視覚過敏のちょっとしたこと。
483回目です。φです。
今日は待ち時間に大型ショッピングセンターで過ごしました。2時間。長かった…。
良いことに、本屋さんがありまして。1時間本屋さんで過ごして、残りはぶらりとモールをお散歩してました。マスクしているとお散歩もしづらいですね!息が難しい!
本屋さんで出会った「残念だなぁ」とちょっと凹んだことがあります。視覚過敏で楽しめないときのこと。
私は本が好きです。前も書いたことがあるけれど、私が読むことができる本にはある程度の条件があります。興味があるなしではなく(笑)
行間が広いこと。紙が真っ白じゃないこと。文字が大きいことくっついていないこと。色が少ないこと。などなど。
参考書の暗記系は、シートで隠すと文字が消えるように色がつけられています。赤が多いかなぁ。その赤は私にとってはすごく強烈な色で、「うわー」と開けた瞬間に目をつぶってしまう。文字がババーン!と主張してくる感じです。
一瞬目をつぶった後、慣れるかというとそうではない。全然慣れません。ずっと目に刺激を与えてくるし、他の箇所を見ていても視界に入って邪魔してくる。色と文字の大きさによっては他の文字が頭に入らないほど妨害刺激になることも。
唐突ですが、私は英語の参考書漁りが趣味です(笑)
ですが、英語の参考書はカラフルなものが多くて、ちらちらと見ていると「これほしいな」と思っても長く見ることができない。書いてある内容は本当に自分好みでほしい、けれど私はその本を見ることが難しい。なので諦めてしまったりすることも多々あります。
グレーに近い紙に、黒一色の参考書があればいいのになぁ。多くの人にとっては「味気ない」「楽しくない」「読みにくい」というものになってしまうだろうけれど。
今の本ではあまり見ないけれど、昭和に発刊された本は「文字がぎっしりびっちり」なものが多い。字と字がくっついているくらいに近くて、文字を詰め込みましたと言わんばかりの行間。字体も楷書っぽい、のかなぁ。古い文字が似合う感じの字体。
私は古い本を漁るときがあります。その本たちは紙の色は落ち着いてしまっていて、個人的に読みやすい色。けれども、そのぎっしりびっちり詰め込まれた文字が読みにくい。文字が全部くっついて見えてきて、読んでいるうちに文字たちのゲシュタルトは崩壊します。なにこれーになる。
まぁ目に疲れがたまると、文字たちは自由に歩き回って読めなくなってしまうのだけども。説明しにくいけれど、文字たちは飛んで行ったりどこかに歩いて行ったり、なんだか動いていたり。多分私の視覚過敏が刺激の閾値を超えたとき、文字を追えなくなるのだと思う。
ちょうどよい記事があったので、ちょっと置いておきます。そうそう、こんな感じ。
読めないことはないけど!、という状態が大体通常。読み間違えは多いし、一行飛ばすこともあるし、結構奮闘しつつ読書もする。好きだけど、工夫が必要。工夫が通用しないときももちろんあります。
今思い返せば、私は小学生くらいの頃しばしば「ちゃんと読んで」「しっかり読んで」は言われていたような。音読が苦手でした。苦手でも、黙読は人には分からないからね!
本屋さんで、色々な本を見た。旅行雑誌、参考書、新書、問題集、などなど。
けれど、ほとんどがカラフルで、イラスト付きで、なんというか個人的に見にくい。白黒だったらおそらく私も楽しめるだろうけれど、目に送られる情報の多さが正直辛い。
私が中学生くらいの頃に比べて、カラフルになりました。シートで隠すことが主流になって、それが標準装備になったのかもしれない。私は学校が推奨する参考書くらいしか買わなかったから、他の参考書を知らなかったからそう思うのかもしれないけれど。
面白い、勉強したい、ほしい。そう思っても、読むことが難しいという大きな壁がある。それがちょっと残念で、実感するたびにちょっと悲しい。残念だろうが悲しかろうが、私の視覚過敏が変わることはないけどね。
ううむ、これはやはり電子辞書の購入にかかっているかもですね…快適な読書のため、奮発しないとかもです(笑)
実はそれらのカラフルな本たちに出会うと、その後もしばらく目が不調になります。光を当てられたあと、いつもとは違った視界になりますよね。あんな感じ。
視覚なしでやっていけることって少ないし、日常生活に視覚は必要です。私にとっては特に。けれど、視覚によって悩まされるのも事実。防ぎようがないし、刺激に慣れることはないし、回復が一瞬でできるわけでもないし。
なんか不便。今日も自分にそう思いました。決定的に不便じゃないけど、なんか不便。そしてそれが蓄積されていって、急にダウンするんだろうなぁ。難儀なものです。
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