見出し画像

目撃=理解

 298回目です。φです。

 昨日発見したこの青痣、今日も主張が激しい色をしております。

 こんな感じの出来事がほぼ年中無休なので、我が家には絆創膏と湿布が欠かせません。絆創膏はコストコでまとめ買いです。ありがとうコストコ(笑)

 この打撲がいつどのようにしてできたのか、私はさっぱり覚えていません。ハンドクリーム塗ろうとしてふと手を見たら、「ええええ?!」という感じに初めてご対面したわけです。痣さんと。

 今日のnoteなに書こうかなぁ、と思っていたのですが、ちょうど(?)この痣ができてしまったので、今日も続けて先天性無痛無汗症の話。

 ぶよっとしている手でタイピング中です。薬指って意外に使うようです…動かしづらい!


 さて、「いつ・どのように・なぜ、できたのか分からない傷」が私にとっては当たり前で、気づくタイミングは「目撃した時」のみです。

 だから私が視覚情報として傷を処理しなければ、私は「無傷」の状態であると思っています。傷を見つけるとやっとその傷は「私に存在する傷」になるわけです。

 みなさんはおそらく、傷を痛覚情報として脳に到達したとき、その傷を知ると思います。

 「痛い!」という刺激だけで理解する。皮膚と神経でしょうか?感覚で言うと触覚と痛覚。かなぁ。

 そう考えると、神経とは何とも優秀なものです。刺激だけで、どれくらいのものか、どこに刺激が与えられたのかを伝えるのですから!

 神経が「刺激はここ!」と叫ぶこともなく、動くわけでもなく。ただ刺激を伝えられて、それを脳に持って行く。神経なんて体中に張り巡らされていて、「神経が存在しない」という場所はほぼないのにね。

 それなのに、神経は正確に刺激の在りか、大きさを伝える。脳はそれを正確に処理する。それで涙が流れたり、「痛い」と瞬発的に口にしたり。瞬時にすべての処理や反応が成される。

 わー、こうやって書くと改めて神経と脳の優秀さを知ります。別にトレーニングしたわけでもなく、生まれながらにその働きがあるわけです。トレーニング、していませんよね?…してませんよね?!

 「どうやって痛みを判断する?どこに刺激があると理解する?どのくらいの刺激があったと推測できる?」そんな疑問しか私には湧かないなぁ。

 見てもないのに…傷からテレパシーでもあるのかなぁ。なんて思ったこともあります。「Hey,今作られた傷だけど、今ここにいるよ!度合いはマグニチュード〇!」とか、脳にダイレクトに言葉が来るのかなぁ、なんて。

 そうじゃないと私が知ったのは、実は数年前だったり。私はフィクションの世界で生きていたのかもしれない(笑)

 さて、私の場合。

 私は刺激が大きければ、多少は気づきます。ぶつかって止まらないといけなかった、とか。注意するほどの刺激の発生源だった、とか。音がしたとか。

 私が気づかないほどの刺激の場合、私は「なんだろ。まぁいっか。」で処理します。注意を払うまでのものじゃないね、という感じ。

 なので、基本音がないものは「まぁいっか。」の処理で終わってしまいます。しかしながら、音がない危険ってたくさんあるものです。

 包丁で手を切ると、音はしません。ちょっと当たっただけでは、音はしません。刺さったり、も無音です。

 私が反応するのは音が多いので、音以外は本当に無反応のときだってあります(笑)

 「なんか当たった。まぁいいや。」それくらいの認識になっていますね…無関心というか、「どうでもいいや」の範囲が広すぎるのかもしれません。

 「どうでもいいや」と処理して、結果大変なことになった事件があります。生爪剥がれちゃったよ事件。我が家の怪奇事件のひとつです(笑)

 リビング中が血塗れになっていた、という事件です…掃除が大変でした…そっちの記憶しかないけれど。

 足の親指がぶつけたか、爪をひっかけてしまったか、どちらかさえも不明で、いつ発生したか、も不明で、とにかく何の情報もない怪奇事件。

 分かっているのは爪剥がれた、ということだけです。しかも、それを発見したのは私ではないという…言われて「…なんだこれー!」となりました。ほんと、「なんだこれー」ですよ。私の親指、ちゃんと私に報告して!

 「親指の爪ないと困るなぁ」、と私が言ったらしいです。そういった反応があまりにも多くて、無痛症が疑われて、ついに発覚したのですけれども。それまでは「我慢強い」という評価でしたからね~。

 よく「傷を目にしたら、もっと痛くなった」「傷を目にして痛くなってきた」という表現を耳にします。私にとっては、とっても不思議なことですが。

 じゃあ見ていない間は痛みがないのかなぁ…目から何か痛みを与える何かを発射しているのかなぁ…なんて思ったり。

 しかしながら、私は自分の傷を目撃しても「えー、いつの間に!」という感想だけ。それが深い傷なのか、浅い傷なのか、それを判断することは私にはできません。

 ただ、「傷がある」という認識しかできない。打撲、切り傷、裂傷…そういった外見的なことしか分からないのです。それも見ないと、視覚情報として処理しないと分からない!

 打撲した場所をつつくと、痛い。それを私が知ったのは、同級生が私の打撲痕をつついてきて、「痛い?」と言ったときだったっけ。あまりにも私が無反応で、逆に心配されましたね。「神経死んでない?」って聞かれたような…(笑)

 そのとき、「打撲痕をつつく=痛い」ということを理解した。私としては、「すでに痕になったものを刺激しても、打撲痕がある時点で痛みは継続している。刺激が新たに与えられても、一定以上の刺激は閾値以下になって処理されない。」と今でも思っているのですが…そうではないらしい。

 人間、なかなか複雑。傷がある時点で、痛みの大きさはそれ以上でもそれ以下でもないのだと思うのだけれど。ううむ、神経とは複雑です。

 私は靭帯を切ったことがあるのですが、そのときはなんだか「ぶちっ」という音がしたらしい。けれども、どこもそんな音がなる場所なんてなくて、放置。そのまま遊んでいました。…らしいです。(笑)

 それから1週間くらいして靴が入らないーと言い出したらしく。なんだか足の甲が腫れていて。2週間くらいして、足の甲が内出血でぶよっとなって、動かなくなったらしい。なぜ気づかなかった私!

 傷が見えない場合、本当に悪化して傷が主張しないと私は気づかない、いや気づけないということが分かった。靭帯は切れても見えないからね…内出血の前に気づいても良さそうだけど…さすが私(?)。

 そんなこんなで、私は視覚情報として傷を見なければ、自分がどういう状態にあるのかすら把握できないようです。触覚は働いているのだから、もっと仕事しても良いと思うのだけれど!

 見なくても傷に気づく。それってすごい高度なものです。それ以外の情報ってないのにね。

 人間ってすごいなぁ。と今日も思いました。まぁ私も人間だけどさ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?