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だから本を手放した〜読めなくなった日に寄せて

noteに参戦する暁に、
本と私の関係をちょろっと話します。
ちらっと見ていってください。

まずは、本が好きなのに突然読めなくなってしまった話から。

はじめに。

書く人になりたい、と思ったのは小学生の頃。
本を読み、感想を起こすのが好きな子どもだったと思う。子どもの頃の感想文は、基本的にクラスの代表に選ばれ、ときどき賞を。

そんな私は、ある小説家の作品をひたすら読み漁った。そして来たる日、本が全く読めなくなってしまった。

あんなに本が好きだったのに、なぜ。と思うかもしれない。
皮肉なことに、作家の心の奥にある痛みを、掴み取ってしまったからだと思う。

シンクロナイズしたように、その作家の痛みを感じ、鼓動が鳴り止まなかった。別にバッドエンドの物語じゃない。でも、だめだった。何冊も読み進めるたびに、次の展開や作品を通して伝えたいことが見えるようになってしまった。何より、伝えたいことの背後にある痛みを見てしまったことへの恐怖が拭えなかった。

以降、大好きな作家だったはずのその人の作品を手にしたことはない。尊敬する作家の人生の記憶を見るのが怖かった。このまま読み進めたら、彼女の全ての過去を見てしまうと思った。だから私は読むことを手放した。

読むことも書くことも辞めた

ことばを綴ることもしばしばあったが、自分の痛みに繋がる内容ばかりだった。人物に自分を乗せて表現していることに苛立った。

きっと多くの書き手がそうかもしれない。伝えたいことを読み手に届けるために、キャラクターに思いを乗せる。私が怖い思いをしたように、私の文を読んで怖い思いする人がいないことを願った。だから、エッセイを書くことにした。小説はお休みして、偽りない体験を言葉に載せて。

わたしはほんの少し、他の人より人の痛みが感じられるように造られた。ダイレクトに相手の過去や見てきたものが迫ってくる体質になっている。
同じ人の作品は、2冊以上読まないように心掛けている。またなにかが見えてしまうのが怖いから。たぶん、ほんの少し感受性が強いだけ。
読みたいときに読み、書きたいときに書く。

尊敬する作家。

幸せなことに1人だけ、読み続けられる作家がいる。
「荻原浩」

本好きな父親から勧められた作家だ。
あの頃は本を手放していた頃のだが、あらすじが気になって読んでみることにしたのだった。

なぜか彼の作品だけは読める。ポップなタッチで、ユーモアに溢れている。それなのに、ホロリと泣ける。コーヒーにほんの少しハチミツを入れたように、暖かさと柔らかさが残る作品たち。こんな天才がいる時代に生まれてきたことに感謝が絶えない。

彼の作品に関する話は、またいつか書いてみたいと思う。

初めましての今日は、本と私の関係を。

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