Day 8 西方浄土

4月7日(日)
姫島海水浴場
マラマホヌア体験ヴァア

長崎鼻浜

浜の宮海岸
網敷天満宮
宿:宇佐ホテルリバーサイド


昨日、霧の中を6時間近く漕ぎつづけてわたしたちは祝島から姫島にかろうじて漂着した、

わたしは心の目で島がいつもみえていたので、6時間かけてアロハを瀬戸内海に伝え祈り続けていた気分なので、漂流して漂着したという言葉はまったくあてはまらなかったが、わたしたち6人の荷物とアンクルと若干一名の仲間を乗せて姫島まで渡し船してくれた祝島の議員さんは、しきりに漂流とか、遭難という表現で騒いでいたらしい、おおいに心配をしていたと後から聞いた、

心配かけて申し訳ないことをしたと思いながらも、わたしたちが今やってる愛と平和を祈る活動、海にアロハを伝えながら漕ぐことで海を浄化し癒やし、この母なる地球のバランスを調えるため自分の体を使い汗をながす動的な祈りの行為は、教会や神社、お寺での祈りや参拝が文化としてまたは宗教として定着している今の経済至上主義社会、日本という法治国家でバリバリと生きる人に理解してもらうのは難しいものだと今回旅をしながらそういう場面に何度も出くわした、それはある意味仕方ないことでわたしたちがもう少し表現の仕方や発信の仕方を現代人にもりかいできるようなかたちにしていかなきゃいけないのだろうと思う機会にもなった、

古代の英雄や神々の伝説にのこるようなしきたりや、古代の民族の天地自然への祈りの儀式はすべて最初は誰かが始めたもので、大地や海のことばを学んだり、天の意志を表現したり、自らの文化やアイデンティティを取り戻したり維持する上で不可欠なものだったのだと思う、

わたしたちも同じようにそれを感じながら今の人でも理解できるように活性化させ次の世代がその輪に心地よく自由にはいっていけるように新たな祈りの方法を創造し続ける必要があるのだろう、
混沌とした今の世の中に生きる人間として必要に応じて皆をつなぎ駆り立て立ち上がるために自らのスピリットを呼び起こすという使命をもわたしたちは与えられている、

姫島では祝島の宿のくにひろさんが紹介してくれた大帯八幡社の宮司さんに何かとお世話になった、夜は島の仲間内で集まる場のような民泊 おのむら に宿泊させていただいた、

姫島は火山の島で、古事記や日本書紀にもでてくる神話の時代から栄えていた島、拍子水(ひょうしみず)温泉は不思議な炭酸水素塩泉で、アンクルもご満悦、その横の湧き水を献水のためにありがたくいただきました、

今回の祈りの旅を通して驚いたのには、日本はほんとに湧き水が豊かな国だということ、そして神聖な場所から湧き水がある、湧き水があるから神聖な場所となり祠ができそれが神社となったのだろう、

古代の人、とくに海を渡り旅をする人にとっては飲水になる湧き水は命の水で、湧き水を得るために山のふもとの砂浜に上陸したのだきっかけで、その砂浜や津や浦とよばれる場所が発展して村になり栄えていった、

今回わたしたちがお参りした神社には必ずといっていいほどに近くに清水が湧いていた、こころを清めることこそ神道の真髄なのだから、そこに清い水は不可欠なのだ、目に見えない世界を大切にしながら生きることを決意して心を清めていくことで、この物質世界での生き方をあらたなものにすることができるのだ、

水には、浄化、清らかさ、安らぎ、平和、やさしさ、柔軟性、潤滑、すべてを一つにつなぎ、拡散し、調和する力、
水は心地よい喜びに満ちた波動をもっている、

だからこその清い水の波動を聖地とよばれている場所でありがたくいただき、わたしたちは人の営みにより汚染され破壊された砂浜に上陸するたびに祈りを捧げ、山の清き湧き水を砂浜と海にむけて献水セレモニーをするのだ、

昼過ぎに姫島海水浴場に到着したわたしたちを珍しく多くの島の人たちが出迎えてくれた、 

先に船で到着したアンクルとオハナが島を散策しながら出会った人たちに声をかけてくれたみたいなのだ、やはり航海してきて砂浜に上陸するとき出迎えがいるのは嬉しいもので、6時間におよぶ漕ぎの疲れも一気に吹っ飛んだ、

そして、島の人のはからいもあり、久しぶりに美味い島の定食屋さんで腹いっぱいのお昼ご飯をいただいたのだ、メニューに”長崎ちゃんぽん”があり、九州に到着したことを実感し目的地のナガサキが近いと感じて何気に嬉しかった、

その夜時間にも余裕があり、夕飯の時間にアンクルを囲んで一人一人話しをしたのは印象的だった、こんな時間を持てたのは、江田島の だんだん 以来だったと思う、


今日はちょうど日曜日、朝から子どもたちを中心に多くの島民がPilialohaに会いにきてくれた、漕ぎに来てくれた、姫島海水浴場の湾内を何度もなんども行ったり来たり、子どもたちのエホエプー『Me ke aloha !!』の声が湾内に何度もなんども響いて、海水にその波紋がひろがり確実に海を浄化していくのを感じた、

周防大島でもそうだったが、やはり島に生きる子供たちは特別で、古代からの島のkupuna(先人たち)のスピリットを引き継いでいるのだ、
本人たちはもちろんそれに気づいていないし、テレビやネットで日本中それこそ世界中の画一的な世界観に浸り数年間生きつづけているので、その自分の中に眠っている海洋民族のスピリットに気づいていないけども、アンクルのチャンティングを聞いて海を漕ぎ始めた途端にその海民スピリットが目覚めはじめるみたいなのだ、

子どもたちは、この島のそのものであり、この土地の祖先そのものなのだ、

それを強く感じた今回の瀬戸内海の島々でのマラマホヌア体験ヴァアだった、
嗚呼、この場所でこれを定期的につづけていれば、この子たちは確実に希望の光となり、それこそこの母なる地球を救う『虹の戦士』となるのに、と何度となくおもったものだった、

姫島の子どもたちに別れを告げて、Pilialoha とわたしたちは九州本土、長崎鼻の浜を目指して漕ぎ始めた、九州本土との海峡は15キロもなく定期的にフェリーが運行している、

相変わらず黄砂により視界は決して良くなかったが、もう国東半島ははっきりと目視できる距離なのだ、伊予灘から周防灘の瀬戸内海を漕ぎ進む感じだ、途中アンクルとオハナを乗せた伊美行きのフェリーがPilialoha を追い越していく、風が押してくれて快適なボヤージングだった、国東半島は小さな入り江と岬が連続していたり、後ろにみえる山がそびえてたっていて、海から見る景色が今までの瀬戸内海の沿岸とはまるで違い、火山の島、九州、にやってきた、という実感がした、このあたりはまだ岩礁や岩肌が見えたりと、  自然が織りなす沿岸が多く残っていた、このあたりまでは、山から、空から、海から、たくさんのマナをいただきながら漕ぐことができた、

長崎鼻の浜はリゾートホテルの前の浜で日曜日ということもあり、たくさんの観光客がいた、アンクルの祈りのチャンティングと献水の儀式をここでも厳かにやったけども、大勢いる観光客のだれも興味をしめす人はいない、もちろんまったく期待なんかはしていないけども、
今後、来年以降はもっと観光客や地元の地域社会の人たちも一緒に自分たちが愛する海や山や砂浜のために地域社会による運動になるといいのになあ、と思うのだった、

祈りの儀式をコミュニティ全体で地元の自然のためにやるかたちをつくれたらもっともっと海も浄化され、母なる地球も喜び、そして人の意識も変わっていくのに、人の意識がかわれば地球は必ず蘇ると思う、

一人ひとりがつながり結ばれ、" One Love " ひとつになっていく、
その愛のエネルギーは、わたしたちを遥か彼方まで漕いでつないでいく核となると思うのだ、

自然の砂浜を裸足でしっかりと踏みしめ、自分の身体を使いマナを込めて海を撫でアロハ(愛)を伝える、この祈りを運び伝えるためにあなた達の力をかしていただきたい!と 叫びたい気分だった、

遥か昔の太古の日本人がそうだったように、祈りという神聖なつながりの中で人々が集う共同体をつくっていけば、かならず母なる地球は蘇るのだ、

そんなことばかり考え、心でそう強く祈りながら、、、

あらたに神戸から来てくれたパドラー3人を乗せてPilialoha は大分県は長崎鼻の砂浜を舟出して福岡県築上は網敷天満宮がある浜の宮海岸を目指すのだった、目には見えないけども浜の宮の天神様が導いてくれることだろうと信じながら舟出した、

人間の欲望と身勝手さの塊のようにしか見えない製鉄所や石油化学工場の煙突がたちならぶあまりにも不自然極まりないコンビナート群の横を、波のない穏やかな内海にもかかわらず、もともとの自然の海岸線がまったくわからないほどにセメントで埋め立てられそしてコンクリートの堤防で埋め尽くされた沿岸の横を祈りをささげ、海を撫でるという言葉がまったく似合わない海を、化学物質の匂いただよう哀しすぎる海を漕ぎつづけた、Pilialohaは、すべての生きとし生けるものにとっての美しい未来に向かって進みつづけたのだった

まだこの地が自然豊かで水に恵まれた美しい場所だったころをイメージしながらわたしは海を撫でつづけた、祈りつづけた、

数千年、数万年と続いた美しい海と自然と調和した人工的なものがない時代の大分の沿岸をイメージした、
神々しい山と生命の源である海が白い砂浜でつながり、いたるところに温泉が湧き、そこに人々が集まる、清い湧き水が山の岩肌をあらい流れる姿を思い出した、
そしてその豊かな山の養分をもとめて魚たちや貝や多くの海の生きものたちがこの海にあつまり、そして水とその魚たちをもとめて人々も集まっているのだった、そんなキラキラとやさしく輝くような人と他の生き物が共に生きる共同体がこの豊かな海と大地には確かにあったのだ、
そんな姿をイメージしながら海を撫でつづけたのだ、


相変わらず黄砂の影響もあり、今日の最終目的地の沿岸は見えてこない、工場からの排気ガスも影響しているのだろう、目的地方面の山並みが見えてこない状況が何時間も続いた、どうしても左手に見える沿岸のコンビナートがきになるのだった、

わたしたちはかろうじて今ものこる希少な砂浜を探し目指して漕ぎ続けるのだけども、不自然にそびえたち覆いかぶさってくるようなコンクリートの塊のせいでまったく見えてこないのだ、

そんな環境でも、わたしたち6人はヴァアの中の調和だけを心がけながら海を撫でるように漕ぎ続け前進するのだった、

福岡の山と本州の山口県の山が重なるように見えてきた、おそらくこの先が関門海峡の入口なのだろうと思いながらその方向にむけて進みつづけたのだった、

もう何時間たったのだろう、雲とガスに隠れてそれまで見えなかったお日様の光がかすかに進行方向の雲のしたからオレンジ色にもれてきた、そのオレンジの光がどんどん強まりながら下りてくる、日が暮れる時間なのだと夢から覚めるようにその時始めて気がついた、

わたしたちは西に沈む夕陽にむけて漕ぎつづけるのだった、
わたしの進むべき世界、道筋、海路をさししめすのであった、
その先にわたしたちの向かうべき浜の宮があると直感で感じた、西方浄土という言葉があるように、E ala e でお日様が東からのぼり始まった今日という日が西に沈むと同時に人生も終わるのだ(これは古代のハワイアンの考え)
お日様が沈む西にむかうとどうしてもキラキラとやさしく輝く極楽浄土(天国)に向かうような錯覚におちいるのだった、歴史的にも九州という地はそれを強く感じさせる土地のようだと思うのだ、

そんなことをふと考えてる時にどこからかかすかに法螺貝の音色が聞こえてきた、

もうあたりは暗くなり始めていた、雲に覆われてその部分だけが龍の目のように開いたお日様は九州の山に沈みかけながらも、海を渡るわたしたちのためにオレンジの道筋を灯し続けるためにしばらくの間沈むのを待ってくれてるようだった、今日何度もみてきた迷路のような何かの養殖の浮き棚のブイを避けながら法螺貝の音色に誘われるように入江の奥にはいっていく、そして、パ、と開かれるように淡く白い砂浜が現れた、その砂浜で法螺貝がなりひびいいてる、うっすらと小さく人影がみえるようだった、夕陽と法螺貝の音がわたしたちをこの浜に導いてくれたのだった、

悪臭を放ちながら異常にそびえ立つコンビナートとセメントとコンクリートに象徴される人間の欲望と自然破壊の辛く哀しい世界を旅してきたPilialohaとわたしたちにとって、淡いオレンジ色の夕陽と法螺貝の音色に導かれて到着したその砂浜はまさに 極楽浄土、ヘブンそのものだったと表現しても言い過ぎではないだろう、

そしてこの場所がいまでも『浜の宮』と呼ばれて昔のままにすぐそばに鳥居があり神社という祈りの場がいまもまだそこに残っていることにほっと安堵するのだった、

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