好きなことに熱中してみた話。
僕は普段あまり自分の話をしないのでこんな記事を書くのは小っ恥ずかしいですが、G's ACADEMYという起業家エンジニア養成スクールに入り、いろんな心境の変化があったので綴ります。
まあ、かといってプログラミングのことはあまり語りません。
僕がジーズアカデミーのテーマである「Why me?(なぜあなたがやるの?)」を模索し、もがき苦しむ様子を綴ります。
僕の家の話
僕の父は中卒、母は高卒だ。
両親は家庭環境が悪くかなり苦労したそう。
父さんは3歳の時に母親が病死、父親は蒸発。
学校にいくときも弁当がなく、担任の先生が自分の弁当を分けてくれたり、学費も肩代わりしてくれていたらしい。
母さんは父親が自病で長期入院生活のため母親は昼も夜も働きづめでほとんど弟と2人で過ごしていたらしい。
そんな2人は中学校で出会い。そのまま二十歳で結婚。同年僕が生まれた。
決して良い家柄じゃないし、世間でいう「親ガチャ」でいうとハズレに当たるのかもしれない。
だけど、愛情に溢れた両親だった。
僕の両親は子供の頃、苦労したからか、自分達の事は全て我慢して子供や家族の為ならなんでもする。
僕は「自分が好きなことをしなさい」と育てられてきた。
父は仕事は家族を守るために我慢するもの。給料はその対価だといっていた。
父は毎日汚れた作業服でカップラーメンにおにぎりをのせて現場に向かう。
僕は今でもコンビニで作業服を着た若い兄ちゃんを見ると父の姿を思い出して応援したくなる。
父が二十歳そこそこで建てた実家はもうボロボロだけど、僕は愛着がある。
薬剤師になった話
僕は高校生になり、進路を選択する時がきた。
両親が親の病気で家庭環境に苦しんだ事や、弟が難聴を抱えていることから、家族に医療がわかる人がいたらなぁと思っていた。
他人を助けたいというよりは自分の家族くらいは守りたいという思いから、薬剤師になった。
今では家族の健康相談は僕が受けている。
なぜプログラミングを?
僕は薬剤師の就職先として病院を選んだ。
病床数360床くらいのめちゃくちゃ忙しい急性期病院。
病院薬剤師は薬剤師の中では花形の仕事だ。
だけど、いざ働き出すと自分が思い描いていた薬剤師とはかけ離れていた。
今の日本の薬剤師の業務はシステムやAI、機械で代替できるものが多く、なかなか6年間かけて学んだ知識を活かす環境が整っていないと感じた。
毎日、多くの時間が薬学知識が必要ない作業や事務処理に割かれていた。
今、薬剤師が行っている業務は将来は全く違うものになるだろうと思った。
じゃあ、将来なくなるであろう仕事に今という大切なリソースを費やすのは勿体無い。と毎日考えながら悶々と働いていた。
だったら、薬剤師のルーチンワークをプログラミング言語に落とし込めれば自動化して、もっと重要な仕事に専念できるのではないだろうかと思い、
プログラミングを学んでみる事にした。
独学で頑張ろうとしたが、速攻挫折。
ブラインドタッチも出来ないくらいパソコン音痴の僕は、環境構築につまづいた。
最初の足がかりだけでもスクールで学びたいと思いプログラミングスクールを探していると「セカイを変えるGEEKになろう」というイケてるキャッチコピーのジーズを見つけた。
とりあえず説明会に行き、なんか面白そうだったので、翌日思い切って辞表を出した。
プログラミングスタート
マジでキツいと噂のジーズはマジでキツかった。
想像を遥かに絶した。。。
毎日とんでもないスピードで授業が進んでいく。
最初のBOOT CAMP PHASEでは11週でWebアプリの基礎を学ぶのだが、
HTML & CSSは2週間で終了。
Javascript、PHP、SQLまでを一気通貫して学ぶ。
しかも要求される課題のレベル感がエゲツない。
先輩の言葉を借りると、ツナマヨの作り方教えてもらってフランス料理を作ってこなければいけない。
もっとヤバイのが応用力を磨くDEPLOY PHASE。こっからさらに加速する。
5週間でPython、React、Swift、Unity、Laravel、Node.js、Fintech、WEB3、ビジネスモデル、Figma、デザイン、データサイエンス、その他諸々
選択授業だが、とにかくキャパオーバー。
授業についていきながら企画も考え、市場調査もしなきゃいけない。
僕は完全にパンクした。
卒制企画、メンターマッチング
DEPLOY PHASEが終わると、MENTOR PHASEに入り卒業制作に入るのでそろそろ本気で企画を決めなきゃいけない。
企画考案ではジーズのテーマである「Why Me?(なぜあなたがやるの?)」に必ずぶち当たる。
僕のwhy meは薬剤師の仕事を変えたいだと思って、
薬剤師の便利ツールや、業務改善のアプリを作ろうと考えていた。
これでいこうと決めて、ジーズの創業者、児玉さんに壁打ちをお願いすると。
「こんなもの企画じゃない。Why Meがない。」と一掃された。
結構悩んで考えた、のに、ハンマーで頭を打ちぬかれた気分になった。
さて、、、ここから僕の本当の「Why Me地獄」が始まる。
Why Meは自分の根底にある価値観や信念だと思うのだが、
そんなもの普通に生きてきて考えたことがない。
苦しかった。。。
悩みすぎて何をしても頭が働かず、コードも手に付かない。
普段あまり人に頼れない僕だけど、この時ばかりは担任のごてぃさちおか夫婦に夜中まで壁打ちに付き合ってもらったりした。
メンターマッチングの企画書提出前夜、、、もう企画を考えるのが辛くなり、同期の別のチームに入って手伝わせてもらおうと打診した。
それを担任のごてぃさんに報告すると「本当にそれでいいのか??それが自分のためになるのかよく考えて。」と言われ。。。。もう1日考える。
結局、「何を作るかわからないけどとりあえず何か作ります」と、
チームには加わらず一人でやることにした。一晩で薬のナレッジシェアサービスという企画書を書いてメンター申請をした。
ところがどっこい、多分why meがなく、企画書がつまらなかったんだと思う、、、メンター申請は受け入れてもらえなかった。。。
そんなこんなでメンターも決まらず、企画も決まらず、why meもわからず、途方に暮れた。次第に僕はコードも書かなくなっていた。
「ジーズは自分には合わないんだ。」「もうやめよう。」と思っていた。
福岡でメンターが決まらなかった私は、例外として東京のメンターマッチングに参加させていただくこととなる。
たぶん東京の人たちは初めて見る福岡の人が混ざっているのだから謎に思ったと思う。
しかし、東京のメンター陣もスーパーエリート級の経歴の方ばかりで、全員ツヨツヨエンジニアや、ゴリゴリビジネスマン。
僕は全く知らない、会ったこともない東京のメンターの方々に受け入れてもらえると思えなかった。
こんなwhy meもクソもない人間がメンター申請するのも気が引けたから「やっぱりやめよう。」と思った。
ヒモ男現る
そんな時に、僕はたまたま東福合同授業で東京LAB13期の金子竜輝くんに出会う。2人でGatherでチャリンコ乗り回しながら企画について話し込んだ。
彼はいつもFlutterをおもちゃのように、自分が好きなものを創っていた。
輝いていてカッコいいと思った。
僕はその夜、一旦、薬剤師から離れて自分の好きなことをプロダクトにしようと決めた。今、自分が時間を忘れて取り組めるくらい好きなこと。
それは格闘技だった。
僕はコロナが流行し始めてからキックボクシングを始めたのだが、
今では休みの日もYoutubeで格闘技を見たりジム練習に行ったりしている。
RISEのアマチュア戦にも4戦出場した。
キックボクシングは時間を忘れて楽しめる僕のライフワークだ。
格闘技をテーマに企画を考えることにした。
一晩で書き上げて翌日、「那須川天心になれるアプリ」という企画書を提出すると、担任のごてぃさんは「なんじゃこりゃ」とケツを浮かせたww
これが後にKickMoveになる。
メンターマッチング第二回戦
東京のメンターマッチングは僕は結局参加しなかった。
そして1回目では希望していなかった福岡のメンターであるマネーフォワードの杉本至さんにお願いしたいと担任のごてぃさんに頼み込んだ。
理由は親近感のある福岡のメンターにお願いしたいことと、KickMoveは当初Flutterでネイティブアプリとして作ろうと考えていたので、
杉本さんは強強ネイティブエンジニアなので最適だし、エンジニアとして必要な素養も学べると思った。
杉本さんは「面白いね。」と心よく受け入れてくれた。
「僕は承認欲求強めなので一緒によいしょよいしょしながらやりましょう。」と言われた。
ようやく、、メンターが決定したけど、同期のみんなより出遅れた。
これが8月末のこと。
卒制提出の10/4まであと1ヶ月しかなかった。
ここからようやく僕の卒業制作がスタートした。
卒業制作スタート
まず、最初のメンタリングで技術選定。
企画の説明をして、まず最初に言われたのは、
「Webでいきましょう。」だった。
ネイティブエンジニアからwebと言われてすっ転ぶかと思った。
とりあえず時間がないので得意な言語でやるのが良いと言われたので、
今んとこ一番得意なJavascriptで全て書き切ることにした。
ここからは早かった。
やはり自分の好きなことに打ち込むのは時間を忘れられるし、爆速で進められる。
楽しかった。。。
そして、コア機能はだいたい2週間くらいで作り終えた。
あれ?これって?
コードを書きながら僕はたぶん「Why me」を見つけた。。。
新しいことに挑戦し、熱中して没頭する。
これは意外と誰にでもできることではない。
誰でも新しいことに挑戦するのは怖いし、そんなに熱中できない。
だけど僕は、すぐに飛び込むし、ハマると狂ったように熱中する。。。
小学生の頃、山や川を練り歩いて珍しい石をコレクションした。
ルービックキューブは40秒で全面揃えた。
中学はモンハンにハマりすぎて改造、ネットのプログラムをコピペして飛んでリオレウスを追いかけた。
高校はバンドにハマってベースを始めてライブやコンサートに出演した。
大学は薬学にハマり研究に打ち込み学会で賞をもらったし、全国模試は上位3%に入った。
筋トレにハマって体重を57kgから70kgまで増量。
社会人になり、キックボクシングを始めて顔面腫らしながら薬剤師をしていた。プログラミングに挑戦してGGAに出場にも出場できた。
今はプログラミングにハマっている。
いままで、自分では気づかなかったけど周りの人からするとこれは狂っている。
そして、僕は昔から両親に言われている「自分の好きなことをしなさい」を思い出した。
まだよくわからないけど、たぶんこれが僕の根底にある価値観であり信念、なんだと思う。
「好奇心を持って新しい事に挑戦し、好きな事に熱中する。」
きっとこれは僕のWhy Meであり、両親の願いでもある。
セレクション
GGAにはジーズファウンダー児玉さんのセレクションがある。
ライバルは今までの人生であったことないような経歴のスーパーエリートばかり、、、東大や早慶、外資コンサル、有名企業出身の人たちが立ち並ぶ。
どうせ通過しないだろうと思いながら記念受験だと思って出場する。
そして「那須川天心になりたい」という、謎のピッチをした。
児玉さんはワクワクしながら聞いてくれているのが表情で分かった。
セレクション通過した。
GGA
セレクションを通過するとGGA出場メンバーで一緒にピッチ練習を行う。
ここで初めて出場者のプロダクトを見るわけだが、プロダクトも技術力もピッチも完成度がすんごい。
「こんなとこにおれは出ていいのか。」と思った。
ビジネスモデルとか市場規模とか正直僕はまだよくわからない。
だけど、自分が好きなものを精一杯伝えよう。
そんな構成で一生懸命ピッチを組み立てた。
本番、まさかの総合第2位。
入賞できると思っていなくて言葉は何も考えてなかった。
ちなみに、金子くんは3位入賞した。
今回、僕のWhy Meの旅に彼は多大な影響を及ぼした。
彼と一緒に壇上に上がれたことはかなり嬉しい。
最後に
たぶん、人生で一番苦しんだ半年間だった。
プログラミングではなく、もっと大事なものを学んだ気がする。
僕は一生好きなことを突き詰める。
これからもワクワクすることに挑戦していきたい。
(完)