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聴覚過敏の葛藤

φです。ちょっとnoteから距離を置いていたのですが、戻ってきました(笑)

あれ書こうかな、どうしようかな。そんな想いが多くて、下書きばっかりになっちゃって。

noteを毎日のように書いていた頃は「思い付いたことを書くー!」というパワーがあったのだけれど。少々、言葉にできない気持ちが増えたのかもしれません。

それはさておき。

最近、私が「ちょっと悲しいな」と思う「聴覚過敏ゆえの」こと。いっちばん悲しいなぁって思うことを、まとめてみようかなと思います。

聴覚過敏っていうと、「うるさい音嫌ー!」っていう印象が強いかもしれない。けれど、そんなアグレッシブな感情じゃなくても、聴覚過敏っていろいろとあるもんですよ。


一番悲しいこと。それは「相手の声が不快になってしまう」こと。

好きな人、嫌いな人。そういった、経験を反映した個人への感情とか抜きに、「この声は苦手だ」となってしまうんです。

苦手な声をずっと聴くことは正直、精神的にきつい。黒板に爪を立てて、あの不快な音を立てられているくらいにきついんです。

私が苦手な声は、元気いっぱいの声というか。高めの声で、文字にしたら「!!」って語尾についてそうな声。元気が良いから、周りにパワーを分けてくれているのだろうけれども。

金属音のように聴こえて、長く聴いているとめまいがする。ずっと脳内に声が反響する。耳を塞いでも、声がしなくなっても、相手の声が聴こえるんですよ脳内に。不思議ですね(笑)

「もっと話を聞きたいな」とか思っても、相手の声次第では「聞くことができない」。「聴くことがつらい」。

言葉を処理できる・処理できないという以前に、声という刺激に疲れてしまう。

ああ、残念だなぁ。

しんみりと、そう思います。聞きたい、けど聴くのがつらい。「もう聴きたくない」って気持ちを持ってしまうことがつらい。

人と話したいな、関わりたいな、って思っても。人の声や音のない静寂が一番自分には合っていて、自分が落ち着いていられて、負荷が無い。

何だか、悲しいなって。

私は、耳が聴こえないわけじゃない。聴こえない人はもっと苦労していて、「何も聴こえない」ということが生きる上で大変なことだって、私は思っています。

だから、「聴こえるのがつらい」なんて、贅沢な悩みじゃないかなぁって。贅沢な悩みっていうのも、ちょっと変な表現かもしれないけれど。

厄介なことに、この「聴こえるのがつらい」というのは、伝えるのが難しい。軽ーい感じでいうと「変なのー!」って流されてしまう。重々しく伝えると「それはわがままだ」と言われてしまう。

お仕事だったら、「仕事だから聴いておかなきゃ」と気を張って、すっごく疲れて、でもやらないといけなくて。

プライベートだったら、「相手と話したい」とこれまた気を張って、すっごく疲れて。「聴きたくない、つらい」という気持ちと、「もっと話したい」という現状のギャップに悲しくなって。

なんとも言えない気持ちになって、「聴覚過敏ってつらいな」ってただぼんやりと思う。つらいけど、解決することもない。一生変わらない。この過敏な感覚と、私は仲良くやっていかないといけないのだから。

「この音が苦手!嫌!」となる人がいる一方、私のように「つらーい…悲しい…えーん…」みたいに、静かーに凹むタイプもいる。同じ悩みを持っているだろうに、こんなにも反応って違うんですよね。

私の「つらい」や「嫌」という防衛のための感情は、なかなか迫力に欠けていると思います(笑)

聴覚過敏の悩みって、「ノイズキャンセラー付けたから解決!」とか、「耳栓最高!」とか。さくっと解決しないんですよねぇ。これだけ文明が進んでも。いやはや、難しいものです。

久しぶりのnoteが、「聴覚過敏ってつらーい」という…まぁ、いっか。私のnoteだもの(笑)

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