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[未発表原稿]東京という夢

『人生の土台となる読書』用に書いたけど使わなかった原稿です。上京の話と又吉直樹『東京百景』について。

二十八歳のときに仕事を辞めて東京に出てきてからもう十四年が経つ。
最初は、ちょっと東京に住んでみて嫌になったら引っ越せばいいやと思っていた。だけど結局居心地が良くて、ずっと東京に住み続けている。
都会のいいところは、僕みたいなまともに定職についてない人間が平日昼間からふらふらしていてもあまり目立たないことだ。自分と同じような人間がたくさんいるから心強い。趣味が同じ人間を探すのもたやすい。家賃が高いのはデメリットだけど、なんとか家賃が払えるうちは東京に住んでいたい。

東京について歌った歌や、東京について書かれた本はたくさんある。
その多くは、東京以外の地方の出身の人によって作られたものだ。多分、東京出身の人は、「東京」なんて大きすぎるくくりではなく、「新宿」とか「練馬」とか、そういう具体的な町の名前で語るのだろう。
「東京」というくくりで物を考えるのは地方の人間だ。地元の街にはないものが何でもあって、芸能人がたくさんいる、日本の中心。つまらない地元の街から自分の人生を解き放ってくれるかもしれない夢の街。そうした憧れとしての「東京」。
そして上京したあとは、多すぎる人の波に埋もれ、その中で何者にもなれず、欲望を煽る情報に翻弄され、自分は何のために東京に来たんだろうか、と悩むことになる。東京と青春は相性がいい。

そうした「東京もの」の本で一番好きなのは又吉直樹さんの『東京百景』だ。

この本は、又吉さんが芸人を目指して十八歳で上京してからの話を語った本だ。
「下北沢駅前の喧騒」「六本木通りの交差点」「三鷹下連雀二丁目のアパート」など、東京のさまざまな土地にまつわる思い出が百篇収められている。百篇というと多く見えるけれど、一つ一つの長さは一ページから六ページくらいと短いので気軽に読みやすい。
又吉さんは漫才をやりたいという夢を持って上京した。だけど自分に才能があるのかわからず悩み続ける。

十九歳の僕は東京に出てきたことを後悔していた。なぜ自分程度の才能で東京でなにかになれると思ってしまったのか。全く歯が立たなくて驚いた。

漫才の養成所に通うのだけど、そこでもあまりうまくいかない。

NSCに通うのは苦痛だった。褒め言葉のように「変わってるね」と互いに言い合う人たちが多くて気色悪かった。なぜ変わっている事が誇らしいのかが解らなかった。

そうやって夢と不安の二つを抱えながら、東京の街で生きていく青年の姿が赤裸々に描かれていく。

都庁は偉そうに僕達を見下ろしていた。二棟のビルが巨大な漫才師のようにも見えた。それは僕を圧倒して、どこにも辿り着けないような不安な気持ちにさせた。

『東京百景』を読んで思ったのは、僕も又吉さんと同じように何のあてもなく上京したのだけど、又吉さんのほうが、不安にかられてひりひりとしている、ということだ。
それは性格の差もあるかもしれないけれど、上京した年齢の差も大きいだろう。
又吉さんが十八歳で上京したのに対して、僕が上京したのは二十八歳。僕はある程度年をとっていたので、自分がどういう人間でどういうことができるかはなんとなくわかっていた。まあ何とかなるだろう、という呑気さがあった。
『東京百景』には、十代の頃に特有の将来に対するひりひりとした不安と、不安の中で研ぎ澄まされた鋭い感情が描かれている。大変だったろうけれど、その強い感情をちょっとうらやましいと思う自分もいる。それは中年になった今はもう味わうことのないだろう感情だからだ。
僕はこの東京という、夢のように現実感のない街に、いつまで住み続けるのだろうか。



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