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らいすき会 #4

本日の題材。村田喜代子さん「ゴジラよ、瞑れ」の文章より。

 晴れた朝、今日は伊福部昭の『ゴジラ』のCDを鳴らそうかな、と思う。二階の窓の外は穏やかな陽が射して、吹く風も優しい。こんなのを「ゴジラ日和」というのだろう。 洋間の棚に置いたミニ・コンポは小さいけれど優れものだ。カセットを入れると雅楽めいたゆかしいクラシックの旋律が、平安京の都からでも流れてくるように、部屋に広がる。流しで食器を洗い、観葉植物に水をやっていると、やがてその曲に不穏な黒雲が混ざり始める。   
 部屋の壁に、何かの黒い大きな影法師が現れる。背中にギザギザのあるヒレを持ち、太い尻尾を引きずっている。南海の澪の中から、水爆実験で原子怪獣となったゴジラが日本へ、日本へと近付いてくるのである。

村田喜代子「ゴジラよ、瞑れ」より

この日は朝5:30からのらいすき会。
それもあってなのか、今日は難しい!!!頭がまわってない。
解説を読むと、書きたいテーマはあるんだけど、なんて書き出そう?っていう時に、「ごく日常的な習慣」から書き出す事、とかいていて。
でも、この文章の冒頭に書かれているものは、「毎日音楽を聞いていて」とかならまだしも、そもそも、え?伊福部昭さんのゴジラ?あのあれかな?みたいなかんじになる。。。

ありふれた日常を書いて、そのあと、非日常的な、意外な展開を見せるからこそ、え?この先どうなっちゃうの?って読み進めていく導線を描くようなかんじなんだけど、そもそもこの今回の題材である文章が、日常とはとらえにくい、、、

ただ、この文章と解説を読んでおもったのが、
今日はこのテーマのことが書きたい!ときまっていたら、それとなんとなく関連のあることのなかからの日常と非日常を探さなければならないのでは?ということ。ここに書く日常や非日常が、そのあとのテーマとかけ離れすぎていると、それこそ「なんのこっちゃ?」となるのかな。

何気なくしている日常的な出来事が、非日常になったらどうなるのか?な描写が必要な時もあるのかなぁ。

ちょっといまいち一番しっくりこなかった、らいすき会。。。

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