見出し画像

可愛いおばあちゃんになりたくて

ずっと「可愛いおばあちゃんになりたい」病を患っている。

笑っているように見えるしわをもっていて、いつでも会いたいけどどちらかというとちょっと弱ったり背中押して欲しい時に会いたくなるような可愛いおばあちゃんになりたい。

介護の仕事を経験して「可愛いおばあちゃん」像は色濃くなった。

老後はニコニコしていたい。物忘れが激しくなったり認知症になったりして、何度も口に出す言葉はポジティブな方がいい。ちょっとおしゃべりな方が可愛いよね。誰かが私を思い出すことがあれば、笑顔の方がいい。


*********

介護施設で働いている時、95歳前後のとある女性がいた。認知症になった後に緑内障になったため、目が見えなくなったことも忘れている。電気が煌々とついている時や朝でも「あら!真っ暗ね!もう夜なの?」というやりとりはもはやルーティンだった。よく座ってうたた寝しており、ハッと起きたかと思えば「目が見えない・・・」「まぁいっか!ハハッ」と顔をくしゃっとさせて笑うキュートな人だった。

冬の始まり、私の頭からプスプス煙が出ていた。年度初めに退職希望を出していたが、面談を重ね「もう一年やってみよう」になったが、「やっぱりあの時辞めれば良かったかな」という思考が強くなっている時期だった。

「辞めたい」と思い続けながら働くのは精神衛生上かなり危険で、イレギュラーなことに対してすぐにイラッとしていた。その「あら、夜なの?」のルーティンにもイラッとしてしまうようなほど本当に余裕のなかった。

その人は何をしても本当によく笑っていた。例えば歩いている最中に壁におでこをぶつけても、お茶をこぼしても「あらやだ〜」と笑っていた。ある日そのよく笑うことが不思議になった。何がその人をそこまで笑わせるのか知りたくなった。(後から思えば我慢しながら働き続ける状況で自分の面白いことがわからなくなって、笑うことが減っていたんだろうな。)

「何をしている時が楽しい?」「昔はなんのお仕事していたの?」とよく笑う秘密を知りたくてその人によく話しかけるようになった。

認知症という病は今日食べたものを思い出すような短期記憶は苦手だが、若い時のエピソードといったような長期記憶を思い出すのは得意である。90歳というより、50歳くらいのその人とよくおしゃべりをしていた。

「今は栄養学校の先生よ」「女学校の友達が・・」なんの質問をしても最終的は学生時代の友だちの話と仕事の話をしていた。戦後なのか戦時中なのかあやしい混沌とした時代に、学校を卒業して好きな仕事をしていたようだった。何度もおなじ話をするのはそこに強烈な思いを持っているのではないかと私は信じ始めた。

それを自分に置き換えた時に、負の思いを背負ったまま日々を過ごし、このままおばあちゃんになったら・・・自分の描く可愛いおばあちゃんになれないことにゾッとした。

********

と、とりあえず好きなことをしよう・・・好きか・・・・好きなことがわからない・・・やりたいこと?やりたいこともわかんない・・・まだ東北に帰るタイミングではない気がする・・・住む場所は変えてみる・・?

あれ・・広島に旅行に行った時に住みたいと思った気がする。そうだ!広島に行こう!!!

そこからはもう本当に恵まれた。トントンぼよーんと補助台がついた跳び箱のように、友だちに紹介してもらって、現地に行って、もう今日から2、3日後には広島へ引っ越す。

友だちに仕事を紹介してもらったり、横須賀の残りの生活中も毎日誰かしら会いに来てくれたり、引越しの準備も手伝ってもらっちゃったり。今受けているたくさんの愛を周り巡って返していけるになりたいなぁ。

可愛いおばあちゃんになる作戦!幸先良さそうデス。

コーチングスクールに通いたく、note頑張ってます!!サポートしていただいたお金はスクールの入学金にしようさせていただきます!