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生死を分ける「ま(間)」 その刹那(5) 父の場合―奇跡の間(ま)Ⅰ

「九死に一生を得る」とか「人間(じんかん)万事塞翁が馬」とはこう云うことか 二度の奇跡の生還と言えそうだ

はじめに                                   泥沼戦争のほんの序章に過ぎなかった第二次上海戦の従軍でした。    父は二十一歳、満州、ハルピンと移動した後の最初の戦闘でした。
機関銃隊に所属し、伝令や弾薬運びの途中でした。
近くに着弾した迫撃砲弾の破片を首に受けての重傷です。
被弾した瞬間は、地の底に引き込まれて行くような感覚だったそうです。
麻酔も無く、頸動脈を囲んで止まった破片を取出し、奇跡的に助かりました。
その後二年間の陸軍病院生活を送った後除隊し、中島飛行機に就職しました。

二十六歳で見合い結婚しました。
母は負傷の事を知らず、ありゃ!騙されたと思ったそうです。
病院のX線検査の透視に母が立ち会ったとき、顎の周りに細かい破片が数えきれないほど残っているのが見えたそうです。
そして半年後に太平洋戦争で赤紙が来て原隊復帰です。
昔、私が子供のときに「二等兵物語」という映画がありました。
古参兵や班長に虐められる、殴られる、スリッパでピンたされる、全く同じです。
父が、「鉄砲の弾は前ばっかりから飛んでこんぞ」、と云うと大人しくなりました。
応召後夜中に南方の島に向け出征、飢餓と闘い復員しました。

外地へ出征するときの様子ですが、隠密行動なので、家族には何日とは知らせず突然夜中に出て行きます。それでもそれも建前か、どこからかちゃんと情報が入り、出て行くときは、家族や親せきが、昔の明かりのカンテラを行軍する兵隊に向けては、息子や夫の姿を追っていたということです。母も祖父母も顔を見ることが出来たようでした。

母の話では、柔道で鍛えた身体が、46キロになり、髪は抜けて薄くなり人相ががらりと変わって、老人の様な姿で帰って来たそうです。私が結婚した人は、こんな人だったかしらん、と。

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