なぜnoteを書くのか

今回から、以前より構想していた架空鉄道に関する記事の公開を始めようと思う。今回は、そもそもなぜ記事を書き、どのような意図があるのかという部分をお話したいと思う。

現状の制作環境

私は架空鉄道という創作をしており、その中でも特に歴史に重きを置いたアプローチで創作をしている。歴史に重きを置いたアプローチというのをざっくり表現すると、歴史という幹があり、枝として車両デザインやサインシステム、運行ダイヤなどが派生しているようなイメージで考えて頂ければよいと思う。
ところで、私のような歴史に重きを置いたアプローチで創作をしている方は非常に少ないと感じている。特に、アクティブに活動している方であれば、両手の指に収まる程度しか居ないのではないだろうか。
そういったマイナーなアプローチで創作をしているため、基本的に架空鉄道のコミュニティにおいて進捗報告や相談をしても、内容に興味のある方や応答できる方が居ない場合が多く、自分の創作の進捗報告や悩みなどが共有しづらいという現状がある。厳密に言えば、近代史、郷土史的なアプローチに重きを置く、せきもと氏(twitter:@nj_pcc)運営の「架鉄小田原評定」(通称「評定」)というコミュニティは存在しており、そこでは比較的制作の進捗報告なども行いやすい環境ではあるものの、自分の抱えるような込み入った歴史考証に対して活発なディスカッションが行われる場とは言い難いのが現実である。
そのような現状があるため、今自分が取り組んでいる事柄に関する専門的で詳細な内容の共有や、行き詰まりや悩みが発生した際の共有などが難しく、すべてを自問自答と自己解決によって解消せざるを得ない、
いわば「進捗のブラックボックス化」が進行しているという問題を抱えている。

進捗のブラックボックス化

では具体的に「進捗のブラックボックス化」にはどのような問題点があるだろうか。私は以下のように分析している。
つまり、進捗がブラックボックス化すると、制作の経過を誰も知らない独走状態で進行していくので、制作過程で生じる文脈が周囲の人間に共有されないまま次々と積みあがる。すると結果的に創作の文脈を自分しか理解していない状況が生まれ、制作が進行し文脈が複雑化していくほど、他者への疎通も難しくなってしまう現象が起きるのである。疎通が困難になると、当然相談なども難しくなるため、更に周りへの共有を行わなくなり、ブラックボックス化に拍車がかかるという負の連鎖も起こると考える。(いわゆるネガティブフィードバック)
このような点が「進捗のブラックボックス化」における問題点なのではないだろうか。以上が、私が現在切実に悩んでいる架空鉄道制作上の問題である。

架空鉄道と社会、文化

次に、もう少し具体的な部分でどのような障害が生じているのかをお話したい。歴史に重きを置いた架空鉄道を作っていると、その鉄道が置かれている社会がどのようなものなのかを考える必要が生じることがある。なぜなら、鉄道は背負っている使命や利用のされ方によってその姿を様々に変化させていく存在であるからで、その使命を規定しているのは社会で、利用法を規定しているのは人々の生活なのである。
つまり、鉄道の姿というのは、その鉄道の背後にある社会や生活によって規定されるという側面があり、それを少々大きく表現すれば鉄道は文化の表象なのである。言い換えれば、存在しない架空の鉄道を作るという作業は、架空の文化を架空の鉄道に表象させる行為と言えるはずであり、文化の考察無くして架空鉄道の姿は浮かび上がってこないと考えている。

では、ここで想定される「文化」とはどういった事柄を指すのだろうか。
この問いに対しては、下記の引用が明快な回答を提示している。

"ここでいう文化とは高尚な芸術だけをさすのではなく、人々の生活の様式全体をさしている。それは言語、文字、宗教、教育、育児、祭り、食習慣、着物、家屋、行儀、風習などに及ぶ。"(日本大百科全書 多文化主義より)

つまり、私が架空鉄道を制作する過程では、このような様々な分野の知識が考察の対象に入り込んでいるのである。これを先ほどの木の比喩を使って表現すると、鉄道という幹から様々な枝が生えて、鉄道の周囲にある政治、経済、科学、民俗、建築などの分野に絡みついていくイメージである。

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鉄道を取り囲む生活空間

調査能力の限界

そのため、ストレートな鉄道の知識以外の知識を採り入れなければ制作が滞ってしまう事態がしばしば発生するようになる。制作が停滞した場合は、まず必要な知識は何かを分析し、書籍や論文を読んだり資料館に足を運ぶといった情報収集を行う。その活動は一定の成果を挙げていると言えるが、個人で収集できる情報には限りがあるし、触れたことのない分野に対しての思考法を獲得するのは一人の力では難しいことが多い。それ以前の問題として、私は大学で学んだ経験を持たない一介の鉄道オタクであり、学術的なテキストを読み解く基礎的な訓練を受けていない。

そうなると、各分野に通じた方々から指摘や助言を頂くことが有効であろうが、これはもはや鉄道趣味の枠組みを逸脱していると言わざるを得ないため、架空鉄道というコミュニティの中でそれを実現するのは困難であることは、前述したとおりである。このように、今私の架空鉄道に生じている具体的な障害というのは、「考察対象の広範な拡大に対して、情報収集能力が追いついておらず、頻繁に制作が停滞してしまう」という問題なのだ。
進捗がブラックボックス化してしまう原因についても、ご理解頂けたのではないだろうか。

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取材活動の一例:伏木北前船資料館

思考ログを作り、ポートフォリオとする

ここまで長々と制作上の課題を説明してきたが、最後にこの課題をどう乗り越えていくかの展望をお話したいと思う。この課題を乗り越えるのに最も必要なことは「架空鉄道の外側から意見をもらえるような環境を構築すること」に尽きると考えている。つまり、私が有している鉄道という知識体系ではない、別の知識体系を学んでいる方々から、話を聞き出せる環境づくりを行うべきだと考えているのである。

一方で繰り返すように自分の創作はブラックボックス化してしまっている。
そのため、行動の第一段階として、まず自分が今考えていることを文章としてnoteに公開し、ブラックボックスな脳内をオープンにしていこうと思う。
そしてそれを継続的に行うことで、noteが創作の進捗や考え方のログとなり、今後人脈を広げていく際のポートフォリオの役割を担ってくれることを期待している。

以上が、私がnoteを書こうと思った経緯である。
今後は創作の進捗や課題、活動報告などを公開していきたいと考えている。
次回は、最近ホットな「架空琉球」という創作についてのお話する予定だ。

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