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どれだけ考えても死の先を知ることが出来ないのって結構おかしいよな


まずはじめに最近読んだ本の一文を紹介

『現世的な価値だけの中を生きていると酸欠になる』

納得し過ぎて心臓が送り出す血液の量が増えた感じがした。

とっ、とっ、とっ、とっ...
ドクン、ドクン、ドクン、みたいな

人目線のみの世界で生活してると、自然や自分以外の生き物への思いやりと畏敬の念を感じにくくなってしまう例のあれのことだろうな。

友達と久松山に登ったんだけど、山頂から見ると鳥取って意外とちっちゃいのなあ。
両手広げた範囲で私の世界が構築されていると思うとくすぶるものがある。

知らないことは捉えられないし感じることができない。知っていることを増やしていきたい。生きるこの世の美しさや難しさは出来るだけ感じたいからね。

どれだけ考えても私達の死の先を知ることが出来ないのって結構おかしいよな

・巨大な岩壁一面の壁に生える苔は、その生えている範囲だけが苔の世界だ

・鶏小屋の鶏達の世界は小屋の中、小屋の外は人間でいう宇宙かな?掃除したり餌を持ってくるだけの人間を見て思う。『なんでこの長い生き物は仲間と毛繕いしたり鳴いたりしないのだろう、餌を持ってくるだけで楽しいのか』

・千代川沿いの川原に背の高い茂みが広く広がっている。その中で生きる蛇や虫にとってはそこが世界。そこだけやねん。

・猫もそうやで。家猫は家の中が世界、窓から見える景色の変化や音はテレビのような感覚だろう。人を見て思う、なんでこいつら餌持ってきてオイラを触るだけのために生きているのか。猫はそれ以上の私達を知らない。

まあ実際人以外の生き物や植物に理性を司る脳の部位は無いからなんも考えず、本能でのみ生きてるんやろうけど。

でもここで思うんよね。

あれ、これ私ら人間も同じなんじゃないか

地球が全てだと思っているじゃん
死の先はどれだけ頑張っても理解出来ない

これ結構大きなことに気付いたと思っている
存在意義が種の存続と繁栄以外に見つかっていないの本当に不思議じゃない?


この流れのまま考えるとおそらく、私が猫や苔を見て『こやつらはココが世界の全てだと思っているんだろうな』と思っているように、人間を見てそう思っている存在がありそうでハッとしています。


まあ別に恐怖だけ感じているわけではなく
道を歩いていて足元に人間界ではない『別者の世界』が広がっていることが好き。
見ていて面白いし、そのたびに私の世界も広がっている。

どう生きたっていいんだよな



ps.土手の下に生えてたピンクの群集、ゾっとした。多分こいつらにとってはここのみが世界。



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