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2022 ー早春賦をめぐってー

あけましておめでとうございます🐯🎍

2022年の1番の目標は、自分なりの授業を確立することです。教科書の作品一つひとつに自分自身が心を動かしながら、授業作りをしていく年にしたいです。

そんなわけで、新年早々、
唱歌「早春賦そうしゅんふ」(吉丸一昌 作詩 / 中田章 作曲)の考察を巡ってわくわくしたことがあったので、シェアします。

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

け去り あしつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けばかるる 胸のおもいを
いかにせよとの このごろ
いかにせよとの この頃か


「早春賦」は1913(大正2)年に、吉丸一昌氏が手がけた『新作唱歌』第3巻に取り入れられ、ひろく学校でうたわれるようになりました。

吉丸一昌氏は東京音楽学校(現:東京藝術大学)の教授で、文部省の『尋常小学唱歌』の編纂委員を務めた、日本の歌唱や童謡の先駆けとなった人物だといえます。

作曲者の中田章氏は、「夏の思い出」の作曲者である、中田喜直氏のお父さんです。

2月初めの立春という、春とは名ばかりの、寒くてたまらない時期に、まだかまだかと暖かい春を待ちわびる人々の気持ちが歌われています。

早春賦の情景については、長野県大町市のページに詳しいことが載っているので、気になった方は読んでみてください。



さて、ここからが本題。

私は数年、早春賦の歌詞の繰り返しについて、疑問に思っていたことがありました。


経験上のお話になりますが、
同じ旋律が2回繰り返して登場するとき、特にうたの場合、音楽の強弱は、1回目よりも2回目が強くなることが多いように感じていました。

繰り返すことによって、よりその想いが濃く鮮明になっていく、というようなイメージです。


しかし、早春賦の楽譜をみてみると、1回目より2回目が弱くなっていく(fフォルテpピアノ)のです。

(参考:音楽之友社『最新・日本歌曲選集 日本歌曲名歌集』)


ここにどんな意味があるのかがずっと疑問で、春が来ないことへの落胆を表現してるのか?と思っていましたが、知人に持ちかけたところ、

「"こだま"じゃない?山が広がる田舎で春を待つ嘆きが、やまびことなってこだましてる様子。
(本当にそうかどうかは分からないけど!)

と言われて、ずっと疑問に思っていたことが、すとんっと腹に落ちたのでした。

本当にそうだとしたら、強弱で情景を表現するセンスが素晴らしすぎますし、だからこそ受け継がれる名曲なのだろうと思います。
いつか長野の立春の情景を味わいに行きたいです。


こうした考察によって、作品の見方がどんどん広がるのは面白くてたまらないですし、答えがいくつもあるからこそ、勉強してもし足りないと感じます。

ある程度の評価規準は持ちつつも、問いのある、多角的な見方ができる授業を作っていけるように、研究していきたいです。

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