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一寸先は闇(後編)

このnoteでは、引き続き網膜剥離という病気にかかった体験記を綴る。後編では、網膜剥離という病気の前兆、手術、入院生活について書く。

なお、もともとは前編と後編に分けるつもりであったが、後編の文字数がとんでもないことになってしまうので、前編・後編・完結編に組み直したいと思う。こちらは後編となる。前編には、網膜剥離についての簡単な説明等が載っているので、そちらを先に読んでいただけるとより分かりやすいかと思う。完結編では、後遺症やメンタルへの影響について綴る予定である。

前編を自分で読んでみて思ったことであるが、病気の体験記は全く面白味に欠けるものである。盛り上がるところなど特にないのにも関わらず、前編を読んでくださった方が何人かいらっしゃり、その方々には感謝の気持ちでいっぱいである。読んでくださった方がいなければ、後編を書き進めることはできなかったと思う。体験記と言いながら、自分はこの文章を自分自身というよりも人に向かって書いていたのだなと気づかされた次第である。

網膜剥離:前兆

前編にて、「突如として目が見えなくなった」という表現を用いたが、これは前兆がなかったということではない。正確には、「いわゆる前兆が起こっている期間が非常に短かったため、急に目が見えなくなったように感じた」が正しい。網膜剥離にも前兆は存在する。

網膜剥離の前兆として主に挙げられるのは、
 ①飛蚊症
 ②光視症
の二つである。①の飛蚊症はご存知の方も多いと思うし、慢性的に発症されている方もいらっしゃるのではないかと思う。そこで、ここでは、おそらくあまり聞き馴染みがないであろう「光視症」について説明する。

時計台記念病院HPより

光視症は、目の中の硝子体が網膜を引っ張ることによりキラキラした光が見える症状のことである。僕の場合では、目線を左から右に移す際に、視界の左端に縦に細長いイナズマが走ったように見えていた。硝子体が網膜を引っ張ることにより網膜に穴が開き、そこを始点に網膜が破れていくことによって網膜剥離が起こることを考えると、理屈としては非常に理解しやすい前兆であると言えるだろう。

僕は昔から慢性的に軽度の飛蚊症にかかっていたため、「網膜剥離の前兆としての飛蚊症」に気づくことができなかった。しかしながら、上述したように、光視症の存在には気づくことができた。この状態で眼科に行けば、手術は必要なく、短時間のレーザー治療で済んだことだろう。

僕が光視症の存在に気づいていたのにも関わらず手術を防ぐことができなかったのは、その前兆の短さにある。僕が光視症を認識した日の夜中には視野が欠損し始めたのだ。前兆はたった十数時間だけ顔を出した後、すぐに網膜剥離へとバトンタッチをした。

今振り返ってみてもなかなかに防ぎようのない病であり、少々絶望すら感じる。しかしながら、これを見てくださってる皆さんが網膜剥離にかかる可能性を少しでも下げるためにも、一つだけ提案したいことがある。
それは、「片目ずつ見え方をチェックする時間を作る」ということである。たった5秒ずつでも良い。片目を手で隠して、見え方をチェックする習慣を作ってほしいのである。チェックする中で、異変や違和感を感じた場合は、すぐに眼科に駆け込んでほしい。気のせいかなと放置してしまうのではなく、眼科に行ってほしいのである。

それくらいしかこの病を未然に防ぐ術はない。日頃片目で物を見る機会はほとんどないと思うので、他の疾患にも早期に気づくことができるという意味でも良いと考える。毎日の10秒程度も惜しいという人には合わない方法だと思うが、ほんの少しだけでも自分の目を労ってあげてもいいのではないだろうか。

網膜剥離:手術

網膜剥離になると、二つの選択肢の中から好きな方を選ばせてもらえる。手術をするか失明を待つかの二つである。手術を選択すると、硝子体手術と網膜復位術という二つの手術のうち自分に合った方を執刀医が提案してくれる。メジャーなのは硝子体手術であるが、網膜剥離の状態と僕の年齢から、執刀医は網膜復位術を選択した。

ここで、断りを入れておきたい。想像していただければわかると思うが、目の手術とはなかなかに描写するに耐えないものである。どう頑張ってもむごくなってしまうので、手術のパートは簡潔&曖昧に終わらせたいと思う。

網膜復位術という手術は、簡単に言うと、目の裏側に当て物を当てて眼球の形を変え、破れた網膜を眼底に引っ付けましょうという手術である。どうやって目の裏側に当て物をするのかは皆さんのご想像にお任せする。また、この当て物がなかなかに厄介な存在であり、術後に大きな影響を与えるのだが、これについては完結編で綴る。

手術の成功確率自体は9割程度と高く、手術時間は1時間半から2時間程度。局所麻酔で行われるため、医者と看護師の巧みな連携をラジオがわりに聞きながら、ぼーっと目を開けていれば案外早く終わってしまう手術である。執刀医2人が「これは難しい目だねえ」と言った時と、麻酔が効いてなくて痛かった時は流石に焦ったが、それ以外はスムーズに進んだ手術であった。

なお、手術室へは裸眼で入らなければいけなかったため、視力が非常に悪い僕にとっては目の前で何が起こっているのか全くわからないまま、いろいろな装置や点滴などが取りつけられることとなった。視力が働かないと他の感覚が一層研ぎ澄まされるものであるが、手術室特有の匂いや肌寒い室温、手術器具が立てる金属音など、どれも手術への不安を増大させるものであり、いただけなかった。

網膜剥離:入院生活

術後は大きな眼帯を目に貼り付けられ、自室に戻り、5日間の入院生活がスタートした。麻酔が残っていたため、特に痛みは感じず、手術が無事終わったことを各所に報告したところで一息ついた。

夕飯を食べ終わり、いざ就寝というタイミングで、手術した右目にとんでもない激痛が走った。適切に表現しようとすると、どの言葉を使ってもむごくなってしまうので、ここでは経験したことがないような痛みとでも記しておく。必死の思いでナースコールをし痛み止めをもらったのだが、なぜか弱い鎮痛薬しかもらえず、1時間効果を待った上に再度ナースコールをすることとなった。強い鎮痛薬を持ってきてもらったことでようやく痛みが和らぎ、就寝することができたのだが、どう考えても強い鎮痛薬しか効かなそうな状態で弱い鎮痛薬しか飲ませてくれなかった看護師さんの謎ムーブには少々疑問が残った。

基本的に鎮痛薬が切れると痛みが現れるといった調子で、痛み自体がすぐになくなることはなかった。また、痛み以外にも、目は非常に腫れ、眼球の白い部分は全て真っ赤に充血し、血涙や涙が常時止まらないという状態になった。眼帯を取ったら見るに耐えない姿となるので、常に着用した。自分のためというより、院内ですれ違う他の患者さんの精神安定のためである。

症状以外で入院生活で堪えたのは、シャワーと面会の禁止である。シャワーは目に水が入ると感染症が起こる恐れがあるとの理由から、首から上は許されなかった。毎日お風呂に入ることのできるありがたさを痛感するとともに、非常に不快だったのを覚えている。また、コロナの影響により、病棟には入院患者と看護師しか入ることができず、家族とすら話すことができなかった。大きな手術を終えた後というのは、痛みや苦しみに耐えながら、なんとか前を向こうと必死になっている時である。そんな時に、自分の見知った人と顔を合わせることすらできないのは、非常に心寂しいものだ。おそらくこの面会禁止はこの病院にとどまらず、様々な病院で行われていることなのだとは思うが、柔軟性と人の心がないルールであると感じた。

5日間の入院生活を耐えぬき、なんとか退院することができた。5日ぶりの外出は非常に気持ちが良いものであったのを覚えている。

「ようやく苦しみから解放された」

入院生活を終えた時は、本気でそう思っていた。実際には、手術や入院生活よりも、入院後の生活の中で直面した後遺症やメンタルの不調の方がよっぽど大きな苦しみを与えることになるのだが、これは最終編で綴ろうと思う。

ちょっとのお詫び

簡潔に書き記すことができるだろうと思っていた体験記だったが、今となっては前編・後編・完結編に組み直すこととなってしまった。前編を読んで、次で話が終わると思っていた方には本当に申し訳ない。これでも大事なところだけをピックアップして書いているつもりなのだが、当初想定していたよりもはるかに文字数が多くなってしまった。さすがにもう組み直すことはないと思うので、次の完結編も読んでいただけると嬉しい。


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