見出し画像

心理臨床セミナー2022 第5回(2023/2/6)の感想など

心理臨床プラットフォームが企画に参与している「2022年度心理臨床セミナー」の第5回(主催:心理相談室アフォーダンス)に参加した。
今回のテーマは、「面接者が一個人としてあること―面接者の中立性と個別性―」というものであったが、われわれが専門家として仕事をしていこうとする以上、どうしても考えなければならないテーマであったように思う。

心理臨床の専門家としてクライエントに関わることは、個人としてクライエントに関わるのとは異なる。専門家としてクライエントに関わるためには、そのための態度を身につけなくてはならない――われわれが専門家としての訓練を受け始めた最初から、繰り返し言われたことである(筆者は大学・大学院で教える立場でもあるので、繰り返し学生・院生に言うことでもある)。
それは多分、間違いではないだろう。友人や知人が困っているから相談に乗ろうということと、専門家としてクライエントに援助的に関わることとは、異なることなのだから。

そのような、専門家としてクライエントに関わるために必要な態度を、伝統的な精神分析においては「中立性」という概念で表し、その重要性を説いてきた。
しかしその一方で、厳格に中立性を保とうとすることが、むしろ心理療法の進展を妨げ、あるいはクライエントを傷つけるといったように、非援助的となってしまうということもまた、様々な立場から指摘されてきた。

では、われわれ心理臨床家は、どのような態度、どのようなあり方で、クライエントと関わるべきなのであろうか。

今回のセミナーは、対人関係精神分析の立場を踏まえつつ、心理臨床家が個人としてクライエントと出会うことの意味と意義を、講師自身の臨床経験を交えながら丁寧に検討していくものであった。
その内容は非常に豊かで、安易に要約して単純化したり、絞り込んだ要点だけを取り上げればすむといったようなものではなく、参加者ひとりひとりが自身の考えを紡いでいくための、たくさんの手がかりがちりばめられていたように思う。
以下には、参加者のひとりとして筆者(右)が、このセミナーから刺激を受けて考えたことを記してみたい。

一つは、意図しようとしまいと、あるいは望もうと望むまいと、クライエントと関わりにおいては、面接者の個人的な側面で関わるチャンネルが必然的に開けるのだ、ということである。
このことは、よくよく考えてみれば当然のことである――何をどうしたところで、私は私以外の存在にはなれないのだから。しかし、中立性の強調は、あたかも心理臨床家はそうでない状態であり得るという、誤った前提を心理療法に持ち込んでしまったのではないだろうか。
そうではなくて、そうした個人的な関わりの開けを前提として、心理療法的な関係を考えることが重要になるはずなのだ。

もう一つは、面接者の個別性を前提とした関わりが、心理療法において必須の意味をもつということである。
このことは、心理療法をどのような営みであると考えるかに深く関わることであるが、筆者はそれを、クライエントの解離された自己(サリヴァンの言う“not-me”)が、クライエントとなっていくことを支える営みであると考えている(多分)。
今回のセミナーで講師は、自身の事例を検討する中で、「面接者が一個人と しての姿を備えた他者となり 、「立ち会うこと witnessing」(スターン, 2009)によ って、(解離さ れた)自己は存在を許さ れる」と述べている。
そうなのだ。そもそも対人関係とは、具体的で個別性を備えた人と人との関係のことなのである。心理療法もまた対人関係である限り、そして対人関係であることが心理療法が心理療法たり得るための条件であるのならば、面接者は具体的で個別性を備えた存在でなければならないのである。

もちろん以上のことは、中立性なるものをまったく考えなくても良い、ということにはならない。
その点については講師も、「好き勝手」「無手勝流」「Wild analysis」であって良いということではないと述べ、その上で、「例えば『分析家の中立性』といったようなルールを自覚しながら、それぞれの個性に応じて工夫し、自分にふさ わしい独自で固有の対応を作り上げていくこと」(一丸, 1998)という言葉を引用している。
この最後の引用だけを見ると、ひょっとするとありきたりで当たり前の結論のように思えるかもしれない。しかし、断じてそうではないのだ。
大切なのは、そこに至るまでの思考、そして実践のプロセスであろう。それを省略し、ただこの結論の言葉だけを口にしたとしても、それこそそれは「それぞれの個性に応じて工夫し、自分にふさわしい独自で固有の対応を作り上げていくこと」にはならないのである。

日々の臨床の(あるいはそれ以外の業務に忙殺される)中で、こういったことを考え続けることは、必ずしも容易なことではない。「これこれの場合は、こう」とか、「こうやっていれば間違いない、これが正解」といった決まり事に身を委ね、考えることを放棄することの方が、おそらくは、面接者の不安は低減され、楽がもたらされることになるのだろう。
しかし、そんな風にしてしまうことは、面接者の個別性のみならず、クライエントの個別性をも奪ってしまうことなのだ。そして、そういった面接者とクライエントの関係は、心理療法の名に値するものでもなければ、対人関係とすら言えないものになってしまうように思えるのだ。(右)

一丸藤太郎他(1998)精神分析的心理療法の手引き 誠信書房
スターン, D.B.(2009)精神分析における解離とエナクトメント 創元社

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?