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「自己責任」という言葉の大切さ

りあです。「自己責任」という言葉の大切さを学びました。突然ですが。

「自己責任」と聞くと、少しばかり冷たさを覚えるかもしれません。「君の行為の結果なのだから、自分で責任を取るのは当然」みたいな。血も涙もないみたいなコメントに見えなくもない(笑)

一方で、「何をやっても君の自由!結果がどうなっても君の自由!」みたいな、ポジティブな捉え方をする人もいるかもしれません。自己責任なのですから、何をやっても自分に跳ね返ってくるし、何をやってもよいのです。自己責任なのだから。

どちらの意味で取るか、ニュアンスを覚えるかは個人次第。あなたはどちらでしょう?

私は自分に対しては「何をやっても自由!でも結果がどうであれ、自分が理由だからね」という、まぁポジティブな捉え方をする。

しかしながら、他者に対しては「『君の行為の結果なのだから、自分で責任を取るのは当然』…というニュアンスがあるよね、なんだかなぁ…いいのかなぁ…」みたいな、なぞの躊躇いがあります(笑)

自己責任を求めるのは自分に対してのみ。他者には「まぁ、大変なことになったら人を頼っていいんじゃないかなぁ」みたいな。なんでしょうね、この妙な自分差別。

私がいつの間にか持ってしまった「自分ルール」というか、「己に厳しくあれ」みたいな…そんなものが由来なのだろうけれども。自分に甘い人ばかりに囲まれたと胸を張って言える環境におりますので(残念ながら現在進行形です)、厳しさというものを持つことの大切さを実感しているのです。多分。

人間難しいですよね。「人に優しく自分に厳しく」だったら、自分を常にシビアな環境に置かないといけないし。厳しさの度合いは難しい。「人に優しく自分に優しく」をちょうどよいバランスでやっていけたらよいのでしょうね。「人に厳しく自分に優しく」…は、まぁ、他者から厳しく扱われそうなので、結果的に厳しい環境に身を置くことになるかもしれない。予想ですが(笑)

それはさておき。「自己責任」という言葉は、案外自分の身を守ることにつながると私はふと思ったんです。他者に対して使うときに、特に。

ついつい「私がやればよかったのかな」とか思ってしまう。「え、私のやることなの?」とかも。相手の行為に少しでも自分が関わっていると、なぞの責任感を抱いてしまう。

しかしながら、「自己責任!」と思うことで、少しばかり冷静に「まぁ確かに、相手が自分で始めた行為による結果だからね」と思える。「自己責任」と心の中で想うことで、「相手も大人なのだから」と、「私がやっておけば」という気持ちを持たずに済むわけです。

相手も成長が必要。私が常日頃から手取り足取りで助けを差し出す必要はないのです。当然なんだけれど、つい忘れてしまう。

ちょっと前も書いたけれど、人間は「他者との線引き」が必要なんですよね。どんなに近しい相手でも、依存してくる相手でも、誰でも。お互いに個人なのですから。

私は自分のことを「優しい人」とはまったく思わないし、私(特に私の人体)からしたら私は「優しくない!休憩もろくにくれない!ブラック企業の頂点取れるくらいブラック!」だと思うし。そんな私でも、「他者と線引きをして、自分を守る」行為はあんまりできないんですよ。なんだかね。なんだか難しいのです。

今回は自戒も込めて、「自己責任!」と心の中で叫ぶことの大切さを書きました。毎日心の中でシャウトしないと、多分さくっと忘れてしまう。でも、私が自分の人生を生きるためには、大切な言葉になるでしょう。

責任をなすりつけることは多々ある世の中ですが、本来は自己責任なんですよね。因果応報。良くも悪くも。

Have a calm day.

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