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視覚過敏の不便さ。

 334回目です。φです。

 今日は大きな駅にパンを買いに行ったのですが、ス、スーツケースを持った人がたくさん…ビジネス目的だろうなぁと思う人もいらっしゃるけれども、そうではないように見える人も。

 段々と感染者が増えているので、この状況で良いのかな?もう自衛するしかない?と危機感を抱きました。私は毎月総合病院に行かないといけないので、これはもうセルフで自主隔離するしかないですね。

 猛烈な勢いでパン屋さんに直行して、用事済ませてすぐ退散!な感じでした私(笑)

 とは言っても、展示会を見たいと言われ同行しなければいけなかったので、まぁそこそこ滞在はしたと言ってもいいけれども。

 展示会で改めて理解したこと。視覚過敏って生きづらい。

 今日はそのことについて書いていこうかなぁ。


 私は美術館に行くのが好きです。絵画を見るのが好きです。芸術作品を鑑賞するのが好きです。たくさんのものを見て、芸術と触れ合って生きていきたいと思っています。

 けれども、私が隅々まで見ることができるものって限られているのです。すごーく残念。

 見たくても見れない。色使いや蛍光灯の光の当たり具合、色々な要因によって私は直視し続けることができないものがたくさんあります。

 今回の展示会、とてもカラフルなイラストがあふれている、白い蛍光灯の下で行われていて、私は「眩しい!」と一瞬で感じた。他の人はイラストをじっくり見ていたから、きっと過敏な人以外には気にならない程度の光の量と色の量なのだろうけれども。

 壁が白くて、イラストには黄色やピンク、青、多くの色が使ってあって、明々とした蛍光灯がたくさんあって。

 視覚情報があまりにもあって、私にはほとんど見えませんでした今回の展示。辺り一面中白はねした感じ。

 今現在の私のストレスフルな状況がより一層視覚過敏を過敏にさせているのだろうけれども、本当に今日は何も見えませんでした!逆にびっくりです!(笑)

 美術館は基本的にはめちゃくちゃ明るい、ということはないのでしかめっ面兼チベットスナギツネフェイスでやっていけるのだけど、デパートの展示会になるとそうはいかないみたいですね。ううむ。

 視覚過敏ってどうやったら伝わるかなぁ、と思って検索したところ、こんな動画がありました。発達障害の情報をたくさん発信してくださるリタリコさん(LITALICO発達ナビ)より。

 正直途中からあまりの眩しさに私は見ることができていない部分があるのだけど、きっとこんな感じです。合ってると思います!(笑)

 眩しさだけじゃなくて、カラフルなものがたくさんある、という情報が多い場面が本当に苦手なのです。視覚過敏。

 「普段、ほとんどの人は目から入る情報を無意識のうちに必要な情報と不必要な情報に分けて考えています。そうしないと、頭が一度に処理できる情報量を越えてしまい、頭がパンクしてしまうからです。

視覚過敏のある人は、環境によっては、まさに頭がパンクしている状態で日常生活を過ごすことになってしまいます。」

 とリタリコさんのサイトにも書かれてあって、本当にそうなのですよ。年中無休のパンク。わーお。

 視覚過敏だけでもパンクするので、多岐にわたって過敏があると猶更。脳の回路が道路だとしたら、至る所で事故ってるだろうし車暴走しているだろうし。なんとおぞましい…。

 どんなにきれいで、素晴らしい作品でも色とりどりになると見えないのです。ちょっと悲しい。

 私は文字に対しても情報が多すぎると処理ができなくなるので、前も書いたことがありますが文字たちが飛んでいきます。わさわさ動くし。

 パソコンの文字も、スマホの文字も、本の文字も。読書好きで活字中毒な私には一番「やーめーてー」な案件です。反射的に文字押さえたことありますが、もちろん動きは止まらなかった(笑)

 一番なのはストレスを溜め過ぎないことだろうけれど、それ以外に方法ってないのかなぁ。文字の大きさでどうこうなるわけではないし、色でどうこうなるわけでもないし。

 最近オーディオブックにハマっているのですが、私は聴覚情報処理障害なので、まぁ聞き逃しは本当に多いのです。ある程度は聞き取れるけれど、分からないものは分からない。

 私はオーディオブックをYouTubeで見聞きしているので、途中で止めて文字を確認したりします。そのとき、文字を見ることができないときもある。そのときは「あ、はい分かりませんね~」と「まぁいっか」精神で乗り切っています。

 本当に気になって仕方がないときは、後で見直すから解決しています今のところ!二度手間三度手間なんだろうけれど、私が納得すれば良いのです(笑)

 視覚過敏をサポートする器具はサングラスを挙げられるけれど、サングラスでは文字を止めることはできません。誰にでも対応するサポート的な器具が開発されたらなぁ。やっぱり、感覚とは難しいものです。

 展示会行って、ほとんど見えなくて「視覚過敏発動中~」と渇いた笑いしかできなかった私ですが、改めて不便だと思ったし、色々なものは全ての人に対応しているのではないんだなぁ、と思いました。

 ユニバーサルデザイン、というと「車いすの人や目の見えない人、耳の聞こえない人が快適にできるように、ってデザインでしょ?」のイメージかもしれない。けれど、本来ユニバーサルデザインとは「障害の有無や年齢、性別、人種などにかかわらず、たくさんの人々が利用しやすいように製品やサービス、環境をデザインする考え方です。」なのです。この言葉はリタリコさんから引用しました。

 みんなが不便に感じない!という「みんな」の数が増えれば増えるほど、難しいものになってきます。誰かにとっては便利で、誰かにとっては不便、というものだってあるもの。

 しかしながら、もう少し「不便だ」と感じる人が少なくなるものが増えたらいいな、と思います。「視覚過敏で困っている人を優先にして!」とは私は言えません。視覚過敏の私が快適だと感じる明かりの強さは、視覚過敏を持たない人にとっては暗すぎるということを私は知っています。

 色々な人にとって優しい世界が広がればいいな、と思います。

 さてさて、最後に余談。私は暗いところでも結構見えているし、かつ耳も音はめちゃくちゃ拾うことができるので、かつてお化け屋敷に行ったとき「あ、隠れてる~」「足音したからあっちに人いるや」などなど、驚かせるつもりのものをさくっと見つけてしまって、驚くことがありませんでした(笑)

 逆に真顔すぎてお化け役の方々が驚いたかもしれない。うーん、あのとき自分の視覚について疑問を持っておけばよかったかも!

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