7月最初のながーい日曜日
いつのまにか自分の気持ちをつづる場になってしまいそうな、このNote。
7月になり葉山の砂浜も海も不自然なエネルギー満ち溢れています。
海に行くのが、辛くなる。そんな季節、
暑さで辛くなるわけじゃないよ。
4年におよぶコロナによる自粛ムードから開放されて、「海、久しぶり、、、」の人たちで、ここ葉山の海も混雑が始まった。
砂浜に人工物が立ち並び、持ち込まれ、人間だけが楽しむための場所へと様変わりする季節だ。都会の感覚とエネルギーのままに押し寄せてくる人たち。その華やかで楽しげな雰囲気惹きつけられる地元の人達。
海を、浜を、「銭」を生む場所としか頭から思っていない業者たちがお金で場所取りをして、経済至上主義の人たちもそれを当然のように奨励する。
無邪気な子どもたちの笑顔や楽しげな歌声に、地球は癒やされ、海が確実に浄化されるのをいつも感じている。
でも夏の海は、度が過ぎている。市民プールや商店街のように大音響で管理する側の人間の価値観や社会のルールというものにコントロールされた大人の人間の立場中心の規則を押し付ける。
放送を聞いていても、浜に立ち並ぶ簡易の居酒屋にも、そして海を爆音を響かせながらガソリンを吹き出しながら高速で海を走るマリンジェットにも、エンジンアイドリングしながらオイルを垂れ流しながらも海の上で拡声器で喋りまくる釣り船にも、、、
どこを見渡しても、どこをさがしても、マラマホヌア(地球をいたわるという意味のハワイ語)や、海や自然をリスペクトする優しいマナは存在しない。
すべてが人間中心主義、人の都合で、コントロールされている夏の海と砂浜、
静かに瞑想し、音楽じゃなく、ただ海の声を聞く、ことができる場所がどこにあるのだろう?
自然という理屈にならないものを極力排除し予測可能な人間の思考が考え出した世界を広げ続ける都市では、いつもこんな状態なのは仕方ないとしても、ここは海辺の砂浜、地球上の生命が一番最初に誕生した波打ち際、世界中につながる”つの海”の入り口なのだ。
どこにも自然第一主義、地球中心主義の人間は見当たらない。自然のマナが都市のエネルギーと人間のエネルギーに覆われて薄れてしまう。
昨日は10数年ぶりにビーチ葉山アウトドアフィットネスクラブで、話をする機会を与えられた。Moananuiakea の上映会の前後に映画を見に来たクラブの会員さんに向けて、少し話をした。
ビーチは僕が葉山に移住するきっかけを作ってくれた場所。前にも何度かオーシャンレジェンドの上映会を兼ねて話をしたことがある。大島からSUPで漕いだ時も、八丈島からOC-1で漕いだ時も沢山のビーチの会員さんというか仲間たちに助けてもらい、サポートしてもらった。残念だったのは、その時の仲間は誰も来ていなかったということかな、もちろん上映会を企画運営してくれたスタッフの柏木セイジはいたけども、一緒にコナに遠征に行ったり、OC-6を漕いでた懐かしい仲間は誰も居なかった。
でも、新たな海を愛する、自然をリスペクトしている人たちとの出会い、その人達にホクレアのことを少しでも知ってもらったのは良かったと思う。
2007年にホクレアが日本に来て16年、そして2026年、3年後にはまたホクレアがここにやってくる。2007年の時と同じ人達ではなく、マラマホヌア『地球をいたわり愛しむ』というスピリットに目覚めた日本人が出迎え歓迎してくれたらと心から思った7月の最初の日曜日の出来事でした。
人は自分の人生でたいへんなことが起こると、自分の感情の虜になり、そして陸の社会での自分の体裁を中心に考えはじめる。
そうなると人はいつの間にか海から離れ、海に感謝してたことでさえ忘れてしまい。そして母なる地球と繋がり調和した心優しい自分をも失うのだろうか、
自分の感情は海に転写され、それが地球の環境にも影響するということ、科学的じゃないし、合理的じゃない話しだけど、ほんとうだよ。すべてはつながってるんだよ。
希望の光りたち
そんな子どもたちの未来の地球のために、
過去を振り向いたり、周りを気にしたり、称賛やサポートを期待しないで、マラマホヌアのために、
海に、
ごめんなさい、ありがとう、だいすき、と言いながら漕ぎつづけたいよね。
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