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10月23日(水)〜26日(土) グガン


10月23日(水)

六本木ヒルズでやっている塩田千春展と細野晴臣展を友人と見に行った。先週ふらっと行こうとしたけど40分待ちで諦めたのでリベンジ。
今回は事前に六本木のチケットショップに寄って券がないかと聞いたら、2枚しかなくて、こちらは3人だったのでどうしようか迷ったけど、とりあえず2枚買った。結局1人は入らず、僕ともう1人だけ入って見てきた。

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塩田千春展、それなりに面白かったけど、表現が生々しすぎて、メッセージが露骨でシンプルすぎて、あまり好みではないなーという感想。みんなあの真っ赤な部屋がインスタ映えするから来てるだけでは、と思ったり。
だけどある種のわかりやすさを追求しまくって一点突破する潔さがメジャーたる所以なんだろうなあ。「これが私の解釈する世界だ」と言ってしまえるような、世界の全てを表現しようとする姿勢もメジャー感がある。自分はそういうのやらないけど、そういう世界もあるんだな、という参考にはなった。

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見終わったあと、ちょっと息抜きで屋上の展望台に出たら見晴らしがすごくて気持ちよかった。海が意外と近くに見えて、海の匂いがした。六本木でもこんなに高いところまで登ると海の匂いがするんだな。

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そのあと細野晴臣展へ。細野晴臣デビュー50周年記念というイベント。細野さんが生まれてから72歳の現在に至るまでのさまざまな軌跡を総覧する感じの展示だった。
塩田千春は真剣すぎてちょっと疲れるけど、僕は細野さんみたいなちょっと力が抜けた感じのほうが好きだな。

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僕は細野さんの、はっぴいえんどとYMOのあいだらへんのアルバムが好きで、昔すごく聴いていた。『HOSONO HOUSE』とか『泰安洋行』とか。好きなのだけど仕事量が膨大すぎて聴いてないのがいっぱいある。YMOはそんなに好みじゃなくて聴いていない。

しかし細野さんはもちろん才能もセンスもあったんだけど、それ以前に東京の青山生まれで、祖父が音楽家(沈没したタイタニックに乗っていた唯一の日本人)だったりしていい家で、そもそもの文化資本とかが全然違うよなあ、ということを思ってしまった。東京の都心生まれって強いよな。スタート地点から勝てない気がする。この世代のミュージシャンってみんなこんな感じなのかもしれない。

終わってから三人で居酒屋に行って話す。店のBGMでサニーデイ・サービスの「朝」がかかって、友達が「これ好きな曲だ」と言った。

一緒に行った友達はそんなに細野晴臣とかはっぴいえんどとかについて詳しくなかったみたいなのだけど、
「昔サニーデイ・サービスを聞いたころにはっぴいえんどを聴いた気がする」
と言ったので、
「サニーデイ・サービスとかそのへんのバンドが出てきたのは90年代なんだけど、彼らは70年代頃のはっぴいえんどの影響を結構受けていて、その流れで90年代にはっぴいえんどの再評価ブームがあったんだよ」
みたいな薀蓄を語った。

当時、内田樹(はっぴいえんどをリアルタイムで聴いてた世代)が、娘に「私の友達はみんなはっぴいえんどを聴いてるよ」と言われて、びっくりした、という話があったな。
検索したら出てきた。2000年、まだ有名になる前の内田樹のブログ記事↓

>「いま音楽聴いている子はみんな、はっぴいえんど知ってるよ。」
>「え゛―!!」

内田先生のこの頃のブログが好きでしたね。地方の小さい大学で教員をやりつつ、音楽とか合気道とかの好きなことだけ書いてる感じだった。その後世間に発見されて、売れっ子言論人になってしまったけれど。

そういえば最近、90年代的なものに憧れる20代くらいの若者の話をネットで見たのだけど、それって自分たちが若い頃の90年代に70年代のものに憧れてたのと全く同型だよな、そんなに時が経ってしまったのか、と少し恐ろしくなった。
僕も90年代の頃は自分が生まれる少し前の、70年代くらいの音楽をよく聴いていた。はっぴいえんどとか裸のラリーズとかNeu!とか。
いつだって人類は同じことを繰り返しているのにすぎないのに、自分の世代は特別だと思える、それが若さの特権なのだと思う。

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