DAY 5 『かむろ』のマナ

4月4日(木)
片添ヶ浜

沖家室島(おきかむろ)

庄南ビーチ
マラマホヌア交流会
体験ヴァア

宿: 片添ヶ浜オートキャンプ場 4泊目

前回も書いたようにアンクルはすこぶるこの島を気に入っている

土地を買うことはできなくても借りて定期的に毎年訪れたいほどに気に入ってるのだった
自然の声を聞くことができるカフナだから、なにか深い秘密の叡智をこの島に感じるのだろう、誰か砂浜つきの土地と家を貸してくれる人がいたら紹介してください、おねがいします、

だからというわけでもないが、わたしたちがこの周防大島にやってきて5日めになる

数日間の強かった風も昨日の雨もおさまり明日は舟出ができそうだ

雨上がりの今日は、明日の久々の海峡横断と祝島上陸に向けて少しでも祝島方面に近づきながらも明日吹く北寄りの風を考えてさらに西側にあたる庄南ビーチまで漕いでPilialohaを移動させることにした

そしてその場所で子供たちや島民を招待してマラマホヌア体験ヴァアもやろうということに

島で世話になった仲間を2人乗せて朝いち片添ヶ浜を舟出した
まずはすぐに沖家室島に上陸

沖家室島はわたしも一度は訪ねたかった島、地元のひとは『かむろ』と呼ぶ

今は大島と380メートルの沖家室大橋でつながっているけども、かつてはこの1平方キロにも満たない平地のほとんどない島に3000人以上の人が住んでいたというから驚きだ

かつては日本一の人口密度だったらしい

今は100人を切るほどの人口で、1990年代ですでに日本一の長寿郷と呼ばれていて、お盆になると帰省する人たちで10倍の人口密度になるので『盆に沈む島』ともいわれていたらしい

それももずいぶん昔のこと

まだ帆船が主流だった時代には対馬、朝鮮、台湾、ハワイ諸島まで魚を取りに出かけていて、対馬に親戚があり帆船で行き来する漁師も多くいたらしく、島の人は大島の人と違い対馬なまりを話す人達が多く住んでいたということだ

この島からもハワイ移民がたくさん出ていて、ホクレア号のナイノア トンプソンが子どもの時に海のことや航海のことを教えてくれたという近所の日系人の漁師の叔父さん ヨシ もこの島の出身だったらしく、2007年にホクレアが周防大島に寄港したときにナイノアは『かむろ』に訪れ住民台帳で彼の名前を調べたという話はわたしもクルーから聞いたことがある

アンクルはその話をハワイ移民資料館で見たのか、それともわたしがなにかのタイミングでホクレアとの関係性を話したからなのか、、、
さだかではないけども、、、

この日、片添ヶ浜から沖家室島経由で庄南ビーチまでのクルーとなり久しぶり一緒に漕いだアンクルは、『かむろ』の狭い浜に上陸していつも以上に長い祈りを捧げた

それもホクレアに向けて時空を超えてプー(ほらがい)を鳴らせ、
語りかけ、祈りを始めたのだった

いつもと違う祈りの言葉だったのをわたしは憶えている

そしてホクレアのカヌーの色に似た赤っぽい色の小石を砂浜で拾い、Pilialohaに載せたのだった、

アンクルは語った、

この『かむろ』のマナ(宇宙とつながる自然の波動、エネルギー、バイブ、スピリット)が今のホクレアの偉業を維持していると

今この母なる地球を癒そうとしているのだ

ポリネシアの海の民、ハワイアンの祖先の誇りとアイデンティティーを復活させ当初はハワイアンの権利復活運動のためだけに存在したホクレアが今のような世界を股にかけて航海し、海のため、母なる地球のため、と明言して航海するようになったのはナイノアのおかげだ

そしてそのナイノアの志しの源泉はこの『かむろ』という島のマナにある

とおい太古の昔、太平洋のピコ(おヘソ)のような存在で
かつて世界中の海洋民族は、宮島の弥山を中心とするこの場所に集っていた、それはこの海のマナをいただくために、という話は以前したと思う

世界の海洋民族にとって特別で重要な宇宙とつながるマナを発する源泉地、それがかつての瀬戸内海、

この内海に浮かぶこの小さな『かむろ』で生まれ育ち、風と星を頼りに海に出ていた日系人のヨシから、かろうじてその時代まで薄っすらとではあるけれど残っていたその太古の海洋民族のマナを受け継ぎ、そのマナがナイノアに宿り彼を今のように育てあげたのだ
彼の宇宙とつながるような霊性を高めたのだ

だからこそホクレアは2007年に日本にやってきた、瀬戸内海に導かれた

そしていま、

『母なる地球をいたわり愛しむ』
→Malama Honua  ボヤージング
2014~2017の世界一周航海の名前

『地球のため太平洋を癒やす』
→Moananuiakea ボヤージング
2023年にスタートし今現在中断している環太平洋航海、
日本が最終目的地


という太古の海洋民族のスピリットをもって航海をつづけているのだ

とアンクルは言いたかったのだろう



沖家室島を舟出してからは右後ろから吹く東よりの風に押されて快適な航海だった

あっという間に風とうねりに押されて立島の横を抜け安下庄湾を漕ぎ進む、アンクルの一番シート、ストローカーのリズムは心地よく、初めて漕いだ地元のシーカヤッカーとSUPパドラーも皆と調和しながらリズミカルに漕ぎ進むのだった

庄南ビーチに上陸してから地元の子供たちと一緒にマラマホヌア(地球をいたわり愛しむ)体験ヴァアで何度も何度海にでる

2日まえとは違い、庄南ビーチは島の中心地に近いということもあり大勢の子供たちがマラマホヌアに来てくれたのだった

江田島のオハナもわざわざ小舟で2時間かけて家族でかけつけてくれた
こういうのは嬉しいよね

子供たちの声と笑顔に反応して海もキラキラとわらっている

希望の光の種たち、この子たちはヴァアを漕いで何を感じているのだろう
島に住みながらも海に漕いで出る機会がほとんどない今の子供たち、それも仲間と合わせて漕ぐことなんて初めてのことだろう、

風のうたがきこえているかな

海のこえにみみをかたむけているかな

砂浜のささやき、島のわらいごえがきこえるだろうか

お父さんやお母さんたちも参加してまた何度も何度も海に出る

アンクルも浜でハワイのチャンティングを唱えながら

島のクプナ(祖霊)にはなしかけている

希望の光の種たちにはなしかけている

島のエネルギーが少しづつ変わっていくのを感じる


この日、葉山からオハナがやってきた

明日は朝湘南からも長崎出身の仲間がやってくる予定だ

街に近いけども、宿泊できるところがないのでPilialoha はここ庄南ビーチに置いて、わたしたちはまた片添ヶ浜に戻りオートキャンプ場に宿泊することにした
  
明日は祝島をめざす、いよいよハートの島だ、島渡りだ、

皆の荷物を運ぶために、地元の人のご厚意で伴走艇を急遽手配してもらった

近所の叔父さんが自分の趣味の釣り用の小さい船で運んであげると快く引き受けてくれた、でも風が強すぎる午前中は無理ということで明日の午後の風をみて決めることに、明後日なら大丈夫ということで商談成立、
ほんとに有り難い、

アロハの島 周防大島 だいすきな島がまたふえた








    


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?