちに、「暇」「楽しくない」という負の感情が忘れ去られて、どんどん本の世界に引き込まれます。自分の体がどうこうとか忘れて、頭は本に描かれている世界にいるというか。

 雑学も読んだし、ファンタジーも読んだ。ポエムも、図鑑も。手当たり次第に読み漁って、体力尽きたことに寝落ち(笑)

 一応病気中なので寝落ちして体力は回復しようとしていたらしいですね体!優秀!

 そうこうしているうちに、熱が下がって復活。

 私としても、読書を十分に楽しめた。という良い思い出になる。病気中だったんだけどね!

 しょっちゅうベッドと仲良くしないといけない私だった、というか今でもなんだけど、読書に救われていると思う。

 ただの紙です。本って。原材料:紙。インク。本が好きではない人にとって、本なんて文字がびっしりある紙に過ぎない。

 けれども、私は本は世界があると思う。文字を目で追って、頭の中に描くだけでちょっとした旅行気分になれる。別の世界を知ることができる。新しい知識を得ることだってできる。

 本くらいでしか、人の心の中って文字化されないでしょう?身近な人とは心の中のことを正直に話すかもしれないけれど、全く価値観が違う人とはそこまで話すことは難しい。だから理解も難しいし、出会うことから難しい。

 そういう垣根を取っ払うことが本にはできる。まぁ、本で描かれているからと言って、私が完全にそれらの心を理解できているか、と聞かれると私は肯定はできないけどね!けれど、知識として得ることはできる。覚える、ということだけ、なんだけどね。

 本の数だけ得るものがある。本と疎遠になっている方々、ちょっと近づいてみませんか?読書の秋だよ!


今日の私が得た知識

 今日、私はスープの歴史、ロシアの食文化の歴史を学びました。チョイスが謎の方向に向かいつつある私ですが、興味の向くままに、気になったものは図書館で借りる。そういうスタンスで、ここ最近本を読んでいます。

 ちょっと前までは人のおすすめとして紹介されているものを読むことが多かったけれど、図書館で定期的に借りるようになって、とにかく目についたものを手に取るようになりました。

 語学のエリアにばかり行っているけれどね!あと、文化。歴史。哲学。心理学。

 ふらふらと本を借りることで、私が得た知識は幅が広くなりました。借りた本でいまいち私にヒットしなかった本ももちろんある。けれど、そのときは「この傾向は好きじゃないんだな~」と次回に生かせる。私の興味がないものを知ることができる。立派な価値がそれだけであると私は思います。

 ロシアって、スープめちゃくちゃ好きな国なんだ。東と西、広大な領土を持つロシアは食文化から違うんだ。その心があるから、食べ物に対してそういう姿勢なんだ。

 そんな、ちっぽけな感想だけど、知識を得たと私は思います。有意義な時間だった。

 スープに関しても然り。国によって食文化は違って当然だけど、スープという概念があることは共通なんだ。なぜスープが重宝されたか、それは戦争が関係しているからか。携帯食としてのスープの発達は、戦争が理由か。

 ただの「スープ」というものに対しても、今までとは違った見方をすることができるようになるでしょう。今後の私は。

 そういう「新しい価値」を持つことができると思います。読書って。

 変なタイトル。変な趣味。そう思う人もいるとは思うけれど、私はこの本で楽しい時間を得たし、知識を得た。読書なんて自己満足なのかもね。


終わりに

 読書は歴史をさかのぼれば、ものすごーく長いものでしょうね。平安時代には本書いちゃってたし。それ以前には壁画とかで残っているし、銅板に描かれた日記のようなものだって世界には存在する。

 ということは、人間にとって意味のあることなんだろうね。読書って。私はそう思いたいな。

 歴史のいつかの終着点で、読書と言う概念はなくなることがあるのだろうか。どうなんでしょうね。あらゆる科学が進んだら、人の中から「文字を読む」ということは失われるのかな。

 私はその終わりはない未来が見たいなぁ。きっと私はそのときにはいないけどね!(笑)

 誰もが病気になることはあるだろうし、不調で寝込むこと、とにかく横になっておかないといけないことってあると思う。そのときのために、本を1冊でも持っておいてほしいなぁ。きっと寂しさとか、孤独感、悲しい気持ち、そういった負の感情から目をそらさせてくれる。本って。

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