郵便ポストに思う

                           2009年8月記
   赤い制服を着たおまわりさん。
これが幼い頃の私が持っていた、町の郵便ポストの印象だ。
何時頃から現在のポストに取って代わって来たのだろうか。
写真に撮っておかなかったのが悔やまれる。
昔、おまわりさん、電車の車掌さん、そして郵便屋さんが、子供にとって、制服を着た、童話や童謡、お話しに出てくる尊敬すべき職業の代表だった。

先の郵政民営化選挙、私は最初から民営化には反対だった。
民営と言ってもどこが民営化の恩恵に預かるのか。
どうも庶民一般の利益より、民営化を進めようと賛同し、中に入って議論する側に大きな利益が存在する事が、理屈無しに感じられた。
雪崩を打つ。
民営化の結果が成否に関わらず、どの様な形となって出てくるか。
一切お構いなし。
成功しか考えない。
良くも悪くもどうも、日本人はある方向に雪崩を打つ。
大きくバランスを欠き易そうだ。
今回の選挙もどうも雪崩を打ちそうな雰囲気だ。

昔の朴訥とした直立不動の赤い郵便ポスト。
どこからでも見つける事が出来た。
子供の頃は太い胴体に抱きついたものだ。
現在のポストは全然悪くは無いが、量産デザイン。
私には、機能重視的ですっきりし過ぎにみえる。
市中にレイアウトしやすいが、車からは探しにくいし、歩いていても見過ごす。
今日、昔のポストが立っていたらアートかもしれない、と思うのは私だけか。
昔の形では置き難いだろうが、もっとアートを感じる形は無いか。
ポストだけではなくいろいろな物についても云えそうだ。
今であればアートを感じるものが、何時の間にか効率を理由に取り除かれた様だ。
あるいは、全く雰囲気を変えた形に変えられたりしていそうだ。
何時の間にか、歴史を感じたり昔の生活を感じる町の名が、役所の都合や、郵便配達の効率を理由に変えられて行くのと同じように。
もしかして、昔のポストが取り除かれた頃と、市場原理が徐々に台頭しして来た時と重ならないだろうか。
町の中に古さと新しさをバランスさせたアート感覚を望みます。 

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