恐怖心の出所
297回目です。φです。
昨日は今年初の雪を目撃しました!今日は積もっている地域あると良いな~と思っていて、期待した場所があったのですが、雪なんてご不在でした…。
雪によるスリップ、大雪での雪崩などの事故を耳にしないことは良いことなのですが、地球温暖化を目の当たりにしていることでもあると私は感じます。
私たちが見えない場所で氷が溶けて、海面上昇が進んで、生物たちが活きる場所を失って…が日々起こっていると思うと、一刻も速く解決策を見つけないといけないと思います。そのためにはひとりひとりの意識を変えることが大切だと思う。
正常に戻すことは難しいかもしれないけれど、きっと私たちにはできることがたくさんある。それをひとつひとつやって、改善を続けることが未来につながるんじゃないかなぁ。
さて、今日は「エスカレーターから飛べそうな気がする~!」という気がして、ふと言われたことを思い出したので、それについて書こうかなぁ。
昨日に引き続き、先天性無痛無汗症な話。恐怖心と痛み。
私は色々なところから落っこちた経験者です。あ、社会的にじゃないよ物理的だよ(笑)
子どもの頃は、家にある子供用のログハウスから飛びました。落ちました。骨折れたそうです。
家の階段、学校の階段、駅の階段、お店の階段…とにかく、色々な階段から落っこちました。私の目が両眼視機能不全であり、立体視ができていないことも原因なのですが、落っこちます。今でも家で落っこちています。
エスカレーターから飛び降りようとしたことがあります。止められたらしいけれど、今でもなんだか「飛べそうな気がする~!」とは思っています。止められるけど!(笑)
高所恐怖症の方が見たら失神するくらいの高さの場所だって平気。飛べそうな気がするんですよね。とうっ☆って感じに。
痛みがあるのなら、おそらくは「落ちた後の痛み」を想像し、それを繰り返すことを避けるために「落ちると痛い」という学習がなされるのだと思います。
痛みによる学習は生きるための危機回避です。痛みという経験によって、生命が脅かされることを理解し、少ない回数で学習するのだと思う。恐怖も伴うしね。痛みへの恐怖。
例えば、ストーブの火を触ったら火傷する。火傷の痛みを覚える。火は怖い、痛い。二度とストーブには近づかない。みたいな。
まぁ何回かは同じ経験をする人はいるかもしれない。「今日のストーブは触れるかも!」とか思ったり。…しないかなぁ。どうだろう。
回数は問わないにしろ、痛みによる学習です。その行動によって、どういった痛みが発生するかを予測することができる。経験から。痛みによって恐怖心を持つ。
しかしながら、痛みがない?ほぼない?私にはそれらの学習がなされないようで。何度でも飛ぼうとするし、落っこちてもめげないし、ついでにやったことを忘れていたり。
私の記憶力の弱さがあるかもしれないけれど、私は記憶力が良い方です。一部。私の興味のあることに関しては驚異的な記憶力を持っているし、逆に興味のないことには驚異的に覚えないけどね。覚えるor覚えないの差が激しすぎるけれど、覚えていることは覚えているので、私に記憶の障がいはない。ちゃんと機能しています(笑)
意味記憶はすごいけれど、エピソード記憶はない感じ。あと人の顔に関する情報などはほぼない、もしくはかなり少ない。
で、とにかくやたら痛みによって覚えたことがない。よって何度でもやらかします。飛ぼうとすることだって然り。
「なんで飛べると思うの?!」と言われるけれど、「飛べそうな気がするから!本能!」としか私は言えないのです。手に届く位置にありそうだし、まぁ地面には到着するよ~、という感じです。
視覚的に見えていないらしいからこその私の感覚なのだろうけれど、私には階段は上につながっているように見えます。奥行がなくて、直立してる感じ?
だから最終地点は手を伸ばせば届きそうに思える。ジャンプしたら一気に渡れるよね!って思う。上の階へは。下の階へは一歩踏み出したら着くんじゃない?って思う。
しかし現実的には結構な距離があったり。まだ歩かないと到着しないのか~と思うことも多々あったり。
脱線しましたね~。階段以外の例として、私は包丁の刃を持ちがち(?)です。もちがち?持つ傾向がある?
危険ということは分かっているのですが、ふと忘れます。急いでいるときとか、無意識とか。注意していないとき。
刃の方が持つ場所が多いのです。握るところはスペースが狭い。すぐ掴めるのは刃の方。
握って、「あ、間違えた。」は何回やったことでしょう…カウントしていないし、気づいたら切れていたことがあったような…なんで手から血?ということもあったり…?
刃を触る=痛い=怖い。この方程式が身に染みていたのなら、多分刃を持たないのだろうなぁ。どうなんでしょう。刃に対して恐怖心も持つはずだけど、私にとっては包丁の刃はただの「包丁の刃」で硬さってなんか嫌だけど(笑)
握って「あ、」と気づくときはあるけれど、そのとき「なんか当たってる気がする」くらいの認識ですね~。それから事態に気づいて「なんで私の皮膚はすぐ裂けるの!甲羅だったら大丈夫なのに!」と皮膚に対して理不尽な怒りをぶつけています。…手が甲羅の肩さ
私はそういった分野の専門家ではないので、あくまで自分の経験と他の人の反応、経験を比較した結果のことしか言うことはできない。私の感覚と誰かの感覚をひとりの人間が体験することはできないから、別個体が比較・想像・想定することによってしか結果という仮定を生み出すことはできないけれど。
痛みと恐怖心はリンクしていて、それによって危機回避がなされる。
それは私が結果から導き出した仮定であって、確定した事実ではない。と、私は思っています。
そんなこんなで、私には恐怖心がないらしいです。「怖くないの?」と言われると、ふと「怖いってなんだろう?」と考えることもしばしば。
怖いってなんでしょうね。
デジタル大辞泉さん曰く、
1.それに近づくと危害を加えられそうで不安である。自分にとってよくないことが起こりそうで、近づきたくない。
2.悪い結果がでるのではないかと不安で避けたい気持ちである。
3.不思議な能力がありそうで、不気味である。
らしい。ううむ、意外に定義って難しいものです(笑)
自分にとってよくないこと=痛み、だとすると、私は「怖い」を理解していないのだろうなぁ。もしもーし私、分かってるー?
さて、定義云々は証明できないにしても、私自身が痛みによって恐怖心を抱くことはない。だからこそ何度も危険に飛び込むし、それを危険だとは認識できない。
感覚ひとつ正常ではないだけで、色々な場所に支障が出るようです。人間、よくできているなぁと思います。緻密。それでいて意外に頑丈で、意外に脆い。
しかしながら、あまり無理はできないのが人間です。みなさん、ご自愛を~。
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