一寸先は闇(前編)
8月初頭。夏の暑さがいよいよ本格的になろうとしているその最中、突如として右目が見えなくなった。岡山での活動に区切りがつき、実家で一息ついてすぐのことだった。
この年齢で失明しかけるなんて経験はなかなかできるものではないから、記憶が鮮明なうちに記録として残しておこうと思った。しかしながら、こうして文章が完成するまでには、実に3ヶ月弱もかかってしまった。夏が終わるどころか冬が始まりそうである。仕方がない。病に向き合うということがなかなかできなかったのだ。
少々新鮮さを欠く文章になってしまうため、一度は書くことを躊躇ったが、それでも書くことを決意した。貴重な夏を奪ったこの病にやられっぱなしでは、あまりに悔しいのだ。僕のnoteが一年以上更新されていない状態を防ぐための投稿のネタに利用する。これこそが僕にできるせめてもの報いである。
自分の目に不安のある人、若くても病気にはかかるということを再認識したい人にはぜひ読んでほしい。また、後編になってしまうが、病気にかかることでメンタルにどんな影響が出るか興味のある人にも読んでみてほしい。
病の名は。
病名を隠していては色々と不都合なので、最初に記すことにする。罹患した病気の名前は、網膜剥離。簡単に説明すると、目の奥にあるスクリーンみたいなものが剥がれ、それに伴いどんどん視野が欠けていき、最終的に失明する、そんな病気である。発症する確率は、10000人に1人ほど。約0.01%である。我ながら、なかなかの不運を引き当ててしまった。
目を殴られたプロボクサーがその衝撃で発症することが多いことから、外部からの強い衝撃によって発症する病気と思われがちであるが、執刀医によれば、そのような患者は全体の1割にも満たないほどであり、特に何をしたわけでもないのにかかってしまったというケースがほとんどであるそうだ。岡山から帰って来てすぐの出来事であったことから、岡山でボコボコにされていたんじゃないかと案ずる人がいたが、岡山の名誉のために言っておくと、僕もしっかり後者のケースである。岡山で出会った人たちは皆心優しかった。
話を病に戻すと、患者の分布は二峰性になっており、20代と50代に多く見られるそうだ。しっかり当てはまっている。さらに言えば、近視が強い人ほど発症リスクが高いとのこと。0.01%を引き当てた理由が段々と見えてきた。
そんな感じで、僕は網膜剥離にかかってしまった。それも不幸なことに、利き目の右目である。
視野が欠けるという状態がいまいちよくわからないと思うので、参考までに画像を貼っておく。厳密に言うと全く同じ見え方をしていたわけではないのだが、雰囲気だけでも掴んでもらえるとありがたい。
手術を受けたタイミングでの見え方は、ちょうど初期と視力低下の間くらいの感じであった。
画像で見ると、視野が欠け始めたらすぐに気づけそうではあるが、実際はなかなか気づくことができない。人間の適応能力というものは大変立派で、正常な方の目と脳が欠けている視野を補おうとするためだ。両目で見続けていたら、おそらく画像一番右の「視力低下」の状態になるまで気づかずに普通に生活できてしまう。気づいたときには失明間近のようなケースも少なくないらしい。
幸いなことに、自分は目の異変にすぐに気づくことができ、眼科に直行したため、大事に至ることはなかった。しかしながら、知らず知らずのうちに進行し、気づいたときには、失明が谷底で待つ崖の淵まで追い込んでくるこの病は非常に厄介なものである。僕はこの病が心底嫌いだ。
個人的な病気体験記を公開したところでどんなメリットがあるのかと思ってしまっていたが、自分が経験したことを共有することで、誰かの病気を未然に防ぐことができるのであれば、これ以上嬉しいことはない。
特に何をしたわけでもないのにかかってしまう。発症しても異変になかなか気づけない。最終的には失明する。
病気がこんな性悪であれば、体験記はなおさら役に立つのではないか。その思いで書いている。
いつになるかはまだわからないが、後編で実態をしっかり綴りたいと思う。
本当は前編と後編などは作らず、一つのnoteにまとめて書こうと思ったが、自分が病気に罹ったことにより迷惑をかけてしまった人に対して少しでも早く謝りたかったため、二つに分けることにした。後編にて詳しく綴るが、精神的なダメージが大きく、ペースを取り戻すのにどうしても時間がかかってしまった。今もなお、完治に向けて奮闘中である。
連絡を返さなかったり、誘いを断ったりして、迷惑をかけてしまった方々にはこの場を借りてお詫びしたい。
しっかりペースを取り戻すため、もう少しだけ甘い目で見てもらえると大変ありがたい。
また、手術前手術後にメッセージを下さった方には本当に感謝している。送った側にとっては大したことではなくても、受け取った側にとっては非常に心強く、嬉しいものである。
以上が前編となる。
ここまで読んでくださった方は、ぜひ後編も読んでいただるとありがたい。
網膜剥離についてしっかりと綴るので、少々お待ちいただけると嬉しい。
ここからどうでもいい話。
小見出しを「病の名は。」と少々古くさいものにしたのは、最新作である「すずめの戸締まり」の舞台が宮崎県日南市であることに興奮を抑えられなかったためである。予告編を見ても心が惹かれなかった映画を、ロケ地を理由に観に行く経験なんてしたことがない。日南市に行っていなければ、このような体験もすることができなかったのだなと少々感動した。